脱藩の道散策
(町中コース)

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2017/5/11(9:51,9:46)
「梼原町役場」前の駐車場と役場の中。
坂本龍馬脱藩の郷として知られ、雲の上の町とも呼ばれる「梼原(ゆすはら)」の町中にある、
龍馬ゆかりの史跡等を、町役場で頂いたパンフレットを見ながら巡る。
なお、町役場前にある「ゆすはら観光交流案内所(まろうど館)」では、この日歩いたコースと
ほぼ同じ道を、地元ガイドの話を聞きながら巡る約90分のコースを案内している(有料かつ要予約)。
左の写真は、役場の中でパンフレットを頂き、散策に出る直前に撮影したものである。
左の写真をクリックすると、歴史民俗資料館(案内図には、現在地と書かれる)の前にある
「歩いて巡る梼原歴史散策」の案内図が表示されます。
この案内図は、800x800ピクセルあります。
案内図の文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
右の写真、町役場の中では、「端午の節句」の飾りが展示されていた。
右の写真をクリックすると「端午の節句」の飾りを切抜く画像(600x450)が表示されます。
注:町名は、一般に「梼原」と表記しているが、正規の表記は、「檮原」のようである。
2017/5/11(9:52)
「ゆすはら座」。
「ゆすはら座」は、町役場のすぐ東側にあり、
昭和23年(1948)に、梼原村の住民有志により
建てられた芝居小屋で、芝居や歌舞伎の他、
映画も上映されたという。
現在でも、神楽の上演や各種講演会、会合などに
利用されている。
入館は無料。中の様子は、「ゆすはら座」の
ページで紹介しています。
2017/5/11(9:53)
ゆすはら座前の公園「やまがら公園」。
2017/5/11(9:59)
「ゆすはら座」を出て、「化粧坂の茶堂」に向かう。
写真の大きな屋根は、「ゆすはら座」。
2017/5/11(10:02)
「六志士の墓」への入口。
写真、すぐ左には、「化粧坂の茶堂」がある。
2017/5/11(10:02)
「化粧坂の茶堂」。
拡大写真は、「ゆすはらの茶堂」のページで
紹介しています。
写真をクリックすると「茶堂」の案内版が
表示されます。
この案内板は、400x800ピクセルあります。
案内板の文字を読みたいときには、表示された
画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2017/5/11(10:04)
「六志士の墓」に向かう。
入口には、「六志士の墓 こちらです」の
標識が立つ。
同様の標識は、「脱藩の道散策(町中コース)」の
各所に立つので、行かれる方は参考にして下さい。
写真をクリックすると「標識」を切抜く
画像(450x600)が表示されます。
2017/5/11(10:05)
「六志士の墓」。
明治維新の魁(さきがけ)となり、身命を賭して
国事に殉じた梼原町ゆかりの「勤王志士」、
6名の分霊を祀っている。
墓の詳細は、「六志士の墓」のページで
紹介しています。
2017/5/11(10:11)
「旧掛橋和泉邸」に向かう。
左に、「ゆすはら座」への道を見送り直進すると、
すぐ右に、「旧掛橋和泉邸」がある。
2017/5/11(10:11)
「旧掛橋和泉邸」への入口に立つ案内版。
「旧掛橋和泉邸」は、元「吉村虎太郎庄屋屋敷」が
建っていた場所に移転したもので、案内版には、
「吉村虎太郎庄屋屋敷跡」とある。
「旧掛橋和泉邸」の入口は、案内版の右手にあり、
奥の白い建物は、「梼原高等学校」。
2017/5/11(10:12)
「旧掛橋和泉邸」。
「掛橋和泉」は、明治維新の志士たちの
資金を調達するなど陰で支えた人物で、
幕末には、この旧邸に遠近の同士が立ち寄り、
時局を談じたという。
入館は無料。中の様子などは「旧掛橋和泉邸」の
ページで紹介しています。
2017/5/11(10:21)
「旧掛橋和泉邸」を出ると、一部狭い道を通るが、
擁壁には、「坂本龍馬脱藩の道」の標識がある。
この標識も、「脱藩の道散策(町中コース)」の
各所にあるので、行かれる方は参考にして下さい。
写真をクリックすると「標識」を切抜く
画像(450x600)が表示されます。
2017/5/11(10:22)
標識には、「中平龍之介の墓」とある。
町役場で頂いたパンフレットには、記載されて
ないのだが、「中平龍之介」は、梼原町ゆかりの
「勤王志士」、6名の内の一人である。
2017/5/11(10:24)
坂を少し登ると「墓地」があったが、
「中平龍之介の墓」の場所を示す標識はない。
2017/5/11(10:27)
これが、「中平龍之介の墓」なのであろう。
墓石には、「中平龍之介招魂碑」と刻まれる。
2017/5/11(10:31)
この写真の中には、「坂本龍馬脱藩の道」と
「三嶋神社」の2つの標識がある。
「坂本龍馬脱藩の道」には標識が多く、
安心して歩ける。
2017/5/11(10:35)
「三嶋神社」。
延喜19年(919)、津野山郷の開祖「津野経高」は、
この地を「梼原」と名付け、居城を築くと共に
伊豆(静岡県)より「三嶋大明神」を勧請したのが
始まりで、慶応4年(1868)に「三嶋神社」と
改称したという。
境内入口には、屋根付きの木造橋「神幸橋」が
架かる。
2017/5/11(10:41)
「三嶋神社」の境内。
「神幸橋」や「三嶋神社」の詳細は、
三嶋神社」のページで紹介しています。
2017/5/11(10:43)
「三嶋神社」を離れ、「維新の門」に向かう。
この先、距離は短いが、未舗装の道は、
「坂本龍馬」が脱藩した当時の雰囲気を味わえる。
2017/5/11(10:44)
「三嶋神社」を振り返る。
2017/5/11(10:44)
「坂本龍馬脱藩の道」。
観光パンフレットなどで、よく見る景色の中を歩く。
2017/5/11(10:45)
「坂本龍馬脱藩の道」。
ここにも、「坂本龍馬脱藩の道」の標識が立つ。
2017/5/11(10:47)
道左側の「竹林」。
2017/5/11(10:51)
「梼原川」右岸の舗装路に出る。
2017/5/11(10:52)
「梼原橋」。
平成19年(2007)、それまでコンクリート造りで
あった橋を、「木の里梼原」のシンボルとして、
木造の橋に架け替えたとある。
写真をクリックすると「梼原橋」の
案内版(450x600)が表示されます。
2017/5/11(10:57)
「維新の門」への入口。
この場所からは、「維新の門」は見えないが、
入口左側に立つ電柱には、「維新の門」の
文字と方向を示す標識がある。
2017/5/11(10:57)
「川西路地区構造改善センター」。
この建物は、平成に入ってから建てられた
「和田城」で、正式名を「川西路地区構造改善
センター」というが、地域の人の集まり等に
利用されるというので、一般にいう「公民館」
なのであろう。
2階には「維新の茶屋」という食事処がある。
「維新の門(群像)」は、この建物の右横に建つ。
2017/5/11(11:00)
「維新の門(群像)」。
大志を抱き、峻険を掛け抜けた幕末の英雄
「坂本龍馬」と盟友「沢村惣之丞」。
それに、梼原町に縁のある六志士を併せた
八志士の群像を、志士たち旅立ちの地
「和田城址」に建立したという。
詳細は、「維新の門(群像)」のページで
紹介しています。
2017/5/11(11:06)
「維新の門」入口の北側斜面に咲く「フジの花」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2017/5/11(11:12)
「川西路の茶堂」付近で見る田植え風景。
田植えの準備として、近所の人達が横に並び
「手渡し」で苗を運んでいるようであった。
「田んぼ」の上には鯉のぼりが泳ぎ、
のどかな雰囲気である。
写真をクリックすると近づいて撮る
「田植え風景」が表示(600x450)されます。
2017/5/11(11:13)
「川西路の茶堂」。
拡大写真は、「ゆすはらの茶堂」のページで
紹介しています。
写真をクリックすると「茶堂(川西路)」の
案内版(600x450)が表示されます。
2017/5/11(11:15)
川西路の谷に泳ぐ「鯉のぼり」。
鯉のぼりの「谷渡し」は、山の麓まで続いている。
写真は、「川西路の茶堂」から町役場の方向に
戻る途中で撮影。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2017/5/11(11:23)
「六根の橋」。
橋の下を流れるのは「梼原川」。
橋の左に立つのは「梼原病院」の看板。
2017/5/11(11:23)
「六根の橋」の近くに咲く白い「フジの花」。
立派な「白藤」である。
「フジの花」で知られる「あしかがフラワー
パーク」のHPには、「日本を代表する
原種・野田藤、色ごとに、うすべに藤、むらさき藤、
長藤、八重の藤、白藤と順に花を先送ります」
とある。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2017/5/11(11:31)
「梼原町役場」前に戻る。
写真は、町役場前に建つ、「梼原町立歴史
民俗資料館(梼原千百年物語資料館)」。
写真には写らないが、資料館の左には、
歴史的建造物に指定される「旧梼原村庁舎」を
移築した「観光交流案内所(まろうど館)」があり、
町内の観光案内やガイドの受付を行っている。
写真をクリックすると、歴史民俗資料館の
前に立つ「坂本龍馬脱藩の道」の案内版が
表示されます。
この案内板は、1,600x700ピクセルあります。
案内板の文字を読みたいときには、表示された
画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。

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