中城城跡
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2015/4/11(11:22)
「一の郭」の西側に立ち、東の方向を撮る。
石積みの門の先に、「二の郭」がある。
石積みの上には、人が写るが、この石積みも上を歩くことができる。
2015/4/11(11:23)
「正殿跡(一の郭の東側)」。
2015/4/11(11:24)
「正殿跡」から見る「一の郭」。
2015/4/11(11:25)
「観月台」。
「一の郭」の南西側には展望台が設けられている。
2015/4/11(11:26)
「観月台」から見る展望。
「二の郭」南側の石積みから見る展望と大差はないが、「観月台」では、「二の郭」の様な石積みの美しい曲線は写らない。
2015/4/11(11:27)
「一の郭」西側の門を潜り、「南の郭」へと入る。
2015/4/11(11:27)
「南の郭」に入ったところ。
「南の郭」の東側には、3つの「拝所」が
築かれている。
2015/4/11(11:29)
「拝所(雨乞イノ御嶽)」。
2015/4/11(11:29)
「拝所(小城ノ御イベ)」。
通称、「久高遙拝所」と呼ばれる。
2015/4/11(11:30)
「拝所(御當蔵火神)」。
通称、「首里遙拝所」と呼ばれる。
2015/4/11(11:31)
「南の郭」。
2015/4/11(11:32)
「南の郭」から「一の郭」の方向を撮る。
この後、石積みの上からの写真を撮るため、
往路を戻る。
2015/4/11(11:33)
「一の郭」の石積み。
2015/4/11(11:34)
「一の郭」と「二の郭」の間の石積み上から見る
「一の郭」。
写真手前に、「拝所」、中央が「正殿跡」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/4/11(11:34)
「一の郭」と「二の郭」の間の石積み上から見る
「二の郭」。
中央に、日露戦争戦没者の「忠魂碑」が写る。
2015/4/11(11:36)
日露戦争戦没者の「忠魂碑」。
日露戦争で亡くなった戦没者を慰霊・顕彰するために
建てられたという。
2015/4/11(11:37)
「二の郭」と「三の郭」の間の石積み上から見る
「二の郭」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/4/11(11:37)
「二の郭」と「三の郭」の間の石積み上から見る「二の郭」。
2015/4/11(11:38)
「二の郭」と「三の郭」の間の石積み上から見る
「三の郭」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/4/11(11:38)
「二の郭」南側の石積み。
石積みと海岸線の美しい曲線の共演である。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/4/11(11:41)
「南の郭」に戻る。
2015/4/11(11:41)
「南の郭」から「正門」への石段を降りる。
2015/4/11(11:43)
東(西の郭)側から見る「正門」。
ここで、一つ目のミスを犯してしまった。
「西の郭」は、長さが120mあり、兵馬の訓練をしたと
いわれるが、写真が一枚も残らず、どのような所で
あったのか全く記憶に残っていないのである。
東側と同じように立入禁止であった可能性もあるが、
それなら「立入禁止」の写真を撮っていたはずである。
もし、「立入禁止」でなかったとすれば、もう一つの井戸
「夫婦井戸(ミートゥガー)」等も一目見ておきたい
ところであった。
2015/4/11(11:43)
「中城城跡」の標識。
「正門」の近くにあり、後ろは「南の郭」の石積みで
あろう。この写真では「布積み」のように見えるのだが、
パンフレットでは、「南の郭」の石積みは、「野面積み」
とある。
2015/4/11(11:43)
西側から見る「正門」。
2015/4/11(11:45)
「鍛冶屋跡(カンジャーガマ)」。
「南の郭」西側の岩壁下にある。
「護佐丸」が「阿麻和利」の攻撃に備えるために
武具を造っていたという説もあるというが、真偽は
定まっていないようである。
写真をクリックすると近づいて撮る「鍛冶屋跡」が
表示(600x450)されます。
2015/4/11(11:46)
「鍛冶屋跡」から見る「中城高原ホテル跡」。
沖縄海洋博開催に合せ、昭和50年(1975)開業の
予定で建設されていたホテルであったが、博覧会の
開催直前、企業の倒産により、建設工事は中断。
以後、開業することなく、放置され廃墟と化している。
写真をクリックすると3.75倍ズームで撮る
「中城高原ホテル跡」が表示(600x450)されます。
2015/4/11(11:48)
西側から見る「中城城跡(南の郭)」。
「南の郭」の城壁は、自然の岩石の上に石垣を
築いたようである。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/4/11(11:49)
「中城高原ホテル跡」前に立つ「立入禁止」の看板。
看板には、「私有地であり、立ち入ると不法侵入で
違法となる恐れがある」と書かれる。
平成8年(1996)には、「中島みゆき」のシングル
「たかが愛」のプロモーションビデオのロケ地として
使用され、廃墟マニア等には、人気の場所だと聞く。
入口には、侵入を防止するロープ等は張られてないが、
私有地である。興味本位で、許可なく立ち入る
ことなどは、絶対に止めて頂きたいものである。
2015/4/11(11:57)
城跡の北側を歩き、チケット売場に戻る。
この後、もう一つのミスを犯してしまった。
近くに、沖縄で一番古い「亀甲墓」といわれる
「護佐丸」の墓があることは知っていたのだが、
すっかり忘れていた。
おそらく、歩いて行ける距離にあると思うので、
「中城城跡」を訪れた際には、「護佐丸」の墓にも
寄られることをお勧めする。

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