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2015/6/28(9:44,9:47) 動く歩道から見る帆船「日本丸」と「長谷川伸文学碑」。 「日本丸メモリアルパーク」は、JR根岸線「桜木町駅」やみなとみらい線「みなとみらい駅」、 「馬車道駅」から徒歩5分ほどの「横浜みなとみらい21」地区にある。 左の写真は、「桜木町駅」と「みなとみらい地区」を結ぶ「動く歩道(連絡橋)」から撮影。 この日は「日本丸」の29枚の帆(セイル)全てを開く「総帆展帆」が行われる日であり、 「総帆展帆」の様子については、「帆船日本丸(総帆展帆)」のページで紹介しています。 帆船日本丸(総帆展帆)のページへ 「長谷川伸文学碑」は、「日本丸」の右舷先端付近のパーク内にある。 横浜に生まれ、大正・昭和時代の大衆作家「長谷川伸」は、新聞記者時代に小説を書き始め、 「沓掛時次郎」「中山七里」「一本刀土俵入」「瞼の母」などを執筆した「股旅物」の創始者であり、 特に、昭和47年(1972)秋から翌年春にかけて放送された「長谷川伸シリーズ」では、 多くの名作がテレビドラマ化され、後にDVD-BOXや劇画にもなっている。 左の写真をクリックすると拡大写真(600x450)が表示されます。 右の写真をクリックすると「長谷川伸文学碑」が拡大表示(450x600)されます。 |
2015/6/28(9:49) 横浜船渠株式会社の「エアー・コンプレッサー」。 横浜船渠株式会社(後の三菱重工業横浜造船所)で、 工場内の様々な機械を動かすための圧縮空気を 生成していたとある。 写真をクリックすると「エアー・コンプレッサー」の 案内板(800x600)が表示されます。 |
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2015/6/28(9:49) 横浜船渠株式会社の「エアー・コンプレッサー」。 パーク内には、同じ型のコンプレッサーが他にも、 もう一台展示されていた。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2015/6/28(9:59) 「チケット売場」。 チケットは、「帆船日本丸」と「横浜みなと博物館」の どちらかが見学できる「単館券」と、その両方が 見学できる「共通券」がある。 「横浜みなと博物館」は、この写真を撮る背中の 方向にあり、日本丸の景観を生かすため、展示室等の 建物のほとんどが、地下に作られている。 写真をクリックすると「横浜みなと博物館」の案内板が 表示されます。 この案内板は、800x800ピクセルあります。 案内板の文字を読みたいときには、表示された画像を クリックし、スクロールバーをご利用下さい。 |
2015/6/28(10:05) 「帆船日本丸」と「横浜みなと博物館」の入口。 |
2015/6/28(11:35) 「芝生広場」。 「芝生広場」は、「帆船日本丸」から見ると「横浜みなと 博物館」裏側の運河沿いにある。 |
2015/6/28(11:36) 芝生広場から見る「横浜ランドマークタワー」。 「横浜ランドマークタワー」は、地上70階建、高さ296m。 平成26年(2014)に開業した「大阪あべのハルカス」に 抜かれるまでは、日本一の高層ビルであった。 建物下には、展帆作業を終えた「日本丸」の白い帆が 写る。 写真をクリックすると拡大写真(450x600)が 表示されます。 |
2015/6/28(11:37) 「吹奏楽演奏会」の練習をする中学生達。 「帆船日本丸」の左舷にあるステージでは、年に10回を 越える「吹奏楽演奏会」が行われており、小学生から ベテランまで幅広い年齢層の演奏を聞くことができる。 この日は、12時から演奏会が予定されていた。 写真は、12時からの本番に備え練習する中学生の姿。 (これが、偶然にも私の母校の生徒達であった) |
2015/6/28(11:38) 「芝生広場」から見る景色。 左に「芝生広場」。その後方に「クイーンズスクエア横浜」。更に右に、「パシフィコ横浜」や「よこはまコスモワールド」の大観覧車。 中央右には「ナビオス横浜」。写真右に写る鉄橋は、「汽車道」の「港一号橋梁」であり、この「汽車道」は、平成9年(1997)に 「鉄道廃線跡」を利用した遊歩道として整備され、自分の足で歩くことができる。 「汽車道」を歩いた記録を「汽車道」のページで紹介しています。 汽車道のページへ なお、本ページでは紹介できなかったが、「横浜みなと博物館」では、横浜港の150年の歴史を紹介する他、本格的な操船シミュレーターにより、 再現された横浜港の海上で小型船を操縦するなど、子供だけでなく大人も楽しめる博物館となっている。 また、パーク北側にある「タワー棟(展望塔)」からは、「みなとみらい21地区」や「新港地区」等を間近に見ることができる。 |