中城城跡
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2015/4/11(10:51,10:52)
城跡入口の「花壇」と「チケット売場」。
「中城(なかぐすく)城跡」は、沖縄県中頭郡にあり、14世紀の中頃、「先中城按司(注)」の一族が数世代に渡り
「南の郭」から「二の郭」を築造。
その後、勢力を伸ばしてきた勝連城主の「阿麻和利」を牽制するため、王府の命令により「護佐丸」が
「座喜味城」から移封、名築城家でもあった「護佐丸」の手により、「三の郭」と「北の郭」を増築し、
現在の形を完成させたという。
その「中城城跡」は、沖縄に300余りあるというグスクの中でも、最も遺構が残っているといわれ、
美しい曲線の城壁や、三種類の石積技術等を見ることができる。
左の写真をクリックすると「中城城跡案内図」が表示(970x720)されます。
(注)先中城按司(さきなかぐすくあじ):「護佐丸」より前の中城城主(中城按司)については、史料が残らず
 名前等の詳細が分からないため、「護佐丸」以前に「中城」を統治していた按司を「先中城按司」と呼んでいる。
2015/4/11(10:55)
「裏門」へと向かう。
標識には、直進方向に「見学順路」と「裏門」とあり、
右方向に「正門」とある。
つまり、「中城城跡」では、「裏門」から入り「正門」から
出るのが「見学順路」となっている。
2015/4/11(10:57)
「広場」に出ると、前方には「三の郭」の石積みが
見えてくる。
遊歩道右には、「世界遺産」の標識が立つ。
「中城城跡」は、平成12年(2000)、「琉球王国のグスク
及び関連遺産群」の一つとして「世界遺産」に
指定されると共に、「日本100名城」にも
指定されている。
2015/4/11(10:58)
遊歩道脇にある「中城城」のレプリカ。
写真をクリックすると近づいて上から縦に撮る
レプリカが表示されます。
この画像は、600x800ピクセルあります。
レプリカの詳細を見たいときには、表示された
画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
この画像に表示される、場所の名前(文字)は、
撮影した写真に上書き(編集)しています。
2015/4/11(11:00)
「三の郭」の石積み。
写真右には、「裏門」が写る。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/4/11(11:02)
「裏門」。
写真をクリックすると正面から取る「三の郭」の
石積み(600x450)が表示されます。
「三の郭」は、「護佐丸」により増築されたもので、
「新城(ミーグスク)」とも呼ばれ、石積み技法の中では、
最も進んだ「あいかた積み(亀甲乱れ積み)」により
築かれている。
2015/4/11(11:04)
「北の郭」。
「北の郭」は、「護佐丸」が長期の籠城にも耐えられる
ようにと、井戸を取り込み増築したという。
2015/4/11(11:06)
「大井戸」へと坂を降りる。
順路は、左の方向だが、「大井戸」は、坂を降りた
ところにある。
2015/4/11(11:06)
「大井戸」は、写真中央の暗い部分にある。
なお、写真左右の石積みに囲まれるのが「北の郭」で
ある。
2015/4/11(11:06)
「大井戸(ウフガー)」。
この写真では、暗いために分からないが、「大井戸」は、
この写真の中にある。
写真をクリックすると近づいて撮る「大井戸」が
表示(600x450)されます。
2015/4/11(11:11)
「三の郭」への石段を上がる。
2015/4/11(11:13)
「三の郭」。
「中城城跡」では、一部を除き石積みの上を歩くことが許されているのだが、「三の郭」の石積みは、「登らないで下さい」とある。
写真右に写るのは、「二の郭」の石積みである。
2015/4/11(11:12)
「二の郭」の石積み。
「三の郭」の石積みと全体の形は似ているが、
「三の郭」の石積みの、「あいかた積み」に対し、
「二の郭」は、「布積み(豆腐積み)」で築かれている。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/4/11(11:13)
「西の郭」へと向かう。
2015/4/11(11:14)
「西の郭」の東側入口は、「立入禁止」であった。
2015/4/11(11:17)
「二の郭」。
写真左は、南の方向、右は、西の方向であり、石積みの門を潜ると「一の郭」である。
写真中央付近には、「拝所(シライ富ノ御イベ)」がある。
2015/4/11(11:18)
「二の郭」。
「二の郭」東側には、日露戦争戦没者の「忠魂碑」が立つ。
写真左は北、右が、南の方向である。
2015/4/11(11:16)
「二の郭」と「一の郭」の間の石積み。
門の先が、「一の郭」である。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/4/11(11:18)
「二の郭」の石積みは、上を歩くことができる。
2015/4/11(11:19)
「二の郭」南側の石積み。
「二の郭」の石積みは、曲線が美しいことで知られる。
2015/4/11(11:19)
「二の郭」南側の石積みからの展望。
写真中央左には、沖縄電力「吉の浦火力発電所」のLNGタンクと「配管橋」が写る。
2015/4/11(11:20)
「拝所(シライ富ノ御イベ)」。
2015/4/11(11:21)
門を潜り「一の郭」へと向かう。
2015/4/11(11:21)
「一の郭」。
「一の郭」は、「中城城」の中で最も広く、写真手前の
広場には、「正殿」が建てられていた。
この場所には、後に「間切番所(まぎりばんじょ)」が
建てられ、廃藩置県後は、「中城村役場」に
使用されていたが、沖縄戦で消失している。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/4/11(11:22)
「正殿跡」から撮る「一の郭」。
写真中央が西の方向で、石積みの門の先に「南の郭」がある。
写真左は南、右が、北の方向である。
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