日光の二社一寺
(日光東照宮)

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2010/10/26(8:58)
「日光東照宮武徳殿(登録有形文化財)」。
石碑には「剣道復活之地」とある。
戦後、占領政策によって各種武道は禁止状態に
あったが、昭和26年「日光剣道大会」を全国に
先駆けて開催。翌27年の第2回大会は「全日本
剣道大会」として開催。全国から参集した代表者
が意見調整し、今日の全日本剣道連盟が設立され
たとのこと。
現在でも、小学生から一般までが在籍する現役の
道場である。

2010/10/26(9:00)
「東照宮」の社号標と「石鳥居(重要文化財)」。
「石鳥居」は、元和4年(1618)、九州筑前
(福岡県)藩主黒田長政公により奉納。柱は太さ
3.6m。間隔が6.8mで、江戸時代に作られ
た石造りの鳥居としては日本最大という。
なお、「日光東照宮」は、江戸幕府初代将軍
「徳川家康」を神格化した「東照大権現」を祀り、
日本全国の東照宮の総本社的存在である。

2010/10/26(9:01)
「五重塔(重要文化財)」。
慶安3年(1648)若狭の国(福井県)小浜藩主
酒井忠勝公により奉納。文化12年火災にあうが、
文政元年(1818)に同藩主酒井忠進公によって
再建される。

2010/10/26(9:03)
表門(重要文化財)。
左右に「仁王像」が安置されることから、
「仁王門」とも呼ばれる。
「仁王像」の身長は、約4m。
大仏師「法眼康音」の作とある。
2010/10/26(9:06)
「三猿」。
猿は馬を病気から守るとされるところから、
「神厩舎(9:08に建物の写真あり)」に彫刻され
る「猿の一生」を描いた8面の彫刻の中の
一つで、この「三猿」は、「見ざる・言わざる
・聞かざる」として知られる。
2010/10/26(9:07)
「中神庫(重要文化財)」。
三つある「三神庫(直下の写真で説明)」の
中の一つ。
2010/10/26(9:04)
「三神庫(重要文化財)」。
「三神庫」は、写真右方にある三つの大きな建物の総称であり、左から「上神庫」「中神庫」「下神庫」。
建物の中には春秋渡御祭「百物揃千人武者行列」で使用される1,200人分の馬具や装束類が収められている。
注:写真は、横が1,347ピクセルあります。写真直下にあるスクロールバーをご利用ください。
2010/10/26(9:08)
「神厩舎(重要文化財)」。
「神厩舎」は、ご神馬をつなぐ厩。
建物は、境内唯一の素木造り。右側は馬を扱う
役人の詰所で畳敷きになっている。
2010/10/26(9:08)
「御水舎(重要文化財)」。
唐破風の屋形柱は、「花崗岩」で、腐らぬ工夫が
されている。
水盤は元和4年(1618)九州佐賀藩主鍋島勝茂公
によって奉納。
2010/10/26(9:10)
「経蔵(重要文化財)」。
天海版の一切経を収めた建物で、内部には
「輪蔵」と呼ばれる八角形の回転式大書架が
ある。
2010/10/26(9:09)
石段下から見る「陽明門(国宝)」。
石段上の奥に見えるのが「陽明門」。左に、「鼓楼(重要文化財)」、右に「鐘楼(重要文化財)」。
2010/10/26(9:11)
「南蛮鉄燈籠」。
「伊達正宗公」の奉納。
ポルトガルから鉄を運んで鋳造したとある。
2010/10/26(9:12)
「鐘楼(重要文化財)」。
「鐘楼」は釣鐘を納めるための建物。
「鼓楼」は、太鼓を納めるための建物。
鐘楼と鼓桜は、建物の規模や構造など基本的な
形式は同じだが、細部の装飾や彫刻に違いが
あり、鐘楼には、鶴・龍・麒麟・波など78体。
鼓楼には亀・龍・雲など38体の彫刻が施されて
おり、鐘楼の方が鼓楼よりも豪華な造りになって
いる。
2010/10/26(9:13)
「陽明門(国宝)」。
この門には故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など
500以上の彫刻が施されている。
高さ11m、間口7m、奥行4m。12本ある
柱の中で、1本は彫刻の模様が逆向きの、逆柱で
ある。これは、「建物は完成と同時に崩壊が
始まる」という伝承から、わざと柱を未完成の
状態にした「魔除け」といわれる。
2010/10/26(9:15)
「神楽殿(重要文化財)」。
巫女が神楽を演ずる建物。内部は三室に分かれ、
本社側に踊りの舞台。背後は装束の間で、春秋の
大祭の時に神楽を奏するところである。
2010/10/26(9:16)
「眠猫」を通り「奥宮」に向かう。
「眠猫」については、9:35と9:36の写真で
紹介する。
2010/10/26(9:19)
「坂下門(重要文化財)」。
寛永13年(1636)造営。奥社参道の入口に建ち、
この先、200段の石段を登ると家康公の眠る
奥社がある。
2010/10/26(9:20)
「奥社」に続く参道。
2010/10/26(9:22)
「奥社石柵(重要文化財)」。
坂下門から奥社に続く参道と、奥社神域を囲む
石柵は、すべて一本の石をくり抜いて柵の形に
作られている。
また、200段ある「石段」の踏石も、一段毎に
一枚石を用い、凍結や霜で浮き上がらないよう
配慮したものだという。
2010/10/26(9:24)
「奥社銅神庫(重要文化財)」。
承応3年(1654)創建。別名「御宝蔵」。
江戸時代には、家康の位記(位階を授けられる
者に、その旨を書き記して与える文書)や甲冑、
刀剣や南蛮銅具足など、東照宮の中でも特に
貴重な神宝類を納めていたという。
2010/10/26(9:25)
「奥社拝殿(重要文化財)」。
家康公の墓所である奥社を礼拝する建物。
内部には金箔の柱や極彩色の鳳凰が描かれ、
豪華な造りとなっている。
2010/10/26(9:26)
「奥社唐門(重要文化財)」。
高さ3.4m、柱間2.5m。 柱や梁など
扉以外をひとつの鋳型に入れて鋳造したこと
から、「鋳抜門」とも呼ばれる。
2010/10/26(9:27)
「奥社宝塔(重要文化財)」。
「徳川家康公」の神柩を納める。
現在の宝塔は、天和3年(1683)の大地震で
破損した石造の宝塔を、5代将軍綱吉が金、銀、
銅の合金の唐銅製で作り替えたもので、
建立以来、一度も開けられたことがないという。
2010/10/26(9:29)
「叶杉」。
願い事を、この杉の祠に向かって唱えると、
願い事が叶うと伝えられている。
2010/10/26(9:35)
「眠り猫(国宝)」。
写真奥が「奥社参道」。
この「眠り猫」は、「左甚五郎」作と伝えられ、
東照宮では有名な「猫」だが、下の看板がないと
気づかずに通り過ぎてしまう。
2010/10/26(9:36)
「眠り猫(国宝)」。
望遠で撮影。
「猫」は、牡丹の花に囲まれ、うたたねを
している。
なお、この裏側には「雀」が彫られている。
2010/10/26(9:42)
「透塀」の前から見る「陽明門」と「神輿舎」。
写真右に写る「神輿舎(重要文化財)」の
中には、春秋渡御祭で使われる、三基の神輿が
納められている。
なお、「唐門(国宝)」と「透塀(国宝)」は、
平成の大修理に伴う保存修理工事中のため、
写真撮影は行わなかった。
2010/10/26(9:46)
「本地堂(重要文化財)」。
東照宮最大の建物で、高さ15m、正面20.8
m、側面13m。天井にある狩野派が描いた竜の
下で手を打つと、天井と床が共鳴する「鳴き竜
現象」で知られるが、昭和36年(1961)に火災に
より焼失。現在の竜は堅山南風の作。
薬師如来を安置するため、「薬師堂」ともいわれ
る。
2010/10/26(9:46)
回転燈籠(左)と釣燈籠(右)。
寛永13年(1636)オランダから奉納され、
ローソクに火をつけると自然に回転するという。

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