比叡山延暦寺
(西塔エリア)

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2014/10/29(10:35,10:35)
比叡山延暦寺(西塔エリア)の「参道入口」と参道を入ったところ。
滋賀県大津市西部と京都府京都市北東部に跨がる「比叡山」は、山全体が寺域であり、
「東塔」「西塔」「横川」の3つのエリアを合せて「比叡山延暦寺(えんりゃくじ)」と呼ばれている。
「西塔(さいとう)エリア」は、東塔から北約1kmに位置し、第2世天台座主「寂光大師円澄」によって
開かれた、「転法輪堂(釈迦堂)」を中心とする区域である。
なお、拝観料については、各エリアに設けられた「巡拝受付所」で、東塔、西塔、横川エリアの
共通券を販売しており、どこか一ヶ所で購入すれば、3つのエリア全てが拝観できる。
(国宝殿(宝物館)だけは別料金だが、国宝殿(宝物館)とのセット券もある)
西塔エリアの「巡拝受付所」は、入口から少し歩いた「にない堂」の手前にある。
左の写真をクリックすると「西塔エリア」の主な見所(800x600)が表示されます。
2014/10/29(10:36)
「西塔エリア」と「浄土院」の分岐。
入口から直進するとT字路に突き当たり、右に進むと
「浄土院」、左に進むと「西塔エリア」の中心部である。
写真をクリックすると「西塔エリア」の地図が
表示されます。
この地図は、960x720ピクセルあります。
地図の文字を読みたいときには、表示された画像を
クリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2014/10/29(10:36)
「箕淵弁財天」。
東塔・無動寺の弁財天、横川の箸塚弁天と合せ
比叡山の三大弁財天の一つである。
2014/10/29(10:37)
「親鸞聖人ご修行の地」。
「親鸞聖人」は、幼少(9歳)の頃から20年にわたり
比叡山で厳しい修行を積んだという。
2014/10/29(10:37)
「にない堂」。
左に「常行堂」、右に「法華堂」と同じ形のお堂が
廊下によって繋がる。
「弁慶」が両堂を繋ぐ廊下に肩を入れて
担った(になった:肩に支え持って運ぶこと)との
言い伝えから「にない堂」と呼ばれている。
2014/10/29(10:38)
「常行堂」。
「常行堂」では、90日間「阿弥陀仏」のまわりを
歩きながら、その名を称えて「阿弥陀仏」を念じる
「常行三昧」の修行道場である。
2014/10/29(10:38)
「法華堂」。
「法華堂」では、90日間ひたすら坐禅を組み、
一心に「法華経」を唱えることで、精神を集中させ
仏の智慧を得る「法華三昧」の修行道場である。
2014/10/29(10:40)
「常行堂」と「法華堂」を結ぶ廊下を潜り抜けると、
長い石段となり、その石段を下りた先には、
「西塔エリア」の本堂である「転法輪堂(釈迦堂)」が
見えている。
2014/10/29(10:41)
「西塔政所」。
「にない堂」から「転法輪堂(釈迦堂)」への石段を
下りていくと、その途中右側に「西塔政所」、
左側に「恵亮堂」がある。
「西塔政所」の詳細は不明だが、左の門柱には
「延暦寺学問所 止観道場」の看板が掛かる。
2014/10/29(10:41)
「恵亮堂(えりょうどう)」。
「恵亮和尚(800~859)」を本尊として祀る。
「恵亮和尚」は、「大楽大師」と称し、京都の「妙法院」を
創建した人とある。
写真をクリックすると「恵亮堂」の案内板(600x450)が
表示されます。
2014/10/29(10:42)
「円戒国師寿塔」。
寿塔とは生前つくった墓のこと。この石塔は、
「円戒国師(慈摂大師真盛上人)」が、社会浄化に
身を挺するため、三千宗徒との交わりを辞し、
黒谷青龍寺に隠遁する直前に決死の覚悟の
表明として建立したという。
現在のものは、天保年間に再建されたとある。
2014/10/29(10:42)
「中西悟堂」の歌碑。
歌碑には「樹の雫しきりに落つる暁闇の
 比叡をこめて啼くほととぎす」と刻まれる。
「中西悟堂」は、石川県出身の野鳥研究家で、
「日本野鳥の会」の創立者。また、歌人・詩人、
天台宗の僧侶でもあり、16歳で得度し、
比叡山で教義を学ぶ。「悟堂」は法名。
2014/10/29(10:43)
「転法輪堂(釈迦堂)」。
「転法輪堂」は、「伝教大師最澄」自らの作といわれる
「釈迦如来」を御本尊とすることから、「釈迦堂」の名で
親しまれている。
また、延暦寺に現存する最古のお堂とある。
写真をクリックすると「転法輪堂(釈迦堂)」の
案内板(600x450)が表示されます。
2014/10/29(10:44)
「釈迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)」。
石段を降りた左手にある。
2014/10/29(10:45)
「転法輪堂(釈迦堂)」。
建物は、「豊臣秀吉」の命により、大津「園城寺」の
金堂を移築。桁行七間、梁間七間、一重、入母屋造、
栩葺形銅板葺の建物とある。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2014/10/29(10:45)
「鐘楼」。
石段の上に建つ。
2014/10/29(10:46)
「釈迦伝の絵看板」。
「転法輪堂(釈迦堂)」に向かって左側にある。
2014/10/29(10:48)
「相輪橖」と「みろく石仏」に向かうため、「転法輪堂
(釈迦堂)」の左横を抜け裏に回ると、急な山道となる。
2014/10/29(10:49)
急坂の左側に立つ「石像」。
地図にも案内板もなく名前すら不明だが、
「弁天様」であろうか、それとも菩薩(観音)か?。
2014/10/29(10:51)
奥に「相輪橖」が見える。
2014/10/29(10:51)
「相輪橖(そうりんとう)」。
青銅製で地上高11.65m。明治28年(1895)に
再建され、塔の中には法華経、大日経などが
納められている。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2014/10/29(10:54)
「みろく石仏」。
像高約2m。鎌倉時代初期の造仏と考えられ、
比叡山で見られる石仏では、最も古いという。
右上の破損は、「信長」の比叡山焼討ちによる
というから歴史を感じる。
写真をクリックすると縦に撮る「みろく石仏」が
表示(450x600)されます。
2014/10/29(10:59)
「みろく石仏」からの帰路、
裏から見る「転法輪堂(釈迦堂)」。
2014/10/29(11:02)
「転法輪堂(釈迦堂)」から「にない堂」への石段。
2014/10/29(11:03)
石段を登りながら見る「にない堂」。
2014/10/29(11:07)
「五重照偶塔」。
「浄土院」と駐車場への分岐点に立つ。

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