龍河洞
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2017/5/10(10:00)
上から垂れ下がるような岩には、名前が
付けられてなかったようである。
「天降石」の隣りにある「絞り幕」については、
9時44分の写真で紹介しているが、
沖縄県の「玉泉洞」では、この岩に似る鍾乳石を
「絞り幕」と呼んでいる。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2017/5/10(10:00)
「通天門」と「しんどい坂」。
写真の鉄階段は、長く、洞内で一番の難所で、
「しんどい坂」と呼ばれる。
階段の途中にある「通天門」を潜ると、
月の世界「月宮殿」から星の世界「連星殿」へと
移る。
2017/5/10(10:03)
「しんどい坂」の途中にある休憩所。
2017/5/10(10:03)
「連星殿」。
天井にある鍾乳石の水滴が星のように
輝くことから「連星殿」と名付けられたという。
2017/5/10(10:04)
「マリアさまとお釈迦さま」。
天井近くには「マリアさま」と「お釈迦さま」が
仲良く並ぶ。
写真をクリックすると「マリアさまとお釈迦さま」を
切抜く画像(450x600)が表示されます。
2017/5/10(10:05)
「万象殿」。
居並ぶ無数の「鍾乳石」や「石筍」は、種々
様々な形をしており、「宇宙のあらゆる物事や
現象を醸しだす『森羅万象』のようだ」とある。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2017/5/10(10:06)
「逢坂峠」を過ぎる。
長い坂を登り終えると、入口から標高差が
80m程高い「逢坂(おうさか)峠」。
峠を過ぎると下り坂となる。
2017/5/10(10:08)
「龍馬像」の案内板。
「龍河洞にも龍馬像」とあるのだが、筆者の
視力では、その位置を明確に確認することは
できなかった。
とりあえず、矢印の方向を撮影し、パソコンで
処理すると「龍馬像」が浮かび上がったので
紹介するが、どうも頭の形がはっきりしない。
パンフレットには、「角度により頭の形や腕を
懐にしのばせた様などが桂浜の龍馬像に
見える」とあるので、写真を撮る位置が
悪かったものと思われる。
写真をクリックすると1.75倍ズームで撮る
写真から「龍馬像」を切抜く画像(450x600)が
表示されます。
2017/5/10(10:10)
「奈落」。
深さ30mの洞窟で、「コウモリは夏の夕方に
この洞窟を通って餌を求め、冬はこの中で
冬眠する」とある。
2017/5/10(10:11)
「最壮殿」。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2017/5/10(10:11)
「これより出口までの間、約2,000年前に、
弥生文化時代の人が穴住まいした跡」とある。
2017/5/10(10:12)
「穴居第三室」。
約2,000年前の弥生人が住み、
世界に一つしかないという「神の壺」が
発見された場所である。
2017/5/10(10:13)
「神の壺」。
「約2,000年前の弥生人が、水を受けるために
持って来た壺が炭酸カルシウムに包まれ、
化石のような状態になったもので、考古学上
世界に一つしかない宝物」とある。
写真をクリックすると「神の壺」を切抜く
画像(600x450)が表示されます。
2017/5/10(10:16)
「七福神」。
周囲は「七福神の舘」と呼ばれ、幕状鍾乳石等
多くの鍾乳石を見ることができる。
写真をクリックすると「七福神」を切抜く
画像(600x450)が表示されます。
2017/5/10(10:18)
「実験中の壺」。
昭和12年(1937)から、「神の壺」のように
鍾乳石に包まれるか実験のために置かれ、
この日までに80年を経過している。
いつもは、カメラの「ブレ防止機能」に助けられて
いるのだが、この写真では、手前の金網には
「ブレ防止」が機能しているが、「壺」の部分は、
「ブレ防止機能」が追いつけなかったようである。
写真をクリックすると「実験中の壺」を
切抜く画像(600x450)が表示されます。
2017/5/10(10:18)
「穴居第二室」。
この場所には、「炉の跡」があり、「焼石」や
「炭くず」、「灰」などが見つかったとある。
2017/5/10(10:19)
「炉趾」。
2017/5/10(10:19)
「宝庫」。
2017/5/10(10:21)
「穴居第一室」。
広さ100㎡、床は平坦で、外部からの光も
入り込み、雨水の浸入もない場所で、
「石斧」や「矢じり」、「貝殻」など
多くのものが発掘されたという。
洞窟内最後の見学場所で、この後洞窟を出る。
2017/5/10(10:21)
「洞窟」を出る。
出たところの休憩所には、昭和初期の
「龍河洞」の様子や「コウモリ」の写真などが
展示されていた。
2017/5/10(10:23)
「帰り道」の坂を下る。
「龍河洞博物館」までの距離は意外とあり、
その距離は400m、歩いて5分程である。
2017/5/10(10:44)
「龍河洞博物館」。
「洞窟」を出てから、ここまで20分もかかった
のは、途中見かけた「土佐龍光包丁」の店で
話し込んでいたためである。
土佐は、400年の歴史を持つ伝統工芸品
「土佐打刃物」で知られ、錆びにくく、
鋭い切れ味が長持ちするという。
2017/5/10(10:44)
「龍河洞博物館」の一階。
「龍河洞博物館」では、地球や龍河洞が
造られた過程や歴史を紹介する他、
弥生人の残した遺産遺物や、「洞窟」の
中や外に生息する動植物の貴重な資料等を
展示している。
2017/5/10(10:46)
「龍河洞博物館」の二階。
2017/5/10(10:47)
「龍河洞内外に棲む貝類」。
2017/5/10(10:49)
「龍河洞内の二次石灰岩」。
2017/5/10(10:50)
「コウモリの剥製」。
2017/5/10(10:51)
「龍河洞内に棲む動物」。
2017/5/10(10:52)
「岩石園」。
「龍河洞博物館」を出たところにある。
2017/5/10(10:53)
「山内浩像」。
高知県の中学校教員であった「山内浩」は、
昭和6年(1931)、前人未踏の奥洞を発見。
日本の洞穴学とケービングの元祖といわれる。
2017/5/10(10:54)
「龍河洞珍鳥センター」。
南国土佐に産する特殊な珍しい鶏を集め、
生態展示している。
写真右に写る「オナガドリ」の長い尾羽は、
「止箱(縦長の飼育箱)」の下まで届いている。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2017/5/10(10:56)
「龍河洞」入口の石段下で往路と合流。
2017/5/10(10:59)
「龍河洞」の駐車場に戻る。

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