友ヶ島
(加太港~第1砲台跡)

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2012/3/22(8:30)
「加太港」。
「友ヶ島」は、紀淡海峡(友ヶ島水道)に浮かぶ
無人島群で、「友ヶ島」という名前の島はなく、
「地ノ島」「神島」「沖ノ島」「虎島」の総称で
ある。
一般に「友ヶ島」というと「沖ノ島」のことで、
本ページで紹介するのも「沖ノ島」であるが、
この島へ渡る橋はなく、唯一の公共交通機関が、
「加太港」から出る「友ヶ島汽船」である。

2012/3/22(8:49)
「加太港」-「友ヶ島」を結ぶ「ともがしま」。
2012年現在、運行するのは、「ともがしま」
1隻のみという。
通年営業ではあるが、平日は運行しない日もある
し、オンシーズン以外は運行本数も少ないので、
利用に当たっては注意が必要である。
この日は、9時発の船に乗る。

2012/3/22(9:15)
船上から見る「虎島」の柱状節理。
船(ともがしま)の大きさは、全長16.65m。
総トン数19と小さいが、立席(50名)も含める
と、120名の旅客を乗せることができ、スピー
ドはモーターボート並みの早さである。

2012/3/22(9:23)
「友ヶ島(沖ノ島)」の「野奈浦桟橋」。
「加太港」から20分ほどで到着。
「友ヶ島(沖ノ島)」は、周囲8km程の島で、
明治時代から第2次世界大戦が終わるまで、軍事
要塞として使用され当時の煉瓦造りの砲台跡や
兵器庫跡が残ることで知られる。
また、磯遊び、魚釣り、キャンプなどでも人気の
島である。
2012/3/22(9:24)
「野奈浦桟橋」前にある「野奈浦公園」。
右奥の建物が「友ヶ荘」。島内には、他にも宿泊
施設などはあるのだが、定住者のいない無人島で
あり、売店も水道もないので必要なものは持ち
込まなければならない。自己完結型循環式水洗
トイレは島内に3ヶ所あるが、これも島の広さ
から見れば少ないので注意が必要である。
なお、島内の地図とハイキングコースを書いた
パンフレットが「加太港」に置いてあるので、
これも持って歩くと安心である。
2012/3/22(9:25)
「野奈浦公園」の案内板。
写真をクリックすると「沖ノ島」の地図が拡大
表示されます。
この地図は、1,280x560ピクセルあります。
地図上の文字を読みたいときには、表示された
画像をクリックし、スクロールバーを
ご利用下さい。
また、この地図は北の方向が左下に書かれて
いますので、留意願います。
「友ヶ島(沖ノ島)」のハイキングコースについて
名所探訪コース:「沖ノ島」の西側を歩くコースで、「野奈浦桟橋」から島の北側の道を西に「友ヶ島灯台」に向け歩き、
「タカノス山展望台」「第3砲台跡」を経由して「野奈浦桟橋」に戻る。
距離約3.3km、標準歩行時間1時間20分、標準所要時間2時間30分のコースである。
自然散策コース:「野奈浦桟橋」から東に歩き、途中「第4砲台跡」「深蛇池」に立ち寄りながら「虎島」を往復。
距離約6.1km、標準歩行時間2時間20分、標準所要時間3時間30分のコースである。
なお、「虎島」は、江戸時代における修験道の山伏修行の行場跡等が残る事で知られるが、「沖ノ島」北東部に連なる陸繋島であり、
満潮時は島への道が水没。「虎島」へは渡れなくなるので、このコースを歩く際には潮の満ち引きの時間帯を事前に調べておく必要がある。
上記2つのコースは、いずれも「加太港」に置いてあるパンフレットに記載されているもので、本ページでは「名所探訪コース」を紹介する。
2012/3/22(9:27)
「神社」。
「野奈浦公園」から西に歩くと、すぐの場所に
ある。
明治の中頃、旧陸軍の要塞工事の無事を祈願して
この場所に社を建立したという。
2012/3/22(9:28)
島内の遊歩道。
島内の歩道はほとんどが、かつての軍用道路で
あったため、舗装はされていないものの、道幅は
比較的広くしっかりしている。
2012/3/22(9:31)
「海の家(うみのや)」。
宿泊施設で、昼はOpenCafeもやっているという。
2012/3/22(9:32)
「海の家」の裏にある煉瓦造りの建物。
軍事要塞関連の倉庫に見えるが、パンフレット等
には記載がないため詳細不明。
2012/3/22(9:33)
「海の家」の先にある標識。
パンフレットには「誘導サイン」という名前で
記載され、これが島内に29ヶ所ある。
標識に「2」と書かれた数字が、パンフレットの
地図に書かれている番号と一致するため、現在地
が明確で心強い。
この標識には、左方向に「第5砲台跡0.2km」
とあるので、ちょっと寄り道をする。
2012/3/22(9:33)
「第5砲台跡」への道。
2012/3/22(9:35)
道の左に見えた池。
ダムのようになっており、島では貴重な水を得る
ために造ったものと思われる。
2012/3/22(9:36)
「第5砲台入口」。
当時は、ここに門が築かれていたのであろう。
2012/3/22(9:38)
「第5砲台跡」。
建物の壁は剥がれ落ちている。
2012/3/22(9:39)
床(足下)は煉瓦造りなのだが、平坦ではなく
凸凹である。
砲台の台座でもなさそうだが、詳細は不明。
2012/3/22(9:39)
建物内部。
床の部分は、一段低くなっている。
2012/3/22(9:46)
9時33分の標識まで戻り、更に西へと向かう。
2012/3/22(9:48)
海上に立てられた杭では、鳥が羽を休めていた。
2012/3/22(9:50)
遊歩道から見る「池尻浜」。
赤い屋根が「冨士屋別館」。
2012/3/22(9:54)
「冨士屋別館」。
この旅館の売りは「バーベキュー」のようだが、
この日は「お食事処」と書かれた左の建物の
シャッターは閉まっている。
HPには「年中無休」とあるのだが。
やはり、この島は無人島。
利用の際は予約を入れた方が良いであろう。
2012/3/22(9:56)
「冨士屋別館」の前で見る「蛇ヶ池」。
島の東側にある「深蛇池」と共に、和歌山県の
天然記念物に指定される「湿地帯植物群」で、
大昔に谷が波の力による土砂によってふさがれ、
内側にできた池だという。
2012/3/22(9:57)
「冨士屋別館」の前から見る「第2砲台跡」。
2012/3/22(9:57)
正面から見る「第2砲台跡」。
「第2砲台」は、終戦時に爆破処分されたため、
「友ヶ島」の砲台の中で一番被害が大きく、
周囲は立入禁止のロープで囲まれている。
2012/3/22(9:58)
少し離れて見る「第2砲台跡」。
2012/3/22(10:03)
「友ヶ島灯台」へと向かう。
上からの枝が覆い被さるように写るため、荒れた
道のように見えるが、実際は雰囲気の良い道で
ある。
2012/3/22(10:08)
「友ヶ島灯台」。
明治初期の大坂条約によって建設された5基の
灯台の一つで、日本でも8番目に建てられたと
いう洋風建築の灯台である。
写真をクリックすると灯台の拡大写真(450x600)が
表示されます。
2012/3/22(10:14)
「子午線広場」。
写真に写る「子午線標識」を東経135度の
日本標準時子午線が通る。
2012/3/22(10:19)
「第1砲台跡」。
ここも、階段にロープが張られ、下に降りること
はできなかった。
2012/3/22(10:20)
第1砲台跡近くから見る「航空保安無線施設」。
写真は、3倍ズームで撮影。実際は、随分と遠く
に見えるのだが、この先「池尻広場」から「航空
保安無線施設」までは坂を歩いて登ることに
なる。
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