石見銀山
(銀山地区:1/2)

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2012/5/12(7:03)
「石見銀山公園」の案内板。
この写真は、「町並み地区」を散策する前に
撮影。
本ページでは、「石見銀山公園」から「龍源寺
間歩」までの片道約2.3kmを往復する「銀山
コース」を紹介する。
写真をクリックすると「石見銀山(銀山地区)」
の地図が表示されます。
この地図は、1024x800ピクセルあります。
地図の文字を読みたいときには、表示された
画像をクリックし、スクロールバーを
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(この地図は、南北が逆に描かれています)

2012/5/12(8:37)
「石見銀山公園」から南に250m程歩いたところに
ある標識。
「龍源寺間歩」への遊歩道は、ここを左に進む。
「レンタサイクル」の場合は、右に車道(市道
銀山線)を進む。

2012/5/12(8:37)
道路に書かれている案内に従い、この先を右に
入ると「遊歩道」である。

【補足】
・本ページで紹介する「石見銀山(銀山地区)」は、「石見銀山公園」をスタートし、「龍源寺間歩」までの、片道約2.3kmのコースで、
 途中の見どころに寄りながら往復すると、歩く距離は5kmを超えるであろう。
・基本的に道は2本あり、車道(市道銀山線)と、観光客のための「遊歩道」がある。
・以前は、車道(市道銀山線)を走る「龍源寺間歩」行きのバスがあったのだが、2008年に廃止となっている。
・「石見銀山公園」から先は、観光車両は進入禁止である。(福祉車両等には、通行証を交付するというが、
 それでも車の進入は、「旧清水寺前停留所」までで、そこから先約1kmは、車いす等を利用することになる)
・往復歩ける人はよいのだが、5kmを歩くのがつらい人は、「ベロタクシー」か「レンタサイクル」を利用することになるのだが、
 「遊歩道」は狭く(一部階段もある)、「ベロタクシー」「レンタサイクル」共に進入禁止となっている。
・車道(市道銀山線)、遊歩道共に「見どころ」は多いので、往復を歩くのであれば、往きと帰りの道は分けた方が良い。
・車道(市道銀山線)と遊歩道は、平行しており、途中双方をつなぐ道が何ヶ所かあるので、「レンタサイクル」であれば、
 車道と遊歩道の行き来が可能である。
・「ベロタクシー」は、自転車タクシーのことで、最大定員は、運転手を除き、大人2名(+幼児1名)である
 また、「ベロタクシー」も「旧清水寺前停留所」までしか入らないという。
・「ベロタクシー」を利用する場合でも、片道は歩いてほしいと思うのだが、この場合「龍源寺間歩」は、「石見銀山公園」よりも、
 標高が約90m高いため、体力的には、往きに「ベロタクシー」を使い、帰りは遊歩道を歩く方が多少楽である。
2012/5/12(8:40)
「遊歩道」に入る。
入るなり階段であるが、遊歩道には階段の数は
少なく、急な傾斜もないため歩きやすい。
(ただし、神社等に立ち寄る場合は、参道等に、
急な階段もある)
2012/5/12(8:43)
「妙正寺」。
日蓮宗妙覚寺派のお寺で、昭和18年(1943)の
大水害で本堂などの建物は倒壊。近年再建された
とあり、背後の丘陵斜面には、戦国時代から昭和
初期にかけての、559基の墓石が確認されて
いるという。
2012/5/12(8:46)
「妙正寺」から「大久保石見守」の墓の間の
遊歩道。
2012/5/12(8:47)
「大久保石見守」の墓入口。
2012/5/12(8:48)
「大久保石見守」の墓。
「大久保石見守」は、銀山の発掘を「竪堀り」
から「坑道堀り」に改め、「石見銀山」の最盛期
をつくったとある。
2012/5/12(8:51)
「大安寺跡」の標石。
「大安寺」は、「大久保石見守」が建立し、
自分の名前(大久保長安)から2文字を寺の
名前にしたという。
2012/5/12(8:52)
「大久保石見守」の墓から「豊栄神社」の間の
遊歩道。
2012/5/12(8:54)
遊歩道から見る「豊栄神社」。
2012/5/12(8:55)
遊歩道から5.25倍ズームで撮る「豊栄神社」。
2012/5/12(8:56)
橋(銀山川)を渡り対岸の「豊栄神社」へ
向かう。
なお、橋を渡ったところは、遊歩道と平行に走る
車道(市道銀山線)である。
2012/5/12(8:58)
「豊栄神社」の鳥居。
2012/5/12(8:58)
「豊栄神社」の山門。
2012/5/12(8:58)
「豊栄神社」。
戦国時代の武将で、16世紀後半に「石見銀山」
を支配した「毛利元就」を祀る。
2012/5/12(9:03)
「龍昌寺跡」入口。
「豊栄神社」から遊歩道に戻り、「龍源寺間歩」
の方向に少し歩いたところにある。
2012/5/12(9:06)
「龍昌寺跡」。
寺は、この辺りにあったのであろう。周りには
古い「墓石」が散在する。
2012/5/12(9:11)
「銀山大盛祈願道場碑」。
この先の「龍昌寺」が、鉱山の発展を祈願する
「祈願道場」として指定されていたという。
2012/5/12(9:13)
「安養寺」。
元は、天台宗の寺院であったが、16世紀に入り
浄土真宗に改宗。特に石見銀山で働く労働者から
信仰されたという。
2012/5/12(9:15)
「清水谷製錬所跡」入口。
標識には「製錬所跡まで あと160m」とある。
左の方向へと入ってみる。
2012/5/12(9:17)
お城の「石垣」の様に見えるが、距離的にも、
これが「製錬所跡」であろう。
2012/5/12(9:18)
「清水谷製錬所跡」の案内板。
「福石鉱床」で採掘した鉱石は、本谷の金生坑
から清水谷の蔵之丞坑まで800m運ばれた後、
トロッコ道を経て選鉱場で選鉱され、さらに製錬
所(この場所)の最上段までトロッコで運ばれた
とある。
写真をクリックすると「清水谷製錬所跡」周辺の
地図(1024x360)が表示されます。
2012/5/12(9:20)
上の方に「炉」の様なものが見えている。
「清水谷製錬所」は、鉱石の品質が予想より
悪く、また設備の精錬能力も充分でなかった
ことから、明治29年(1896)の創業開始から
わずか1年半で創業を停止したという。
2012/5/12(9:22)
「清水谷製錬所跡」の中段。
2012/5/12(9:24)
左の写真の1段上。
見学道は、選鉱場跡まで続くのだが、この日は
ここでUターン。遊歩道へと戻る。
2012/5/12(9:31)
「清水寺」の山門と偏額。
山門は、元神宮寺(佐毘売山神社の別当寺)の
山門であったが、昭和6年(1931)に「清水寺」と
合併し移築。また、偏額は57代目代官「加藤
餘十郎」の筆で「銀華厳」と刻まれる。
2012/5/12(9:31)
「清水寺」山門の「石造毘沙門天立像(左)」
と「石造不動明王立像(右)」。
いづれも福光石で、彩色がほどこされ、江戸末期
のものと推定されるとある。
2012/5/12(9:32)
「清水寺」の本堂。
「清水寺」は、真言宗の古刹寺院で、推古天皇の
命により620年、仙ノ山の頂上(石銀地区)に
天智院天池寺として建立され、延暦17年(798)
、清水谷に移転するとともに、「清水寺」と改名
したという。
本堂の天上には、丸に桐(きり)、鷹(たか)の
羽紋、長安の家紋である「下り藤」などが描かれ
ている。
2012/5/12(9:32)
「清水寺」境内にある「羅漢像」。
2012/5/12(9:33)
「清水寺」境内にある「石仏」等。
2012/5/12(9:38)
「清水寺」と「吉岡出雲墓」の間にある休憩所。
2012/5/12(9:40)
「休憩所」と「吉岡出雲墓」の間の遊歩道。
遊歩道の右には「銀山川」が流れる。
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