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2013/11/24(15:15,15:16) 「マイントピア別子(東平ゾーン)」の駐車場と「東平歴史資料館」。 マイントピア別子(べっし)は、愛媛県新居浜市の産業基盤の礎となった「別子銅山」の施設跡を利用した テーマパークで、最後の採鉱本部が置かれていた「端出場(はでば)ゾーン」と最盛期の採掘拠点であった 「東平(とうなる)ゾーン」がある。 「端出場ゾーン」は、市内中心部から南に車で約15分の渓谷景勝地「別子ライン」沿いにあり、 日本初の山岳鉄道を復元した「鉱山鉄道」に乗り、銅山の様子を再現した「観光坑道」の中を 体験することができる有料のテーマパークで、「道の駅」と「温泉施設」を併設する。 また、本ページで紹介する「東平ゾーン」は、市内中心部から南に車で約45分、標高約750mの山中にあり、 「東洋のマチュピチュ」と呼ばれる「貯鉱庫」や「索道場跡」等を見ることができる無料のテーマパークだが、 途中の道幅は狭く、乗用車どうしでも離合困難な区間があるため、特に繁忙期などは、「端出場ゾーン」発着の 観光バス(ガイド付き・有料)の利用を勧められている。 左の写真をクリックすると「東平ゾーン」の案内図が表示されます。 この案内図は、1,200x600ピクセルあります。 案内図の文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。 |
2013/11/24(15:18) 「小マンプ(東平隧道)」。 「マンプ」という名前は、「坑道」を意味する 「間符(まぷ)」という言葉から転じてついたという。 写真の「小マンプ」は、東平と別子山地区を結ぶ 「坑内電車」の東平側の駅近くにあったトンネルで、 その長さが短いことから「小マンプ」と呼ばれたという。 |
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2013/11/24(15:18) 「小マンプ」の中。 「小マンプ」の中は、鉱山運搬機器展示場になっている。 手前に展示されているのは、「鉱車」や「かご電車」の けん引や、坑木等の運搬に使用された「2t蓄電車」。 |
2013/11/24(15:19) 「かご電車」。 昭和13年(1938)から昭和48年(1973)の休山までの間、 「東平坑口」と「日浦坑口」間の約4,000mを往来する 人々が乗った人車で、銅山で働く人以外でも無料で 乗車でき、通勤、通学、買い物等にも利用されたという。 |
2013/11/24(15:20) 「三角鉱車」。 坑内から運び出される「鉱石」等を運搬し、人の手で 簡単に傾転させ積み荷を降ろすことができたという。 |
2013/11/24(15:20) 「600Bローダー」。 「鉱石」等を掬い取って、「鉱車」に積んだという。 動力には、「圧縮空気」が使われ、坑内の狭い場所で 効率よく作業ができるように工夫されていた。 |
2013/11/24(15:21) 振返ってみる「小マンプ」。 |
2013/11/24(15:22) 「小マンプ」を出て、かつては「坑内電車」が走っていた 道を歩いて、「第三通洞」へと向かう。 |
2013/11/24(15:25) 「渓谷遊歩道」。 「坑内電車」は、「喜三谷」から「大マンプ」の隧道へと 入るが、「大マンプ」は、現在、閉鎖されているため、 見学者は、「渓谷遊歩道」を歩く。 |
2013/11/24(15:28,15:29) 「第三社宅跡」。 案内板には「第三社宅」とあり、当時の階段が残っている。 階段を上がると、社宅が建っていたと思われる広場は残るが、基礎も含め建物の痕跡は見えない。 |
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2013/11/24(15:30) 「東平採鉱本部跡」。 「第三通洞」の前にある広場で、案内図には「子供広場 遊具」と書かれている。周囲には「大マンプ」、 「第三変電所跡」「第三通洞」「火薬庫跡」がある。 「採鉱本部」は、「第三通洞」前に暗渠を築き、その上に 二階建ての建物を建てたというが、昭和3年(1928)、 「東平地区」に移転。昭和5年(1930)には「端出場」に 移されている。 |
2013/11/24(15:30) 「大マンプ(辷坂隧道)」。 「喜三谷」と「第三通洞」の間にある「坑内電車」の トンネル。 |
2013/11/24(15:31) 「大マンプ」の中。 「喜三谷」側の出入口が小さく見えている。 |
2013/11/24(15:32) 「第三変電所跡」。 麓の水力発電所から送電された電力の電圧調整と 「坑内電車」用に直流変換するため、 明治42年(1909)、建造されたという。 変圧された電力は、主に第三通洞を走行する 「坑内電車」の動力源として使用されていたが、 社宅の電気としても供給されたという。 |
2013/11/24(15:33,15:34) 「第三変電所」の中。 「東平ゾーン」に現存している施設の中でも、建物の内部まで当時の状態を残すのは、 この「第三変電所」だけである。 |
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2013/11/24(15:38) 「第三通洞」。 「第三通洞」は、明治27年(1894)から8年をかけて 造られた「主要運搬坑道」で、入口扉のデザインには 西洋文化が、いち早く取り入れられている。 写真をクリックすると「第三通洞」の鉄扉が 拡大表示(450x600)されます。 |
2013/11/24(15:39) 「第三通洞」の中。 「小マンプ」「大マンプ」にはなかった線路が残っている。 「第三通洞」の長さは1,795m。のちに造られ繋がった 「日浦通洞」と合わせると、その全長は3,915mになる。 明治38年(1905)には、電車が導入され銅山全体の 産出量が飛躍的に向上したという。 |
2013/11/24(15:40) 「井戸」であろうか?。「第三通洞」の前にあった。 |
2013/11/24(15:42) 「火薬庫跡」。 坑道掘削用のダイナマイトなどを保管したといい、 入口は、不測の事態が発生しても、爆風が人や施設に 影響を与えないよう、斜めに向けているという。 写真をクリックすると「火薬庫跡」の入口部分が 表示(600x450)されます。 |
2013/11/24(15:53) 「遊歩道」から見る「貯鉱庫」と「索道基地跡」。 場所は、「第三通洞」から「東平」に向けて歩くと、 「渓谷遊歩道」の細い道を抜けて、道が広くなった 辺りである。 「東洋のマチュピチュ」らしさを撮るには、 絶好の撮影ポイントである。 写真を拡大し、人の大きさと比べて、この景色の 大きさを想像して頂きたい。 写真をクリックすると2.75倍ズームで撮る 「貯鉱庫」が表示(600x450)されます。 |
2013/11/24(15:55) 「展望台」。 「東平歴史資料館」の近くである(「小マンプ」は、 この下にあると思うのだが、これは未確認)。 |
2013/11/24(15:57,15:58) 「貯鉱庫」の上部。 案内図の駐車場下にある「子供広場」から撮影。 右の写真、中央の少し上にあるのが「索道基地跡」。 右の写真をクリックすると拡大写真(600x450)が表示されます。 |
2013/11/24(15:59) 次のページでは、「貯鉱庫」と「索道基地跡」に 近づいて撮る写真などを紹介します。 |
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