奥之院
(裏参道入口-御廟橋)

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雨粒が写っていたり、レンズに雨水が着いたまま撮影している写真があります。

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2012/3/23(9:05)
「裏参道入口」。
「奥之院」は、高野山の東側にあり、表参道の
入口が、バス停「奥之院口」。裏参道の入口は、
表参道入口から1km程東の、バス停「奥の院前」
にある。
なお、正しい参拝ルートは、バス停「奥之院口」
の「一の橋」から歩く表参道であるが、裏参道
入口の前には広い無料駐車場があるのと、
「弘法大師御廟」までの歩行距離が半分で済む
ため「裏参道」も人気はあるようである。

2012/3/23(9:07)
裏参道入口の「ガイドマップ」。
写真をクリックすると、ガイドマップが拡大表示
されます。
表示されるガイドマップは、1600x800ピクセル
あります。
ガイドマップの文字を読みたいときには、
表示された画像をクリックし、スクロールバーを
ご利用下さい。

2012/3/23(9:09)
裏参道を「弘法大師御廟」に向かう。
ここから「弘法大師御廟」までは、約1km。
表参道を「一の橋」から「弘法大師御廟」まで
歩くと、片道約2kmである。

2012/3/23(9:10,9:11)
裏参道をしばらく歩くと、周囲は様々な慰霊碑や供養塔などの建つ墓地となるが、
特にこの辺りは、企業の慰霊碑や供養塔などが目立つ。
写真は左が「新明和工業」、右が「福助株式会社」。
「新明和工業」の慰霊碑には、ロケットが立つ。
なお、表参道を含めた奥之院周辺には、お大師様の近くで供養されたいと願う墓石や、祈念碑、
慰霊碑等が建ち並び、その数は20万基とも数十万基を超えるともいわれる。
2012/3/23(9:13)
皇族の墓所を思わせるが、個人の墓のようだ。
周囲には企業名の入った創業家の墓等を含め、
とても個人とは思えないような立派な墓も多い。
なお、上の写真は個人の名前部分にぼかしを
入れています。
2012/3/23(9:14)
「救世観音」。
2012/3/23(9:17)
裏参道を更に奥へと進む。
2012/3/23(9:20)
参道の右に建つ「英霊殿」。
手前の赤い橋は「へいわばし」。
2012/3/23(9:20)
「英霊殿」。
第2次世界大戦の戦死者供養のため、昭和27年
(1952)に建立されたという。
2012/3/23(9:24)
裏参道に戻り更に奥へと進む。
2012/3/23(9:25)
「玉川橋」。
2012/3/23(9:25)
「玉川」沿いに立つ石塔。
2012/3/23(9:27)
「無縁塚」の近くで見る石像。
2012/3/23(9:28)
「無縁塚」。
おびただしい数の石像がピラミッド状に並ぶ。
これら石像は「奥之院」に「新燈籠堂」を
建てる際に、堀り起こされた地蔵尊、無縁仏を
集め、無縁塚として建立したという。
2012/3/23(9:29,9:30)
「無縁塚」に集められた「地蔵尊」「無縁仏」。
2012/3/23(9:32)
「頌徳殿(しょうとくでん)」。
大正4年(1915)、高野山開創1100年の記念
事業として建立される。
現在は、参拝者の休憩所として開放され、セルフ
サービスでお茶を飲むことができる。
2012/3/23(9:33)
「御供所」の門。
「御供所」は、昭和37年(1962)の火災で全焼。
後に再建されているが、この門は焼失を免れた
ものであろう。
2012/3/23(9:34)
「御供所」。
2012/3/23(9:36)
「護摩堂」。
2012/3/23(9:36)
近寄って見る「護摩堂」。
2012/3/23(9:37)
「御廟橋(みみょうのはし)」。
「御廟橋」から先は「弘法大師御廟」への霊域と
なるため、橋の手前で脱帽、服装を正し、一礼
して渡らなければならない。また、橋の先は写真
撮影も禁止されている。
2012/3/23(9:49)
「御廟橋」の案内板。
写真をクリックすると案内板が拡大表示され
ます。
この案内板は、1000x500ピクセルあります。
案内板の文字を読みたいときには、表示された
画像をクリックし、スクロールバーを
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