熊野本宮大社旧社地
(大斎原)

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2019/4/24(12:44,13:05)
「熊野本宮大社」参道入口と旧社地「大斎原」の入口。
「大斎原(おおゆのはら)」は、熊野本宮大社の主祭神「家津美御子大神(けつみこおおかみ)」が
降臨したとされる聖地(パワースポット)で、明治22年(1889)の大洪水で流されるまで、
「熊野本宮大社」があった場所である。
旧社地には、日本一の大鳥居が立つことでも知られ、「熊野権現」12柱の神さまの内、
洪水で流失した8柱と熊野本宮大社の摂末社が、それぞれ石の祠に祀られている。
右の写真、旧社地「大斎原」への入口は道路を隔て、見た目には分かりづらいが、
大きな字で「大斎原」と書かれた看板には、「大斎原」の方向を大きな赤い矢印で示している。
2019/4/24(13:05)
旧社地「大斎原」への入口。
入口を入ったところにも、「大斎原 徒歩5分」の
看板が掛かる。
2019/4/24(13:07)
正面に立つ標識には、「産田社」が左の方向に
あることを示している。
2019/4/24(13:08)
「産田社」の鳥居。
「産田社(うぶたしゃ)」は、熊野本宮大社の
末社で、御祭神は、「伊邪那美命(荒魂)」。
女性の守り神である。
2019/4/24(13:09)
「産田社」。
大きな石の台座の上に、小さな祠が乗る。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2019/4/24(13:09)
「産田社」から見る大鳥居。
2019/4/24(13:11)
旧社地「大斎原」へと歩く。
参道脇の水路には、「イモリ(井守)」が棲む。
「イモリ」の写真は、本ページ最後に掲載。
2019/4/24(13:12)
日本一の「大鳥居」。
平成12年(2000)5月11日竣工。
幅約42m、高さ約34m。
「熊野の大神の御神徳が発揚かつ千木高く
厳然として鎮まりますよう、ここ大斎原に
日本最大の第一大鳥居を建立する」とある。
写真をクリックすると「日本一大鳥居建立の
意義」と書かれた案内板が表示されます。
この画像は、1,100x650ピクセルあります。
画像の文字を読みたいときには、表示された
画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2019/4/24(13:15)
「世界遺産の碑」。
2019/4/24(13:15)
「大斎原」参道の杉林。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2019/4/24(13:17)
旧社地「大斎原」。
旧社地は、一見ただの広場である。
よく見ると、その右奥に2基の「石祠」が並ぶ。
その左側の祠が、明治22年(1889)の大洪水で
流失した「熊野権現8柱」。
右側の祠は、旧社地の境内に祀られていた
「摂末社」である。
写真をクリックすると別角度から撮る
「大斎原」の写真(600x450)が表示されます。
2019/4/24(13:19)
熊野坐神社 旧社(大斎原)水害前の絵図。
案内板には、旧社鳥瞰絵図と熊野坐神社
水害前の写真に加え、「江戸時代までは橋がなく、
参拝者は足を濡らしながら川を渡り、
身を清めた(濡藁沓の入堂)」等が書かれる。
写真をクリックすると案内板を切抜く画像が
表示されます。
この画像は、1,600x800ピクセルあります。
画像の文字を読みたいときには、表示された
画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2019/4/24(13:19)
杉林の中を戻る。
2019/4/24(13:23)
参道脇の水路に棲む「イモリ(井守)」。
写真に写るのは2匹だが、水路ではこの他にも
多くの「イモリ」を見ることができた。
写真をクリックすると11.75倍ズームで撮る
「イモリ」が表示されます。

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