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2010/10/26(9:58) 「二荒山神社」前の広場で見る「拝殿(左端)重要文化財」と「社務所」。 「二荒山神社」は、日光の男体山(二荒山、2486m)、女峯山(2464m)、太郎山(2368m)の3つの山を、御神体山と仰ぐ神社で、日光の氏神様である。 江戸時代までは、神領約70郷という広大な社地を有し、現在でも日光三山を含む日光連山8峰(男体山・女峰山・太郎山・奥白根山・前白根山 ・大真名子山・小真名子山・赤薙山)や「華厳滝」、「いろは坂」までも境内に含み、その広さは3,400㌶にもおよぶという。 |
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2010/10/26(9:59,10:00) 二荒山神社の「夫婦杉(左)」と「親子杉(右)」。 二荒山神社は、「恒例山」という小さな山の南麓に位置し、境内には多数の老木・巨木が立ち並び、 他にも「三本杉」、「縁結びの御神木」等、御神木として人々の信仰を集めているものが多い。 |
2010/10/26(10:00) 「二荒山神社 縁結びの笹」。 二荒山神社は「縁結びの神様」であり、男女の 縁のみならず、お金の縁、仕事の縁、友人の縁等、この「縁結びの笹」を3回潜ることにより、 あらゆる良い縁を結ぶといわれている。 奥に写るのは「拝殿」。 |
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2010/10/26(10:02) 「二荒山神社 神楽殿」。 明治17年(1884)建立。 毎年4月2日、国家の興隆を祈願して神楽が 奉奏される。 |
2010/10/26(10:04) 「二荒山神社 神門」。 「木造四脚切妻造」で、昭和52年(1977)、 男体山山頂に「奥宮」が祀られてから、 1200年を記念して建てられた。 |
2010/10/26(10:06) 「日光山輪王寺 常行堂(重要文化財)」。 慈覚大師によって建立され、慶安元年(1648)再建。 隣に建つ「法華堂」とは、屋根付きの「渡廊」で 結ばれ、合わせて「二つ堂」と呼ばれる。 |
2010/10/26(10:17) 「輪王寺 相輪橖(重要文化財)」。 寛永20年(1643年)に家光公の発願により比叡山の 宝塔に擬して構築された、高さ15mの青銅製の 供養塔。塔内には千部の経典が収蔵されている。 なお、「相輪塔」は、天台宗独特の塔婆で、 比叡山の他、規模は小さいが、身延山の「大光坊」 にもあり、全国の3ヶ所にある。 |
2010/10/26(10:17) 裏(相輪橖横)から見る「輪王寺 三仏堂」。 「三仏堂(重要文化財)」は、約50年ぶりの 大修理(平成19~30年度・予定)が行われて いた。 |
2010/10/26(10:19) 「日光山 輪王寺」と刻まれた、御影石の大石標。 「輪王寺」は、奈良時代に山岳信仰の社寺として 創建された「天台宗門跡寺院」である。 神仏分離令以前は、山内の仏堂、神社、霊廟等を すべて含めて「日光山」あるいは「日光三所権現」 と称したことから、「輪王寺」に属する建物は 日光山内の各所に点在。「輪王寺」は、日光山中 にある寺院群の総称でもある。 |
2010/10/26(10:19) 「輪王寺 本坊表門(重要文化財)」。 柱から瓦まで全てが黒漆塗のため、黒門とも 呼ばれ、皇族を門主と仰ぐ「門跡寺」の格式を 示す門とある。 |
2010/10/26(10:20) 「日光山 輪王寺 本堂(三仏堂)重要文化財」。 高さ26.6m、幅32.7m、奥行き25.5 m。東日本では最も大きな木造の建物といわれ、 全国でも数少ない天台密教形式のお堂である。 内部には「千手観音」、「阿弥陀如来」、「馬頭 観音」の3体の大仏が安置されている。 |
2010/10/26(10:24) 「勝道上人之像」。 「勝道上人」は、「日光開山の祖」といわれ、 7歳のとき、夢の中に明星天子という神が現れ、 「あなたはこれから仏の道を学び、大きくなったら 日光山を開きなさい」と告げられ、後に「紫雲立寺 (現在の四本竜寺)」を建てたのが、「日光山」の 歴史の始まりといわれる。 |