天橋立
(智恩寺編)

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2012/5/9(10:46)
「智恩寺 山門」。
「知恵の文殊堂」で知られる「智恩寺」の山門
である。山門としては、丹後地方最大といわれ、
上層には釈迦如来や十六羅漢が安置されている。
このページは、天橋立(松並木編)の
ページからの続きです。
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2012/5/9(10:47)
山門の両脇には、上層に登る「階段」があるが、
特別拝観時以外は、公開されていないため、
釈迦如来や十六羅漢を拝観することはできない。
写真をクリックすると階段部分が表示(450x600)
されます。

2012/5/9(10:48)
「智恩寺」の説明。
写真をクリックすると智恩寺の説明が拡大表示
(800x500)されます。

2012/5/9(10:48)
「力石」。
石の重さは、大130kg、中100kg、小70kg。
祭りや集会の余興に、この石を持ち上げ力自慢を
競ったとある。
今では、この石に触ると不思議に力と知恵が
授かると伝えられ、案内板には「どうぞご自由に
お触り下さい」とある。
2012/5/9(10:49)
「石造地蔵菩薩立像(室町時代)」。
離れてもう1躯ある。
写真右の地蔵背面の銘文では、応永34年(1427)
三重郷(中郡大宮町)の大江永松が発願して
造立した一千体の地蔵のうちの一体とあり、
案内板には、他の2躯も同年代のものであろう
とある。
2012/5/9(10:51)
「多宝塔」。
丹後国守護代で府中城主延永修理進春信によって
建立され、明応10年(1501)落成。
宮津市唯一の国指定重要文化財建造物とある。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2012/5/9(10:55)
「知恵の輪」。
「知恵の文殊」の人寄せに、新たに作ったように
見えるのだが、舟航の安全にそなえた輪燈籠で、
「享保11年(1726)、貝原益軒の『丹後与謝海
天橋立之図』には、この輪燈籠が見られるから
その由来は甚だ古い」とある。
2012/5/9(10:57)
「智恩寺 本堂(文殊堂)」。
「智恩寺」は、「切戸(きれど)の文殊」、
「九世戸(くせと)の文殊」等とも呼ばれ、
山形県の「亀岡の文殊」、奈良県の「安部の
文殊」と共に、日本三文殊の一つに数えられ、
多くの受験生や、その家族が合格祈願に訪れる。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2012/5/9(10:57)
「妙音殿」。
「妙音弁才天」を祀る。
2012/5/9(10:59)
「鉄湯船(鎌倉時代)」。
寺院の大湯屋において寺僧の施浴に用いられた
「湯船」であったが、現在は手水鉢として使用
されている。
正応3年(1290)「興法寺(現竹野郡弥栄町)」の
ために鋳造されたとある。
2012/5/9(10:59)
「扇子型のおみくじ」。
「鉄湯船」近くの松の木には、沢山の「扇子型
おみくじ」が結ばれていた。
2012/5/9(11:01)
「文殊堂」の説明。
写真をクリックすると文殊堂の説明が拡大表示
(800x600)されます。
2012/5/9(11:01)
「鐘楼」。
明治14年建立。現在の「梵鐘」は昭和48年に
再改鋳されたという。
2012/5/9(11:03)
「鐘楼門(暁雲閣)」。
二人の子女を相次いで亡くした宮津の商家「木村
正英」によって、享保七年(1722)に建立され、
「暁雲閣」の名前も二人の法名から付けられたと
いう。
左の建物は「文殊堂」。
2012/5/9(11:03)
「文殊堂」の拝殿。
2012/5/9(11:04)
「無相堂」。
この後、少し早い昼食にしたため、
次の写真との間、時間が空きます。
2012/5/9(11:51,11:52)
「文殊堂」外陣の壁に掲げられる「絵馬?」。
「文殊堂」外陣の壁には、沢山の「奉納絵馬」が掲げられている。
写真は、一昔前の宣伝ポスターの様でもあり、「絵馬」と呼ぶのかどうか分からないのだが、
商売繁盛を祈願するために奉納された「絵馬」と思われる。
2012/5/9(11:52)
「出石城隅櫓復興記念」と書かれている。
「出石城(いずしじょう)」は、兵庫県北部で、
現在の豊岡市にあった城で、この城の「隅櫓」の
再建が無事叶った謝礼として奉納されたもので
あろう。
2012/5/9(11:52)
「文殊堂」外陣の壁に掲げられる「絵馬」。
2012/5/9(11:53)
「六地蔵」。
6躯共、色艶やかな着物を着ており、女性の
お地蔵さまである。
写真をクリックすると左四躯の地蔵が拡大表示
(600x450)されます。

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