東大寺周辺
(大仏殿他)

「東大寺周辺」のページは、2部構成になっています。
本ページの下に、関連ページへのハイパーリンクがあります。

この下にある「プルダウンメニュー」が表示されない場合は、ページ最下行にあるハイパーリンクをご利用下さい。





2012/3/21(10:02)
「南大門」に近い駐車場を利用。
駐車場から参道に出たところで、奈良公園名物の
「鹿」の歓迎を受ける。

2012/3/21(10:03)
「東大寺 南大門」。
門の高さは基壇上25.46m。わが国最大の
山門といわれる。天平創建時の門は平安時代に
大風で倒壊。現在の門は鎌倉時代に再建したもの
だという。

2012/3/21(10:04)
「南大門」西側の「金剛力士立像」。
大仏殿に向かって左(西)側には、口を開いた
「阿形(あぎょう)像」が安置されている。
高さ8.4mの木造。金網で囲まれているため、
擦れたような画像になっているが、夜ライト
アップされているときには綺麗な写真が撮れる
という。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。

2012/3/21(10:05)
「南大門」東側の「金剛力士立像」。
大仏殿に向かって右(東)側には、口を閉じた
「吽形(うんぎょう)像」が安置されている。
高さ8.4mの木造。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2012/3/21(10:09)
「東大寺 中門」。
「南大門」から北に240m程のところにある。
「大仏殿(金堂)」は、「中門」の中にあるが、
「中門」からの出入りはできず、入口が左(西)、
出口は右(東)の方向にある。
2012/3/21(10:10)
「大仏殿(金堂)」入口付近から、「中門」を
振り返る。
2012/3/21(10:11)
「東大寺 大仏殿(金堂)」。
「大仏殿(金堂)」入口を入ったところで撮影。
初代は8世紀に造られるが、その後2度の兵火で
焼け落ち、現在の大仏殿は江戸時代に再建された
という。
2012/3/21(10:13)
「東大寺 大仏殿(金堂)」。
「中門」の内側から撮影。
「大仏殿(金堂)」の大きさは、間口57.01m。
高さ48.74mであり、その大きさは前を歩く
人の大きさ(小ささ)からも想像できる。
なお、高さと奥行きは創建時とほぼ同じだが、
間口は、再建時に木材の調達ができず、創建時の
87mから約2/3に縮小されたという。
2012/3/21(10:15)
「東大寺 大仏殿(金堂)」。
前に立つ「八角灯籠」も国宝に指定され、高さは
4.62mある。とにかく何もかもが「でかい」と
いう感じである。
2012/3/21(10:14)
「東大寺 大仏殿(金堂)」。
「中門」の内側から撮影。
地図に定規を当ててみると、この中庭の幅は120m程である。
2012/3/21(10:16)
「八角灯籠」と「大仏殿(金堂)」。
2012/3/21(10:18)
「賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)」。
「大仏殿(金堂)」前の東側に安置されている。
怖い顔をしているが、病人が患っている箇所と
同じ部分を撫でると治るといい、「撫仏(なで
ぼとけ)」とも呼ばれているという。
写真をクリックすると「賓頭盧尊者」の説明が、
表示されます。
なお、この説明は、1024x287ピクセルあります。
案内板の文字を読みたいときには、表示された
画像をクリックし、スクロールバーを
ご利用下さい。
2012/3/21(10:20)
「東大寺 盧舎那大仏(本尊)」。
奈良の大仏と呼ばれ、像高(座高)14.98m。
手のひらの高さだけでも1.48mという、
日本一の大仏さまである。
台座と袖、脚などの一部には8世紀に造られた
創建時の部分を残すが、体部の大部分は中世の
作で、頭部は江戸時代の作だという。
2012/3/21(10:21)
斜めに見る「東大寺 盧舎那大仏(本尊)」。
この後、大仏殿の中を時計回りに一周する。
2012/3/21(10:22)
「大仏蓮弁」。
大仏に向かって左下に展示されている原寸模型。
「蓮弁(れんべん)」とは、大仏さまが座って
いる蓮台の周りに飾られている「ハスの花びら」
のこと。
「蓮弁」には、蓮華蔵世界を表した図様が毛彫で
線刻され、奈良時代に描かれた仏画として大変
貴重なものだという。
2012/3/21(10:23)
大仏に向かって左側に控える「虚空蔵菩薩」。
宝暦2年(1752)完成。高さ7.1m。
金箔が塗られているが、木造の仏教彫刻である。
2012/3/21(10:24)
「廣目天(こうもくてん)」。
大仏殿の北西に安置される。
四天王の一尊で、左手に巻物、右手に筆を持つ。
2012/3/21(10:28)
大仏殿の北東の展示物。
昭和の大修理で交換される以前に使用されていた
「鬼瓦(一番左)」や「鴟尾(しび:鬼瓦の右に
ある。屋根の大棟の両端につけられる飾り)」等が
展示されている。
2012/3/21(10:29)
「増長天像(左)」と「持国天像(右)」の頭部。
四天王のうち2体は未完のまま終わり、頭部だけ
が現在に残る。
2012/3/21(10:32)
「多聞天(たもんてん)」。
大仏殿の北東に安置される。
四天王の一尊で、左手に宝棒(仏敵を打ち据える
護法の棍棒)、右手に宝塔(仏塔)を持つ。
2012/3/21(10:34)
大仏殿「柱の穴くぐり」。
柱の穴は、大仏殿の堂内に「邪気」が流れ込む、
「鬼門(北東)」の位置にあり、「邪気」が柱に
当たって堂内に蔓延することのないように、
穴を空け「邪気」を素通りさせるために空けたと
いう。
穴の大きさは、大仏さまの鼻の穴と同じで、高さ
30cm、幅37cm、長さ120cm。この穴を
くぐり抜けると様々なご利益があるというので、
観光客には大変な人気で、写真の女性は、穴を
くぐり抜けることに成功した瞬間の記念撮影で
ある。(足先が柱の右側に残っている)
2012/3/21(10:35)
大仏に向かって右側に控える「如意輪観音
坐像」。
元文3年(1738)頃の完成。高さ7.22m。
金箔が塗られているが、木造の仏教彫刻である。
2012/3/21(10:36)
横から見る「東大寺 盧舎那大仏(本尊)」。
2012/3/21(10:40)
「大仏殿(金堂)」を出て、「回廊」を出口へと
向かう。
右手には、昭和55年(1980)10月に行われた
「昭和大修理落慶法要」の写真が飾られている。
写真をクリックすると「昭和大修理落慶法要」の
写真(600x450)が表示されます。
2012/3/21(10:42)
出口の手前で「大仏殿(金堂)」を振り返る。
このページは「東大寺周辺(二月堂他)」に
続きます。
下のハイパーリンクから、お進み下さい。

 旅の記録(奈良県)に戻る     東大寺周辺(二月堂他)に進む

 旅の記録に戻る    Donichi’s HomePageに戻る