石見銀山
(町並み地区:1/2)

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2012/5/12(7:03,7:03)
「石見銀山公園」の案内板。
周辺では、「猿」が出没するとのことで、左の案内板には、「猿」に対する注意が書かれている。
右の写真をクリックすると「石見銀山(町並み地区)」の地図が表示されます。
この地図は、900x1100ピクセルあります。地図の文字を読みたいときには、
表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
(この地図は、南北が逆に描かれています)
なお、この日は早朝の到着であったため「石見銀山公園」の駐車場が利用できたが、
「石見銀山」では、「パーク&ライド方式」という交通規制を行っており、観光車両は、
「世界遺産センター」周辺にある「石見銀山駐車場(駐車台数約400台)」に車を止め、
「石見銀山公園」等へは、バスで移動(約5分)することになっているのでご注意願いたい。

2012/5/12(7:11)
「五百羅漢」参道入口。
「五百羅漢」は、銀山の坑夫の安全と供養のため
造立されたといわれ、500体それぞれの顔が
異なるため、「親に会いたくなったら羅漢寺に
来れば、必ず似た顔に出会える」といわれる。
写真の参道入口は、「石見銀山公園」の、
道路反対側にある。
また、公園内には「ベロタクシー」が待機する。
VELO(ベロ)とはラテン語で自転車のこと。
この自転車タクシーの最大定員は運転手を除き、
大人2名(+幼児1名)で、ゆっくりと流れる
景色を見ながら、史跡を巡ることができる。

2012/5/12(7:13)
「石見銀山公園」から北に「代官所跡」に向け
歩く。
7時3分の地図で、縦に2本ある道路の左側が、
バス通り。写真の道は右側の道で「石見銀山」が
栄えていた頃の「武家」「商家」「社寺仏閣」等
の混在する、当時の町並みが約800m続く。
2012/5/12(7:17)
「金森家」。
18世紀の中頃、公用で出かける、村役人等の
指定宿等であった郷宿「泉屋(旧川北家)」の
遺宅とある。
2012/5/12(7:18)
「金森家」と「榮泉寺」の間にある商店。
時間が早いため閉まっているが、現在でも
営業中の商店であろう。
2012/5/12(7:19)
「金森家」と「榮泉寺」の間の町並み。
2012/5/12(7:20)
「榮泉寺」の山門。
2012/5/12(7:21)
「榮泉寺」の本堂。
慶長元年(1596)創建の曹洞宗の寺院で、文化4年
(1807)に再建される。
薩摩芋を、この地域に広めた第19代代官「井戸
平左衛門」が、旅の僧侶から「薩摩芋」のことを
聞いた寺として知られる。
2012/5/12(7:22)
「榮泉寺」の境内から見る山門。
嘉永6年(1854)建立。「水天門」「竜宮門」とも
呼ばれ、この地方では珍しい形式の山門だと
いう。
2012/5/12(7:22)
「榮泉寺」の石仏。
2012/5/12(7:24)
「榮泉寺」と「阿部家」の間の町並み。
2012/5/12(7:25)
「阿部家」の入口。
「阿部家」は、代官所地役人の遺宅で、甲斐国
(山梨県)出身の初代清兵衛は、慶長6年(1601)
に銀山附地役人として召抱えられ、子孫も代々
銀山支配に携わったとある。
2012/5/12(7:26)
「三宅家」。
建物は、銀山附地役人「田邊氏」の居宅であった
とある。
2012/5/12(7:28)
「有馬光栄堂」。
暖簾には、「お菓子処」とあり、洋菓子の
お店のようである。
【追記】
現在「阿部家」の建物は、日本の生活文化や技を活かした暮らしを提案する「群言堂」という会社の事業の一環として、
「旅館」「旅籠」「民宿」、そのどれでもない、単なる宿泊業だとか飲食業だとかいう位置づけではなく、
縁のあった人の「実家づくり」、「故郷づくり」、「田舎づくり」を、この家を使って行い、都会から失われてしまったものを
「阿倍家」を通じて伝えていきたいということから、紹介があれば泊まることができる、暮らす宿「他郷阿部家」として使われている。
ほんの一例だが、キーワードを並べると、
・かまどで炊く「ご飯」
・和ろうそくの炎に灯された「浴室」
・生け垣に咲いた白い花の香が広がる「洗面所」
ということである。興味のある方は、是非ご自分で詳細を調べて頂きたい。
2012/5/12(7:28)
「有馬光栄堂(左)」前の町並み。
2012/5/12(7:31)
「柳原家」。
代官所の銀山付同心「柳原家」の遺宅とある。
2012/5/12(7:33)
「本経寺」の山門。
観光パンフレットにも記載がないのだが、門前に
立つ木柱には「銀山本経寺(日蓮宗)山門」と
ある。
2012/5/12(7:34)
「旧河島家」。
代官所地役人の遺宅。
有料で一般公開されている。
2012/5/12(7:34)
天然石とビーズクラフトのお店「鶴の石」。
2012/5/12(7:35)
「鶴の石」と「旧大森区裁判所」の間の町並み。
2012/5/12(7:36)
「旧大森区裁判所」。
明治23年(1890)から昭和20年代初めまで裁判
所として使われ、現在は「町並み交流センター」
として、誰でもが無料で入ることができ、銀山の
歴史と暮らしを映像で紹介する他、裁判所の法廷
も再現されている。
2012/5/12(7:38)
「観世音寺」の山門。
「観世音寺」は、銀山隆盛を祈願するための
「祈願寺」で、現在の本堂や山門は、万延元年
(1860)に再建されたものとある。
2012/5/12(7:39)
「観世音寺」の本堂。
「五百羅漢」は、宝暦年間(1751~1763)に、
「観世音寺」の住職であった「月海浄印」が、
造営し、自ら「羅漢寺」の住職にもなったと
ある。
2012/5/12(7:39)
「観世音寺」境内から見る町並み。
左奥に写る大屋根が「西性寺」。
2012/5/12(7:40)
「観世音寺」の山門の「仁王像」。
初期のものは、江戸時代後期に造られたが、
老巧化のため、昭和55年(1980)に再建された
とある。
2012/5/12(7:44)
「観世音寺」から「西性寺」の間の町並み。
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