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2013/10/2(10:04) 「65号棟(奥左)」と「70号棟(端島小中学校)(奥右)」。 2倍ズームにて撮影。 65号棟は、RC造の9階建て、317戸が入居し、 屋上には幼稚園があった。 明治26年(1893)には、尋常小学校が設立されており、 昭和33年(1958)に建てられた7階建ての70号棟には、 1~4階に小学校、5階と7階に中学校が入り、講堂、 図書館等の他、体育館や給食設備もあった。 なお、このページは、「軍艦島(1/2)」からの続きです。 直接このページに入られた方は、「軍艦島(1/2)」の ページを先にご覧ください。 「軍艦島(1/2)」のページへ |
2013/10/2(10:04) 「3号棟(幹部職員用住宅)」。 「幹部職員用住宅」は、RC造4階建て。 景色のよい高台に建ち、20戸が入居。 水が貴重な軍艦島の中で、この棟には 各家に、内風呂が付いていたという。 写真は、1.75倍ズームにて撮影。 |
2013/10/2(10:05) 「貯水槽」と塞がれたトンネル。 第2見学広場にて撮影。 「貯水槽」は、最盛期に、5,300人が住んだという 島の生活水を給水していた。 当初、生活水は雨水や海水を蒸溜していたが、 人口が増えるに従い、船で運ぶようになり、最後には、 長崎半島から全長6.5kmの導水管を海底に敷いた。 穴を塞がれたトンネルは、ボタを西側(写真奥)の海に 捨てるために使ったという。 |
2013/10/2(10:08) 「ベルトコンベアー」。 「ベルトコンベアー」は、支柱だけが残る。 この支柱の上にベルトがあり、精選された石炭が 運搬船に運ばれていたという。 7倍ズームにて撮影。 奥に写る建物は「70号棟(端島小中学校)」。 |
2013/10/2(10:12) 「ドルフィン桟橋」。 |
2013/10/2(10:14) 出航前の船の中にて。 「貯水槽」と、「3号棟(幹部職員用住宅)」が写る。 |
2013/10/2(10:22) 「端島神社」。 「端島神社」は、祠のみが残る。 4.5倍ズームにて撮影。 船は、この後「軍艦島」を、ゆっくりと周遊。 往きの倍の時間(1時間)をかけて「長崎港(大波止 桟橋)」に戻る。 以降「見学通路」からは見ることのできなかった 建物等を、船上からの写真で紹介する。 |
2013/10/2(10:22) 「軍艦島」の東側。 右に「65号棟」と「70号棟(端島小中学校)」が写る。 手前の低い建物は、「資材倉庫」。 |
2013/10/2(10:28) 「軍艦島」の南東側。 左端の建物は「仕上工場」、右端に「70号棟(端島 小中学校)」。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2013/10/2(10:24) 「軍艦島」の南東側。 近距離でパノラマ撮影のため、左端の「仕上工場」等は隠れている。 写真左に「ドルフィン桟橋」、その右海上にある2つのコンクリートの建造物は、「積込桟橋」の橋台。 |
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2013/10/2(10:32) 「軍艦島」の西側。 軍艦「土佐」に似るという角度から見る「軍艦島」であり、このポイントではツアー船も、しばらく停船していた。 この写真は、通常に撮影した写真を切り抜きパノラマ風にしています。 |
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2013/10/2(10:31) 「軍艦島」の南西側。 「ドルフィン桟橋」は、この写真で、島の右手前にあり、 「25m海水プール」と「第3見学広場」は、島のほぼ 中央手前にある。 「見学通路」は、この間を岸壁に沿って造られており、 その距離は、僅か220mである。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2013/10/2(10:40) 「軍艦島」の北西側。 写真中央付近に「寺院(泉福寺)」等、倒壊した 木造建物の跡がある。 3倍ズームにて撮影。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2013/10/2(10:41) 「軍艦島」の北西側。 写真が不鮮明だが、左端には「67号棟(独身寮)」が あり、右端には「仕上工場」が写る。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2013/10/2(10:45) 「軍艦島」の北東側。 島の左に「70号棟(端島小中学校)」、 その右に「65号棟」。 右端には、RC造4階建ての「67号棟(独身寮)」。 「65号棟」と「67号棟」の前には、RC造4階建ての 「69号棟(端島病院)」と、2階建ての「68号棟(隔離 病棟)」や「ちどり荘」と呼ばれた「教員住宅」がある。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2013/10/2(10:47) 「軍艦島」の東側。 島の左に「ドルフィン桟橋」、右端には「69号棟(端島 病院)」がある。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2013/10/2(10:51) 「軍艦島(左)」と「中ノ島(右)」。 「軍艦島」周遊を終り、「長崎港(大波止桟橋)」に 向かう。 |
2013/10/2(11:00) 前方に「伊王島大橋」。 |
2013/10/2(11:08) 右方向に「100万㌧ドッグ」。 |
2013/10/2(11:14) 前方に「女神大橋」。 |
2013/10/2(11:21) 右方向に「ソロバンドッグ」。 「ソロバンドッグ(正式名:小菅修船場跡)」は、 明治元年(1868)に完成した日本初の西洋式ドックで、 船台式ドック、煉瓦造りの機械室、英国製巻上げ機等が 残る。 この写真では、不鮮明で分からないが、船を引き揚げる 船台がソロバン状に見えることから「ソロバンドッグ」と 呼ばれている。 写真は、3倍ズームにて撮影。 |
2013/10/2(11:22,11:23) 左の写真は、「三菱重工長崎造船所」。 前方には、「長崎港(大波止桟橋)」が見えている(右の写真、3.5倍ズームにて撮影)。 「長崎港(大波止桟橋)」に、11時30分に到着。2時間半程の「軍艦島クルーズ」であった。 なお、この日は、10月に入っていたが、「軍艦島」は、真夏の暑さであった。 「軍艦島」には何もありません。自動販売機どころかトイレも水道もない。 「軍艦島」の地面は「土」ではなく「コンクリート」である。日差しを避ける屋根等も一切ない。 その上、危険防止のため「日傘」の使用までが禁止されているのである。 とにかく、暑さ対策は万全にお願いしたい。 また、「ドルフィン桟橋」への接岸は、波の影響を受けるため、上陸できるのは年間100日程度といわれる。 特に、11月~3月の間は上陸できない確率が高いというので、この時期も、できれば避けた方が良さそうである。 この他にも、「軍艦島」への上陸に関しては、乗船前に誓約書を書かされたり、小学生未満は上陸できなかったり (船内待機)の制約があります。行かれる方は、是非事前の確認をお願いしたい。 |