身延山久遠寺
(身延山山頂&奥之院思親閣)

「身延山久遠寺」は、3部構成になっています。
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2010/5/28(10:33)
「身延山ロープウェイ」。
山麓の「久遠寺駅」と山頂の「奥之院駅」間の
全長1,665m、高低差763mを約7分で
運んでくれる。
1963年開業だが、このゴンドラは2代目で、
1981年に製造。定員45名の「たちばな号」
「ぼたん号」の2両が使われている。
写真の「ぼたん号」に乗り山頂に向かう。

2010/5/28(10:44)
山頂「東側展望台」から見る「毛無山(標高:
1,964m)」。
なお、身延山の標高は、1,153mである。
「毛無山」は、「本栖湖」の南南西約6kmの
所にあり、この写真の、すぐ右には「富士山」が
ある。

2010/5/28(10:51)
山頂の「奥之院駅」から「北側展望台」に向かう
遊歩道。
この辺りも素晴らしい「杉並木」だが、県指定
天然記念物の「千本杉」は、西コース登山道の
6~7合目にある。

2010/5/28(10:44)
山頂「東側展望台」から見る景色。
身延山山頂には、「奥之院駅」に隣接する「東側展望台」、東コース登山道の起点にある「南側展望台」。
そして、「奥之院駅」から徒歩で、約3分の遊歩道の先にある「北側展望台」の三つの展望台がある。
「東側展望台」からは、「富士山」方面の景色が素晴らしい。
身延山は、3月中旬と9月下旬~10月初旬の各々数日間。富士山頂中央から太陽が昇る、「ダイヤモンド富士」が見れることでも有名である。
2010/5/28(10:56)
山頂「北側展望台」から見る景色。
「北側展望台」からは、「南アルプス」方面の景色が素晴らしい。
そして、「甲府盆地」の先には、「奥秩父」の山々も見える。
2010/5/28(10:57)
山頂「北側展望台」にある「展望図」。
2010/5/28(11:05)
「思親閣」とは、「親を思う御堂」のことで、
日蓮聖人が、この「身延山」に登られ故郷の
両親を追慕されことから、「奥の院思親閣」が
建てられたという。
門の中に見える建物は、「札所」等が入る
「育恩殿」。
2010/5/28(11:06)
「日蓮聖人像」。
「日蓮聖人」が、故郷房州(千葉県)安房の
両親・師道善御房を思い遥拝するお姿である。
2010/5/28(11:08)
「仁王門」。
「仁王門」の中にある、二体の「仁王様」が、
境内を護っている。
2010/5/28(11:08~11:11)
「御手植の杉」。
「仁王門」の周辺には、「日蓮聖人」が、約700年前にお手植えになったと伝えられる、
4本の老杉がある。
2010/5/28(11:12 & 11:12)
「境内を護る二体の仁王様」
「密迹(みっしゃく)金剛」と「那羅延(ならえ
ん)金剛」の二体の「仁王像」が境内を護る。
鎌倉時代の仏師「運慶」の作と伝えられる。
2010/5/28(11:14)
「元政理髪塚」。
「元政上人」が慈父の遺骨を首にかけ、79歳の
老母のお共をして「思親閣」に登り、父の骨と
自己の剃り髪を埋めて、記念の為桜木を植えたと
いう。
この時に詠んだのであろう。説明板には、
「いたずらに身をばやぶらで法のため
わがくろかみをすてしうれしさ」とある。
2010/5/28(11:15)
「祖師堂」。
日蓮大聖人・六老僧・両親像を祀る。
日蓮大聖人の直弟子である六老僧の一人、大国阿
闍梨日朗上人によって開創。加賀藩三代藩主・
前田利常公の母君、寿福院お千世の方の寄進に
より、寛文5年(1665)に完成した由緒ある
御堂とのこと。
2010/5/28(11:16)
「釈迦像」。
昭和45年建立。
2010/5/28(11:21)
「開基堂」。
2010/5/28(11:22)
「東コース下山道入口」。
2010/5/28(11:23)
山頂「南側展望台」から見る景色。
「東コース下山道入口」を、ほんの少し下った所にある。
ここでは、「富士川」の蛇行する姿が、特に印象的であった。

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