グラバー園

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2013/10/2(14:19,14:22)
「グラバー園」入口。
日本の近代化に貢献した貿易商「トーマス・ブレーク・グラバー」の旧邸で知られる「グラバー園」であるが、
この「旧グラバー住宅」以外にも、国の重要文化財に指定された3つの建物と、長崎市内に残された
歴史的建造物等が移築・展示されている。
この日は、「動く歩道」のリニューアル工事に伴い「大浦天主堂」に近い「第1ゲート」の「入場口(券売所)」は
移設され、エスカレータも利用できなかった(写真左)。
左の写真をクリックすると「グラバー園」の園内マップが表示されます。
この園内マップは、960x720ピクセルあります。
園内マップの文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2013/10/2(14:24)
「日本庭園」。
2013/10/2(14:25)
展望台から見る「長崎湾」。
写真中央右に、一番高く見える山は「稲佐山(標高:333m)」。
写真手前の「松が枝埠頭」には、大型客船が停泊している。
2013/10/2(14:26)
「松が枝埠頭」に停泊する大型客船。
船は、ドイツの探検クルーズ客船「HANSEATIC号」。
バハマ船籍、総トン数8,378t、全長122.8m。
2013/10/2(14:28)
「旧グラバー住宅」。
文久3年(1863)建設。
日本最古の木造西洋風建築といわれる。
「グラバー商会」を設立し、造船、採炭、製茶を通して
日本の近代化に貢献。国産ビールの育ての親でも
あった貿易商「トーマス・ブレーク・グラバー」の旧邸。
写真をクリックすると「旧グラバー住宅」の
ページが表示されます。
2013/10/2(14:47)
「樹齢300年の蘇鉄」。
薩英戦争終結に向けた仲介や軍艦の建造に尽くした
「グラバー」に感謝した薩摩藩主が、この「蘇鉄」を
プレゼントしたという。
2013/10/2(14:47)
「トーマス・ブレーク・グラバー之像」。
昭和36年(1961)10月とあるので、この年の6月に
「旧グラバー住宅」が、国の重要文化財に指定された
のを記念して建立したのであろう。
2013/10/2(14:48)
「旧自由亭」に向かう。
2013/10/2(14:50)
「旧自由亭」。
明治11年(1878)建設。
日本人初の西洋料理店シェフとなった「草野丈吉」の
レストランで、当時は、長崎の三大西洋料理店の一つ
として、 内外の貴賓、地元高官などの社交の場に
利用されたという。
現在は、建物の2階が喫茶室として利用されている。
写真をクリックすると「旧自由亭」の案内板(800x625)が
表示されます。
2013/10/2(14:51)
「旧自由亭」前の池。
石彫の「亀」の上に2匹の生きた「亀」が乗り甲羅干し
する姿が可愛らしい。
写真をクリックすると3.75倍ズームで撮る
「亀」が表示(600x450)されます。
2013/10/2(14:55)
「旧ウォーカー住宅」。
明治16年(1883)~明治35年(1902)建設。
「ウォーカー商会」を設立し、日本の海運事業の
近代化と清涼飲料のパイオニアとして活躍した
「ロバート・ネール・ウォーカー」の次男「ロバート・
ウォーカーJr」の旧邸。
写真をクリックすると「旧ウォーカー住宅」の
ページが表示されます。
2013/10/2(14:57)
「旧長崎地方裁判所長官舎」。
明治16年(1883)建設。
長崎控訴裁判所(現在の高等裁判所)の官舎として
建てられ、多くの建物が原爆で失われる中で、
市街地に建つ官庁建築として唯一残る貴重な
建物という。
現在はレトロ写真館(貸衣装)として利用されている。
写真をクリックすると「旧長崎地方裁判所長官舎」の
案内板(800x600)が表示されます。
2013/10/2(14:59)
「歴史の泉」。
船の錨(Y字型)と船窓(U字型)で長崎の開港を
象徴したとあり、最上部の壁面には、有田焼陶板の
モザイクがはめこまれている。
2013/10/2(15:01)
「旧三菱第2ドックハウス」。
明治29年(1896)建設。
「ドックハウス」とは、船が修理などのためにドックに
停泊している間、船員たちが宿泊するための施設で、
三菱重工業長崎造船所第2ドックの近くに建てられて
いたという。
園内で一番高い場所にあり、近くには第2ゲートがある。
この第2ゲートを出た先には、日本で初めて「道路」と
して位置付けられたという、斜めに動くエレベータ
「グラバースカイロード(無料)」があり、路面電車の
「石橋駅」に行くことができる。
2013/10/2(15:02)
「高島流和砲」。
長崎に生まれた砲術家「高島秋帆」指導のもと、
鉄砲鍛冶「野川清造」が製造したという。
2013/10/2(15:05)
「旧長崎高商表門衛所」。
明治38年(1905)建設。
「長崎高商」は、日本で最初期に設立された官立高等
商業学校であり、現在の「長崎大学経済学部」の前身。
その表門に建てられていたという。
写真をクリックすると「旧長崎高商表門衛所」の
案内板(800x600)が表示されます。
2013/10/2(15:05)
「祈りの泉」。
隠れキリシタン(潜伏キリシタン)の苦悩と救いを
象徴したとある。
写真をクリックすると「祈りの泉」の案内板(800x360)が
表示されます。
2013/10/2(15:07)
「フリーメーソン・ロッジ(集会所)の石柱」。
長崎に住んでいた英国人住居の門柱であり、
英国の石工(メイソン)のマークが刻まれている。
写真をクリックすると「フリーメーソン・ロッジの石柱」の
案内板(600x350)が表示されます。
2013/10/2(15:07)
「フリーメーソン(石工)のマーク」。
写真をクリックすると「フリーメーソンのマーク」部分を
切り抜いた画像(600x600)が表示されます。
2013/10/2(15:08)
「旧リンガー住宅」。
明治元年(1868)~明治2年(1869)建設。
「グラバー商会」に勤め、後に「ホーム・リンガー商会」を
設立。明治から昭和の長崎経済界に君臨した幾多の
企業を設立した「フレデリック・リンガー」の旧邸。
写真をクリックすると「旧リンガー住宅」の
ページが表示されます。
2013/10/2(15:11)
「旧オルト住宅」。
慶応元年(1865)建設。
「オルト商会」を設立し、緑茶貿易を通じて日本のお茶を
世界に広めた「ウィリアム・ジョン・オルト」の旧邸。
長崎に残る石造りの洋風住宅の中では、
一番の大きさという。
写真をクリックすると「旧オルト住宅」の
ページが表示されます。
2013/10/2(15:15)
「旧スチイル記念学校」。
明治20年(1887)建設。
東山手9番地の旧英国領事館跡に建てられた
「スチイル記念学校」の校舎。
英語教育と特色ある学風で昭和7年(1932)までの
45年の歴史を長崎の教育史に刻んだという。
建物3階には「鐘楼」があり、園内で一番高い建物と
なっている。
写真をクリックすると「旧スチイル記念学校」の
ページが表示されます。
2013/10/2(15:21)
「三浦環像前広場」。
グラバー園は、観光だけでなく、パーティー、結婚式、
セミナー等のイベントを行うこともできる(要予約)。
この「三浦環像前広場」も、400名程のパーティー
会場として使うこともできるので、その折りは、
グラバー園管理事務所まで問い合わせ願いたい。
2013/10/2(15:22)
「フラワーアート「GLOVER'S DREAM」。
「旧グラバー住宅」150年を記念して、女性フラワー
アーティスト9名により造られたとある。
写真をクリックすると「フラワーアート GLOVER'S
 DREAM」の案内板(600x600)が表示されます。
2013/10/2(15:22)
「三浦環像」。
「三浦環」は、長崎を主題としたオペラ「蝶々夫人」を
30年間に渡り歌い続けた世界的プリマドンナである。
写真をクリックすると「三浦環像」の案内板(600x600)が
表示されます。
2013/10/2(15:23)
「プッチーニ像」。
この像は、オペラ「蝶々夫人」の作曲者「プッチーニ」の
生地イタリアから寄贈されたとある。
写真をクリックすると「ジャコモ・プッチーニと蝶々」の
案内板(800x600)が表示されます。
2013/10/2(15:25)
「グラバー園」には、長崎の祭り「長崎くんち」を
紹介する「長崎伝統芸能館(入場無料)」が併設する。
「グラバー園」の出口を出ると、すぐの所にあるので、
興味ある方は寄ってみることをお勧めする。
      「長崎伝統芸能館」のページへ

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