天橋立
(松並木編)

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2012/5/9(9:53)
「松並木」南側にある案内板(地図)。
写真をクリックすると案内板の地図が
拡大表示されます。
この地図は、1280x875ピクセルあります。
地図の文字を読みたいときには、表示された
画像をクリックし、スクロールバーを
ご利用下さい。
なお、このページは、天橋立(飛龍観編)の
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2012/5/9(9:55)
「小天橋(廻旋橋)」。
「天橋立」は、天橋立南側の「文殊」から北側の
「江尻」までの全長約3.6km、幅20m~
170mの砂嘴(さし)でできた砂浜であり、
「松並木」は、この砂嘴上に大小8,000本を
数える松の並木である。
本ページでは、「文殊」側にある「廻旋橋」から
「橋立明神」までの間を紹介する。

2012/5/9(9:57)
「小天橋」の旋回部分。
天橋立は「宮津湾」と「阿蘇海」を二分して
おり、この両水面をつなぐのは「文珠の切戸
(きれと)」と「文珠水路(天橋立運河)」の
2ヶ所のみである。
このため、「文珠水路」に架かる「小天橋」は、
船が通るときに、90度旋回する「廻旋橋」が
造られた。
大正12年(1923)に造られた当時は、手動で
廻していたというが、「文珠水路」を通る
大型船が多くなり、昭和35年(1960)、電動式に
なったという。

2012/5/9(9:57)
旋回し始めた「小天橋」。
実は、ここに来るまでは「旋回している橋を見る
ことができたら幸運」と思っていたのだが、
なんと多い日には50回ほど旋回するという。
これでは、よほど時間に余裕のないパック旅行
でもなければ、旋回する姿をみることが、
できそうである。
2012/5/9(10:00)
旋回した「小天橋」の横を通り抜ける
「観光船」。
橋の上には、職員が1名乗っている。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2012/5/9(10:03)
90度旋回した状態の「小天橋」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2012/5/9(10:05)
旋回した「小天橋」の横を通り抜ける
「運搬船」。
「阿蘇海」の奥には、「日本冶金大江山製造所」
があり、かなり頻繁に「鉱石運搬船」が通ると
いう。
2012/5/9(10:08)
昭和天皇行幸の「御歌碑」。
「めずらしく 晴れわたりたる 朝なぎの
 浦わにうかぶ 天の橋立」とある。
2012/5/9(10:08)
「日本三景碑」。
「丹後天橋立陸奥松島安藝嚴嶋為三處奇観」
  寛永20年 日本国事跡考 林春斎
 と刻まれる。
2012/5/9(10:09)
「日本の道100選」顕彰碑。
「天橋立」の砂嘴を通る道は、京都府宮津市文珠
から宮津市大垣に至る全長が3.2km程の「府道
607号 天橋立線」で、その全線が「日本の道
百選」に選定されている。
2012/5/9(10:09)
「お地蔵さん」。
2012/5/9(10:10)
「大天橋」。
「文珠水路(天橋立運河)」と合わせ「宮津湾」
と「阿蘇海」をつなぐ唯一の水路「文珠の切戸」
だが、小型船でないと「大天橋」の下を通過でき
ない。
2012/5/9(10:11)
「大天橋」を渡り、北の方向に歩く。
2012/5/9(10:15)
「知恵の松」。
「一本の松が三叉になっていて、三人寄れば、
文殊の知恵から引用された」とある。
2012/5/9(10:15)
「与謝野寛・晶子夫妻の歌碑」。
「小雨はれ みどりとあけの虹ながる
     与謝の細江の 朝のさざ波 寛」
「人おして 回旋橋の ひらく時
      くろ雲動く 天の橋立 晶子」
と刻まれる。
2012/5/9(10:21)
「岩見重太郎仇討ちの場碑」。
碑文には「講談などで有名な伝説上の剣豪 岩見
重太郎は、父の仇の三人を、ここ天橋立の濃松の
地で討ち取り本懐を遂げた」とある。
2012/5/9(10:23)
「蕪村の句碑」。
「はし立や 松は月日の こぼれ種」と刻まれる。
2012/5/9(10:24)
「40口径安式15センチ砲身」。
「海軍思想普及のため大正12年、海軍大臣より
下付されたもの」とある。
2012/5/9(10:24)
「天橋立神社(天橋立大明神)」。
「磯清水神社とも呼ばれ、江戸時代天橋立は、
智恩寺の境内地(寺領)であり、天橋立神社も
智恩寺に属する神社であった」とある。
2012/5/9(10:26)
「磯清水記の碑」。
「延宝6年(1678)、時の宮津城主永井尚長は、
弘文院学士林春斎の撰文を得たので、ここに
『磯清水記』を刻んで建碑した」とある。
2012/5/9(10:26)
「磯清水」。
「この井戸は、四面海水の中にありながら、
少しも塩味を含んでいないところから、古来
不思議な名水として喧伝されている」とあり、
昭和60年(1985)環境庁の「名水百選」の認定を
受けている。
2012/5/9(10:27)
「磯清水」の井戸。
「湧き水ですので、飲用はご遠慮頂き、手水と
してのみご利用下さい」とある。
2012/5/9(10:30)
「大正天皇御手植の松」。
「明治40年大正天皇が皇太子時代に御手植え
された」とある。
2012/5/9(10:32)
「都踊記念の燈籠」。
「大正11年4月建立」とある。
2012/5/9(10:38)
「天橋立海水浴場」。
水質も良く波は穏やかという。
2012/5/9(10:41)
北側から見る「大天橋」。
2012/5/9(10:43)
元に戻る途中の「小天橋」。
帰りにも旋回する「小天橋」を見ることが
できた。
この日の経験では、人が橋を渡ることができる
時間よりも、船を通すために橋が通行止めに
なっている時間の方が長いのでは?と感じる程で
あった。
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