識名園
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2015/4/10(14:00,14:00)
「識名園」のチケット売場と入口を入ったところ。
「識名園」は、那覇市真知にあり、寛政11年(1799)に琉球王家最大の別邸として造られ、約12,726坪の
土地に池を中心とする「廻遊式庭園」が築かれ、国王一家の保養や中国からの使者「冊封使(さっぽうし)」の
接待などに利用されたという。
先の沖縄戦では、建造物のほとんどが破壊され、壊滅的な被害を受けたが、昭和50年(1975)から
20年の歳月と約8億円の費用を費やして復元され、平成12年(2000)には、世界文化遺産に登録されている。
「識名園」は、基本的には日本式庭園でありながら、地理的に近い中国の建築文化を取り入れ、
池を「琉球石灰岩」で囲むなど、琉球ならではの建築技法も取り入れられている。
また、常夏の沖縄で、春は「梅」、夏は「藤」、秋には「桔梗」と、四季の移ろいも楽しめるよう気配りされている。
2015/4/10(14:01)
「番屋」。
「識名園」を日常管理する人達の詰め所であったという。
地面にびっしりと張るのは「ガジュマル」の根である。
なお、この写真では建物を裏から撮影しているが、
順路では、帰路にも立ち寄り、帰路では建物を表から
見ることができる。
写真をクリックすると1.75倍ズームで撮る「番屋」が
表示(600x450)されます。
2015/4/10(14:02)
「通用門」。
一般の人達が利用した門である。
2015/4/10(14:04)
「正門」。
国王一家や中国からの冊封使等、特別な人達だけが
通行を許された門なのだが、大きさや豪華さという
点では、「通用門」と大差はない。
2015/4/10(14:05)
「石畳道」を庭園中央の池に向け歩く。
2015/4/10(14:07)
「育徳泉」。
綺麗な水の湧き出る自然の泉で、池の水源にも
なっている。
2015/4/10(14:08)
「育徳泉」から見る池。
この池は、「心」の字をくずした形をしており、
「心字池」とも呼ばれるという。
写真左には、池に架かる「石橋」も写る。
2015/4/10(14:08)
「御殿」に向かう。
2015/4/10(14:08)
「御殿」に続く道。
距離は短いが、趣のある道である。
2015/4/10(14:09,14:12)
「御殿(ウドゥン)」。
建物は、上流階級だけに許された格式高い造りで、総面積は約159坪。中国からの冊封使を迎えた
「一番座」をはじめ、15の部屋がある。
2015/4/10(14:11)
「御殿」から見る庭園。
写真ほぼ中央に「六角堂」。その右には、池に架かる石橋が写る。
2015/4/10(14:13)
「御殿」から見る庭園。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/4/10(14:13)
「前の一番座」。
ここからは、「御殿」の中を紹介する。
「前の一番座」は、玄関脇にあり、「1800年、尚温王の
冊封使は、この部屋でお茶のもてなしを受けた」とある。
写真をクリックすると「御殿全図(間取図)」が
表示されます。
この間取図は、1,200x850ピクセルあります。
間取図の文字を読みたいときには、表示された画像を
クリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2015/4/10(14:15)
「茶の間」。
部屋の中央には「炉」が造られているのだが、
この「炉」は、畳でふさがれ写真には写らない。
写真右下に置かれるのは、園内で拾われた
鉄片で、昭和20年(1945)年4月、アメリカ軍の
艦砲射撃により、「識名園」が壊滅的な被害を
受けた時の、砲弾の破片ではないかとある。
2015/4/10(14:15)
手前から、「三番座」、「二番座」、「大広間(一番座)」。
「三番座」と「二番座」の隣りには「控の座」がある。
2015/4/10(14:16)
「大広間(一番座)」。
「大広間(一番座)」は、中国からの冊封使を迎えた
部屋で、戦前の「識名園」の写真等が展示されている。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/4/10(14:16)
「御裏座」。
写真奥は、「裏座二番」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/4/10(14:19)
「御茶湯御酒羹所」。
茶、酒、料理などを保温するための場所とある。
2015/4/10(14:20)
「台所」と「かまど」。
2015/4/10(14:21)
「中庭」。
次のページでは、「御殿」を出てからの写真を
紹介する。
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