このページの写真は、降雨の中撮影していますので、
雨粒が写っていたり、レンズに雨水が着いたまま撮影している写真があります。
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2012/3/23(9:54) 「水向地蔵」。 「玉川」を背にして、ここに並ぶ「地蔵菩薩」や 「不動明王」「観音菩薩」等を総称して「水向地 蔵」と呼び、奥の院に参詣する人々は、御供所で 経木(水向塔婆)を求めて、「水向地蔵」に 納め、水を手向けて先祖の冥福を祈るという。 |
2012/3/23(9:55) 「玉川」の対岸には「不動明王」か?。 2.75倍ズームにて撮影。 |
2012/3/23(10:02) 表参道に並ぶ「五輪塔」。 |
2012/3/23(10:06) 「織田信長墓所」。 さすが日本一の霊場。表参道沿いには、皇室、 公家、大名などの墓が多数並び、戦国大名に 至っては、その6割以上の墓所があると いわれる。 |
2012/3/23(10:08) 「有栖川家御宝塔」。 |
2012/3/23(10:09) 「興山応其上人廟」。 「応其上人」は、高野山を焼き討ちから救うと ともに、その復興に活躍したとある。 |
2012/3/23(10:11) 「豊臣家墓所」。 「豊臣秀吉公」とその母公、秀吉の弟である 「大納言秀長」と夫人など、豊臣一族の墓と ある。 |
2012/3/23(10:14) 「松平秀康及び同母霊屋」。 越前松平家初代当主「松平秀康」とその母公。 幅奥行き共に7.5mの二基の石廟が並ぶ。 |
2012/3/23(10:18) 「安芸 浅野家墓所」。 |
2012/3/23(10:18) 「法然上人供養塔」。 |
2012/3/23(10:22) 「加賀前田家二代利長墓所」。 |
2012/3/23(10:25) 「芭蕉句碑」。 「父母の しきりにこひし 雉子の声」とある。 |
2012/3/23(10:26) 杉木立の参道を「中の橋」に向かう。 |
2012/3/23(10:29) 「ビルマ方面戦没英霊納骨塔パコダ」。 |
2012/3/23(10:30) 「全国消防殉職者慰霊碑」。 近くには「東京消防慰霊碑」もある。 |
2012/3/23(10:35) 「密厳堂」。 高野山から離れ「新義真言宗」を唱え「根来寺」 を興した「覚鑁上人 興教大師」を祀る。 |
2012/3/23(10:37) 「松下電器物故者墓(左)」と「松下幸之助 供養塔(右)」。 |
2012/3/23(10:42) 「北ボルネオ戦没者墓所」。 |
2012/3/23(10:43) 「中の橋」。 「一の橋」と「御廟橋」の中間にあるため、 「中の橋」と呼ばれるが、正式には「手水橋 (ちょうずばし)」という。 下を流れる川は、昔から「金の河」と呼ばれ、 「三途の川」を表し、この橋を渡ると、死の世界 に入るといわれる。 |
2012/3/23(10:44) 「姿見の井戸」。 この井戸の水を飲めば、たちまち痛みが止まる ことから、古くは「薬井戸」という名前だったと いうが、江戸時代にはこの井戸を覗き、自分の姿 が水に映らなければ3年以内の命であるという 説が広まり「姿見の井戸」と呼ばれるように なったという。 |
2012/3/23(10:44) 「汗かき地蔵」。 世の中の人々の苦しみを、「汗かき地蔵」が 身代わりになり一身に受けているので、いつも 汗をかいているという。 この後、時間が許せば、「一の橋」まで歩きた かったのだが、「中の橋」を渡ったところを 左に曲がり、10時52分「裏参道入口」に戻る。 |