身延山久遠寺
(身延山下山東コース)

「身延山久遠寺」は、3部構成になっています。
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2010/5/28(11:22)
「東コース下山道入口」。
身延山の東コースは、山頂をスタートし、
東照宮、法明坊(お水屋)、中間点の大光坊
(三光堂)、丈六堂、十如坊(鬼子母神堂)、
本地堂を経て、久遠寺本堂裏へと下る、
片道約5km。徒歩約1時間30分のコースで
ある。
写真は、「開基堂」の近くにある「東コース
下山道入口」。

2010/5/28(11:26)
「下山道入口」のすぐ下にある「南側展望台」
からの景色を見て。下山開始。
「南側展望台」の位置が「48丁目」である。
なお、この先の下山道は、車が通れる程の道幅が
あり、特に急な傾斜もなく、一般の登山道に比べ
れば楽に歩ける。

2010/5/28(11:37)
「東照宮(41丁目)」。
驚きました。周りに、何も無い山の中に忽然と、
大きくて、年代を感じさせる古いものが現れた
という感じです。
寛永13年(1636年)、徳川家康が亡くな
られた時、お万の方が身延に詣でられ、法要を
営まれた折に建造されたとのこと。
この写真は、少し大きいのを見てほしい。
上の写真をクリックすると、別ウインドが開き、
拡大(600x450ピクセル)写真がご覧になれます。

2010/5/28(11:41)
「法明坊(お水屋)40丁目」。
ここには、「日朗上人お手掘の井戸」がある。
2010/5/28(11:41)
「日朗上人お手掘の井戸」。
「日朗上人」が、ここで「岩清水」を汲み、
喉の渇きを覚えられたご様子の「日蓮大聖人」
に捧げたという。
2010/5/28(12:06)
「墓石群」。
31丁目付近の登山道沿いにある。
2010/5/28(12:16)
「大光坊(相輪塔)25丁目付近」。
「大光坊」は、東コースのほぼ中間点にある。
「相輪塔」は、天明元年(1781)日蓮聖人
五百遠忌報恩記念に際し、天下泰平を祈願して
三万部のお経を読誦してこの地に建てられたとの
こと。この他にも、「日光」と「比叡山」と、
日本に三ヶ所建てられたとある。
2010/5/28(12:17)
「大光坊(三光堂)」。
寛文5年(1665)甲府宰相徳川重郷が、子孫
繁栄の祈願所として建立。三光天子を奉る。
三光天子とは、大日天子、大月天子、大明星天子
の総称。太陽、月、星を神格化した名称で、天か
ら光をもって我々を守り、天界に属すので天子と
呼ばれるとのこと。
2010/5/28(12:17)
「大光坊(釈尊像)」。
延宝5年(1677)京極高勝郷の寄進によって
造立。
このお釈迦様は、霊鷲山において、百日の御修行
をされておられるお姿とのこと。
2010/5/28(12:18)
「大光坊(大黒堂)」。
寛文二年(1662)建立。
ここに祀る大黒天は、日蓮聖人の御自作と伝え
られている。
なお、この先は自動車も入れる舗装された道に
変わるが、一般客の自動車は進入禁止である。
2010/5/28(12:37)
「太田道灌の墓(15丁目付近)」。
太田道灌の墓が、複数あることは知られている
が、この墓もその中の一つであろう。
墓入口の石には「太田家」と刻まれていること
から、慰霊碑/記念碑のようなものではなく、
「太田道灌」直系血族に関係する墓と思われる。
なお、周辺には「各戦国武将」の墓もあると
いわれ、見るからに由緒ありそうな墓所が多く
見られた。
2010/5/28(12:40)
「丈六堂(15丁目付近)」。
「日蓮聖人」が「錦の森」と命名されたと伝えら
れる「丈六堂」は、寛永20年(1643)、
本山の境内に釈迦堂を建立。その後、寛文4年
(1664)、現在地に遷座。
堂内には、「丈六の釈迦如来立像」が安置されて
いる。
2010/5/28(12:42)
「丈六の釈迦如来立像」。
金色に輝く「釈迦如来立像」は、像高5m58
㎝。蓮華座上に立っている。
信仰に篤かった「養珠院殿妙紹日心尊尼(お万の
方)」が願主となって奉納されたという。
2010/5/28(12:46)
「墓石群(15丁目付近)」。
「身延山の丈六堂」といえば「尼僧さん」といわ
れる。尼僧法団は、昭和26年身延山中の「無縁
墓」3,600基を整備した浄行を縁に、「丈六
堂」の管理を委託されたという(その後、「丈六
堂」の管理は、「久遠寺」に戻されたと聞く)。
確認はできなかったが、写真は、この「無縁墓」
を集めたものであろう。無数の「墓石」が重なり
合うように並べられた様は、今までに見たことの
ないものであった。
2010/5/28(12:52)
「不明(13丁目付近)」。
近くには、「日莚上人」に関する説明板が
あった。
2010/5/28(12:54)
「瘡守稲荷大明神(12~11丁目付近)」 。
「瘡」とは、皮膚病の総称。皮膚病にご利益が
あるのであろう。
2010/5/28(13:03)
「十如坊(鬼子母神堂)10丁目付近」。
2010/5/28(13:10)
「本地堂(7丁目付近)」。
この先、坂を下れば「久遠寺本堂裏」である。
なお、「久遠寺本堂裏」は、「6丁目」であり、
登山道の始点(1丁目)は、「三門」である。
「久遠寺」から「三門」までの間は、「久遠寺
本堂周辺」のページで紹介する。

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