東大寺周辺
(二月堂他)

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2012/3/21(10:43)
「大仏殿」を出て、「手向山八幡宮」への参道を
歩く。

2012/3/21(10:43)
「奈良公園観光案内図」。
この案内図は、広範囲に書かれているが、ピント
が甘いため、今回歩いた周辺の案内図は、下の
10時52分の写真で紹介する。

2012/3/21(10:45)
「花まつり千僧法要記念宝塔」。
「手向山八幡宮」の鳥居手前左側にある。
この宝塔は、仏法を象徴する神聖な獅子をかたど
ったサルナートのアショカピラー柱頭部を忠実に
再元したという。また、宝塔の下には、全国から
寄せられた未来へのメッセージを封印したタイム
カプセルが埋設され、日本に仏教が伝わって
1,500年となる西暦2,038年に開封され
るという。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。

2012/3/21(10:47)
「相輪」。
高さ23.3m。「花まつり千僧法要記念宝塔」
の隣にある。
この相輪は、1,200年前に東大寺にあったと
いう七重塔を再現し、昭和45年(1970)に開催
された大阪万博覧会の「万博古河館」に出展され
た「東大寺 七重塔」のものだという。
2012/3/21(10:48)
「手向山八幡宮」の鳥居。
2012/3/21(10:48)
「手向山八幡宮」への参道。
2012/3/21(10:52)
「東大寺境内案内図」。
「手向山八幡宮」への参道を途中で斜め左に
入り、「法華堂(三月堂)」の方向に向かうと、
左側にある。
この案内図には、本ページで紹介している、
ほぼ全域が書かれています。
写真をクリックすると案内図が拡大表示され
ます。
なお、この案内図は、1024x1024ピクセルあり
ます。
案内図の文字を読みたいときには、表示された
画像をクリックし、スクロールバーを
ご利用下さい。
2012/3/21(10:53)
「鐘楼(大鐘)」。
案内図を左に入った広場風の場所に建つ。
鐘楼は、鎌倉時代に建てられた和様/唐様/天竺様
の三様式を融合したもので、その高さは13m。
中に吊されている梵鐘の大きさは、高さ3.85m、
口径2.71m。重さは26.4㌧という。
周囲には「念仏堂」「行基堂」「俊乗堂」と
合わせて4つの施設が並ぶが、「行基堂」は
改築中のため本ページで紹介できなかった。
2012/3/21(10:54)
「念仏堂」。
鎌倉時代の建物で、「地蔵菩薩坐像」を
安置しているという。
2012/3/21(10:55)
「俊乗堂(しゅんじょうどう」。
現在の堂は宝永元年(1704)に再建されたもの。
造東大寺の大勧進職として、「大仏」と
「大仏殿」の再興を成し遂げた中興の祖、
「俊乗坊重源」を祀る。
2012/3/21(10:58)
元の道に戻り「法華堂(三月堂)」の方向へと
足を進める。
2012/3/21(11:00)
「三昧堂(四月堂)」。
「本尊千手観音像」、「阿弥陀如来坐像」などを
安置する。
2012/3/21(11:02)
「閼伽井屋(あかいや)」。
この建物の中には井戸があり、「お水取り(修二
会)」において、「十一面観世音菩薩」にお供え
するお香水(閼伽水)を汲む儀式が、ここで行わ
れる。
2012/3/21(11:02)
「二月堂」。
奈良の早春の風物詩である「お水取り(修二会)」
の行事が、旧暦の2月に行われることから「二月
堂」と呼ばれる。
「修二会(しゅにえ)」は、二月堂の本尊「十一
面観世音」に、練行衆と呼ばれる精進潔斎した
行者が、自らの過去の罪障を懺悔し、その功徳に
より興隆仏法、天下泰安、万民豊楽、五穀豊穣等
を祈る法要行事である。
「二月堂」の正面(西)手前には「良弁杉」と、
その右に、東大寺の地主神「興成社」がある。
また、左には屋根付き階段も写っている。
2012/3/21(11:06)
「二月堂」南面。
「二月堂」の建物は、寛文7年(1667)、修二会
の満行に近い2月13日に失火で焼失。現在の
二月堂はその直後の寛文9年(1669)、江戸幕府
の援助を得て、従前の規模・形式を踏襲して再建
されたという。
2012/3/21(11:06)
「二月堂手水舎」。
「二月堂」南面にある。
写真右には、「飯道社」が写る。
「飯道社」は、修二会を始めた「実忠和尚(じっ
ちゅうかしょう)」ゆかりの地である近江国甲賀
郡の「飯道神社」を勧請したものとされるが、
正確な由来については分かっていないという。
2012/3/21(11:11)
「二月堂」西面回廊。
「修二会」の大松明は、写真左の高欄(装飾と
安全を兼ねた手すり)から突き出す。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2012/3/21(11:12)
「二月堂拝殿」。
「二月堂」西面回廊にある。
「二月堂」の本尊「十一面観音」は、内陣中央に
安置される「大観音(おおがんのん)」と大観音
の手前に安置されている「小観音(こがんのん)
」の大小2体があり、いずれも絶対の秘仏で、
「修二会」の法要を務める練行衆(特に選ばれた
11名の僧)でさえも、その姿を見ることは
許されないという。
2012/3/21(11:12)
「二月堂」西面回廊から見る奈良市街方面の景色。
写真ほぼ中央に、「大仏殿」の大屋根が見えている。写真では小さく写るが、その高さは「大仏殿」よりも手前の高台に立つ木の高さを超えている。
2012/3/21(11:14)
「二月堂」北側の屋根付き階段。
「登廊」と呼ばれ、練行衆が参籠宿舎から
「二月堂」へ上堂する時にここを通る。
2012/3/21(11:16)
屋根付き階段を下りたところから振り返る
「二月堂」。
2012/3/21(11:20)
「法華堂(三月堂)」。
「二月堂」の南側に建つ。
旧暦3月に「法華会(ほっけえ)」が行われる
ことから「法華堂(三月堂)」と呼ばれる。
「東大寺」の中でも数少ない奈良時代建築の1つで
あり、堂内には多数の仏像が安置される。
2012/3/21(11:22)
「不動堂」。
「法華堂(三月堂)」の東側に建つ。
建物は室町時代の建築というが、詳細は不明。
2012/3/21(11:27)
「法華堂経庫」。
「法華堂(三月堂)」の南側に建つ。
平安時代初期に建てられた校倉造(あぜくら
づくり)の倉庫。
前に立つ「御髪塔(十三重石塔)」は、大仏殿の
再建で使用された黒髪のロープを埋めて祀ると
いう。
2012/3/21(11:29)
「手向山八幡宮宝庫」。
「手向山八幡宮」正面右にある。
奈良時代に建てられた校倉造の建物で、もとは
東大寺油倉の上司倉だったという。
2012/3/21(11:29)
「手向山八幡宮」。
「手向山八幡宮」の鳥居から参道を真っ直ぐに
進むと正面に建ち、写真左には「法華堂経庫」、
右に「手向山八幡宮宝庫」が建つ。
2012/3/21(11:30)
「手向山八幡宮」境内。
「手向山八幡宮」は、東大寺及び大仏を建立する
にあたって宇佐八幡宮より東大寺の守護神として
勧請されたという。
2012/3/21(11:36)
「若草山(標高:342m)」。
「手向山八幡宮」境内を南に歩き「若草山」まで
きたが、中は有料のため周囲は柵で囲まれて
いる。また、「三笠山」とも呼ばれ、三つの笠を
重ねたような形のため、下から山頂を望むことは
できない。
山頂までは歩いて約40分程度。山麓、一重目、
二重目、山頂(三重目)、鶯塚古墳周辺と変化
する景観が楽しめるというので、中に入るので
あれば、ぜひ山頂を目指すことをお勧めする。
なお、「若草山」山頂の様子は、「奈良奥山
ドライブウェイ」のページで紹介しています。
2012/3/21(11:54)
「手向山八幡宮」の鳥居から「東大寺 中門」を経由し、「鏡池」まで戻る。
池の中央にある島の形が「柄の付いた鏡」の形をしていることから「鏡池」と呼ばれる。
島には「弁財天」が祀られ、池には県の天然記念物に指定される鯉科の淡水魚「ワタカ」が生息するという。
2012/3/21(11:56)
「東大寺 勧学院」。
空海が、光仁13年(821)、勅許を受けて開設
した「灌頂道場」が始まりといわれ、仏教や文化
の講座が開かれている。誰でも無料で聴講できる
ようだが、コピー、テキスト代等は有料とある。
2012/3/21(11:57)
「南大門」近くで振り返る。
正面に見えるのが「東大寺 中門」。
2012/3/21(11:57)
「東大寺総合文化センター」。
「南大門」北西側にある。
図書館、ミュージアム、収蔵庫、寺史研究所、
華厳学研究所、金鐘会館からなる複合施設で、
東大寺の教学・歴史・文化の発信基地。
2012/3/21(11:59,12:00)
南大門の「石造獅子」。
当初は「東大寺 中門」に安置されていたというが、現在は「南大門」北側(大仏殿側)の左右に
1体ずつ安置されている。
左の写真が東側にある「石造獅子」で、高さ約180㎝。
右の写真が西側にある「石造獅子」で、高さ約160㎝。
いずれも、鎌倉時代前期の作といわれ、国の重要文化財に指定されている。
2012/3/21(11:25)
奈良公園「春日野園地」にてくつろぐ鹿。
奈良公園の鹿は、国の天然記念物に指定されて
いる野生動物であり、所有者はいないが、無許可
での捕獲や傷痍行為には、罰則が科せられる。

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