弘前公園周辺散策

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2017/10/16(12:56,12:57)
「ねぶた村駐車場」と「弘前公園」東側の道路。
「弘前市」には、大きな空襲がなかったため、「弘前公園」の周辺には、
古くからの伝統的な和風建築や洋館が多く残る。
この日は、「弘前公園」の北東に位置する「津軽藩ねぷた村」をスタート。
周辺の伝統的建物を見ながら南下。「弘前公園」の南側にある、「追手門広場」や「藤田記念庭園」に
立ち寄った後、「弘前公園」の中を南から北へと歩き、「植物園」や「弘前城本丸」等を散策。
最後に公園の北側を歩き「津軽藩ねぷた村」に戻るという1周約5km強(庭園や広場、植物園内の
距離は含まず)を歩いた記録を紹介する。
左の写真、「ねぷた村」は、入村料を払い「津軽三味線」の実演奏を聴いたり、「大形ねぷた」の
内部や骨組みなどが見学できる「見学・体験エリア」と無料の「食事・買物エリア」がある。
右の写真、「ねぷた村」を出て、南の方向に歩く。道路の右に写る木々は、「弘前公園」。
左の写真をクリックすると「弘前散策マップ」が表示されます。
この「散策マップ」は、「青森銀行記念館」に隣接する「市民中央広場」に立つもので、
この地図には、スタート地点の「津軽藩ねぷた村」が入ってないが、同様の「散策マップ」は、
周辺の各所に立ち、本HPで紹介するルートが概ね網羅されている。
この散策マップは、1,200x1,000ピクセルあります。
散策マップの文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2017/10/16(13:05)
「弘前文化センター」。
「弘前公園」東門のすぐ東側にあり、
玄関前には、弘前藩初代藩主「津軽為信公」の
像が立つ。
写真をクリックすると「津軽為信公像」が
表示(450x600)されます。
2017/10/16(13:07)
「NHK弘前放送会館」。
1階ロビーを、「NHKギャラリー」として開放。
2階は、「NHK文化センター弘前教室」。
いずれも、視聴者のための施設として、
利用されているようである。
2017/10/16(13:16,13:17)
「弘前カトリック教会」。
「弘前散策マップ」には、「カトリック弘前教会」と書かれている。
建物は、明治43年(1910)に造られた木造モルタルの平屋建。
祭壇には、オランダ聖トマス教会から譲り受け、慶応2年(1866)に造られたという、
ゴシック様式の「祭壇」が祀られている。
左の写真をクリックすると縦に撮る「弘前カトリック教会」が表示(450x600)されます。
右の写真をクリックすると「弘前カトリック教会教会堂」の案内板(960x650)が表示されます。
この案内板の左に描かれるのは、オランダ聖トマス教会から譲り受けたという「祭壇」である。
2017/10/16(13:24,13:26)
「弘前教会」と「本多庸一先生祈念之碑」。
「弘前散策マップ」には、「日本キリスト教団弘前教会」と書かれている。
「弘前教会」は、明治8年(1875)、「弘前分会」の名で創設された東北最古のプロテスタント教会で、
初代の牧師が「本多庸一」。現在の礼拝堂は、明治39年(1906)に建てられたとある。
2階には、「襖」で仕切られた畳敷の部屋が3室あり、「襖」を取り払うと約30畳敷きの
大広間になるという。
左の写真をクリックすると近づいて撮る「弘前教会」が表示(600x450)されます。
右の写真をクリックすると「弘前教会」の案内板(900x600)が表示されます。
2017/10/16(13:33)
「安寿と厨子王と母」の像。
「青森銀行記念館」に隣接する
「市民中央広場」に立つ。
津軽地方には、「安寿は津軽の岩木山へこもり、
終いには神となる」と伝承されるという。
像全体の形は、「岩木山」をイメージしている
のであろう。
写真をクリックすると「安寿と厨子王と母」の
像を切抜く画像(600x450)が表示されます。
2017/10/16(13:34)
「青森銀行記念館」。
建物は、明治37年(1904)、第五十九国立銀行
(現:青森銀行)の本店として建設されたもので、
現在、同銀行の記念館として保存。
一般公開されている。
写真をクリックすると正面から撮る
「青森銀行記念館」が表示(600x450)されます。
2017/10/16(13:38)
「青森地方裁判所弘前支部」。
2017/10/16(13:38)
「明治天皇御臨幸之所碑」。
「青森地方裁判所弘前支部」の前に立ち、
明治14年(1881)、「明治天皇」が、
東北巡幸の際に、「弘前」を訪れたという。
2017/10/16(13:41)
「追手門広場」の中を散策。
写真は、「旧東奥義塾外人教師館」。
「追手門広場」は、市立観光館を始め、
郷土文学館や山車展示館などが集まる
弘前観光の拠点である。
広場内散策の様子は、「追手門広場」の
ページで紹介しています。
2017/10/16(14:19)
「新坂」。
写真は、「藤田記念庭園」入口前にて撮影。
現在の「新坂」は、大正初期に完成したものだが、
津輕藩政時代に「上町(城の東側)」と
「下町(城の西側)」を結ぶ主要道にあった
「新町坂」に替わる、本通りとして
市民に利用されている。
写真をクリックすると「新坂」の
案内板(800x600)が表示されます。
2017/10/16(14:20)
「藤田記念庭園」。
写真は、「藤田記念庭園」入口の門。
「藤田記念庭園」は、大正8年(1919)、
弘前市出身の実業家「藤田謙一」が、
東京から庭師を招いて造らせたという庭園で、
園内にある洋館、和館、倉庫等が、
国の登録有形文化財に指定されている。
庭園内散策の様子は、「藤田記念庭園」の
ページで紹介しています。
2017/10/16(15:06)
「追手門通り」。
「弘前公園」の南側を歩き、
弘前公園「追手門口」に向かう。
2017/10/16(15:09)
「弘前市役所」。
弘前公園「追手門口」の南側にある。
2017/10/16(15:12)
弘前城「三の丸追手門」。
弘前公園の南側にある「追手門口」から入り、
「弘前公園」内を散策する。
公園内散策の様子は、「弘前公園」のページで
紹介しています。
2017/10/16(16:43)
「石場家住宅」。
「石場家住宅」は、弘前公園の「北門口
(亀甲橋)」を出たところにあり、
江戸時代中期に建てられたといわれる商家で、
国の重要文化財に指定されている。
2017/10/16(16:46)
「津軽天然藍染研究会川崎染工場」。
明治以降は、化学染料により、姿を消していた
「津軽天然藍染」であったが、平成に入り、
当時使われていた「瓶」などの道具が
見つかったことから、建物や藍瓶(あいがめ)、
藍場(あいば)を復元。津軽天然藍染の研究を
行うと共に、工房見学や当時の手法で、
「天然藍染」が体験できる工房となっている。
2017/10/16(16:47)
「ねぶた村駐車場」に戻る。
「弘前公園」の周辺を、約4時間で巡ったが、
歩く距離が長く、見どころも多い。
食事や休憩を入れながら、のんびりと1日をかけて
歩くべき内容の散策であった。

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