この下にある「プルダウンメニュー」が表示されない場合は、ページ最下行にあるハイパーリンクをご利用下さい。
2019/04/22(10:52,10:55) 「遺構展示館」の駐車場と建物。 今から約1,300年前、現在の奈良市に造られた「平城京」。 その北側に、天皇が住み、都を治める官公庁が集中。 周囲を大垣で囲み、門から中に入ることができたのは、皇族や貴族、役人等の ごく限られた人たちであったというのが「平城宮(へいじょうきゅう)」であり、 国の特別史跡に指定され、世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産の一つにもなっている。 場所は、現在のJR「奈良駅」から西北西に約2.5kmを中心とする広さ約120㌶。 南北約1km、東西約1.3kmという広大な土地にあり、平成20年(2008)には、 国営公園として整備することが閣議決定。「奈良時代を今に感じる空間を創出」を 基本理念に、誰でもが自由に散策を楽しめる「平城宮跡歴史公園」として、 建物の復原や遺構の展示などの整備が進められている。 将来的には、宮跡内を走る道路や鉄道も移設、移転。 段階的な整備、開園を進めるというから、なんとも壮大な計画である。 写真の「遺構展示館」は、「平城宮跡」の北東部にあり、ここをスタート地点とする、 約40分(2.7km)~60分(3.7km)の散策コースも整備されている。 公園内には、駐車場が4ヶ所にあり、「朱雀門ひろば」にある「交通ターミナル駐車場」のみは 有料だが、遺構展示館駐車場(左の写真)を含む、他の3ヶ所は、無料で利用できる。 また、園内の各施設も、現時点(2019)では、全て(食事処等を除く)が無料で利用できる。 左の写真をクリックすると「平城宮跡」の案内板が表示されます。 この画像は、960x880ピクセルあります。 案内板の文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。 右の写真をクリックすると「平城宮跡」と周辺の散策コースが書かれる案内板が表示されます。 この画像は、1,280x850ピクセルあります。 案内板の文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。 |
2019/04/22(10:55) 「遺構展示館」の西側を南に向け歩く。 写真左奥には、「推定宮内省(宮内省)」、 右の方向には、「内裏」がある。 なお、本ページで紹介する名称については、 より詳細に記載される「平城宮跡歴史公園」の 公式ホームページの「エリア紹介」から ダウンロードした「ガイドマップ」に従うが、 一部、園内に立つ案内図とは名称が異なる。 このため、異なる場合は、ガイドマップに 書かれる名称の後ろに、案内図の名称を()で 囲んで記述している。 つまり、「推定宮内省」は、ガイドマップに、 書かれる名称だが、園内の案内図には、 「宮内省」と書かれている。 写真をクリックすると園内に立つ「平城宮跡」の 案内図が表示されます。 この画像は、960x750ピクセルあります。 案内図の文字を読みたいときには、 表示された画像をクリックし、スクロールバーを ご利用下さい。 注:この案内図に「現在地」と書かれた場所は、 上記写真を撮影した場所とは異なります。 |
|
2019/04/22(11:00) 「内裏」の南端から見る南側の景色。 写真左端の建物は、「推定宮内省(宮内省)」。中央から右に、「第二次大極殿」の基礎部分。 右端、「素屋根」で覆われる建物は、復原工事中の「南門」。 「大極殿」は、天皇の即位や外国使節との謁見など国家の重要な儀式が行われた「平城宮」の中心建物である。 奈良時代の都は、「平城京」→「恭仁京」→「難波京」→「紫香楽宮」→「平城京」と転々と移(遷都)されている。 「第一次大極殿」は、奈良時代前期「元明天皇」が建設され、「恭仁京」に遷都の際に解体・移築された。 「第二次大極殿」は、奈良時代後期「聖武天皇」の手により、都が「平城京」に戻された際、 「第一次大極殿」が建っていた場所の東側に再建されたものである。 つまり、「第一次大極殿」は、奈良時代前期「元明天皇」が建てた「大極殿」であり、建物が復原されている。 また、写真の「第二次大極殿」は、奈良時代後期「聖武天皇」により再建された「大極殿」の跡地に、 建物の基礎部分が復原(基壇復原)されたものである。 |
||
2019/04/22(11:01) 「第一次大極殿(復原建物)」。 南北320m、東西180mの「第一次大極殿院」 と呼ばれる区画の中に、幅約44m、奥行き 約20m、高さ約27mという「平城宮」の中でも、 最大の宮殿「第一次大極殿」が復原されており、 宮殿内部も無料で公開されている。 写真をクリックすると更に近づいて撮る 「第一次大極殿」が表示(600x450)されます。 |
2019/04/22(11:01) 「内裏」の南端から見る「第二次大極殿」。 奈良時代後期「聖武天皇」により再建された 「大極殿」の跡地に、建物の基礎部分が 復原(基壇復原)されている。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2019/04/22(11:19) 「内裏」。 天皇の私的な住まいの跡地である。 何もない「原っぱ」のように見えるが、 奥に見える植樹は、建物の柱を表現している。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2019/04/22(11:00) 「第二次大極殿」の北側から見る北方向の景色。 写真左方に、「第一次大極殿」。中央に、「内裏(天皇の住まい)」。右端に、「推定宮内省(宮内省)」。 |
||
2019/04/22(11:09) 「第一次大極殿院」。 写真は、「第一次大極殿院」の東南端から撮影。 「第一次大極殿院」は、「第一次大極殿」と、その前に広がる区画で、奈良時代前期、 国家的な儀式が行われた場所である。 左に、復原工事中の「第一次大極殿院南門」。その右(中央)に、「第一次大極殿」。 「第一次大極殿院」では、大極殿を取り囲む「築地回廊」や「東西楼」等の復原整備も計画されているという。 |
||
2019/04/22(11:10) 「第一次大極殿院」の東南端から見る南方向の景色。 写真右に、「中央区朝堂院(第一次朝堂院)」、奥には、「平城宮」の正門「朱雀門」。 公園内には、複数の建物が復原され、今後も整備されていくであろうが、現時点(2019)での 「平城宮跡歴史公園」を代表する景色が、この写真であろう。 とにかく広い。県の中核駅からわずか2.5km程の場所に、これだけ広大な「更地」が残る。 さすがに「古都奈良県」。これが「奈良県」と思ったのが、正直な感想である。 |
||
2019/04/22(11:07) 「中央区朝堂院(第一次朝堂院)」。 「中央区朝堂院(第一次朝堂院)」は、 奈良時代前期の役人が仕事をしていた 役所のあった区画である。 写真をクリックすると8.5倍ズームで撮る 「朱雀門」が表示(600x450)されます。 |
2019/04/22(11:22) 「推定宮内省(宮内省)」。 天皇を支える役所があった区画に「築地塀」と 建物が復原されている。 写真をクリックすると「推定宮内省」の建物を 撮る写真(600x450)が表示されます。 |
2019/04/22(11:24) 「推定宮内省(宮内省)」の東側から見る 「遺構展示館」。 「遺構展示館(入館無料)」では、奈良時代の 役所の建物跡を発見当時の状態で保存・展示。 復原した建物の模型なども展示する。 |
2019/04/22(11:25) 写真奥に、「推定宮内省(宮内省)」。 ここを南(写真左)に、「宇奈多理神社」に向かう。 |
2019/04/22(11:31) 「東院庭園駐車場」の南側を 「宇奈多理神社」へと歩く。 「宇奈多理神社」は、正面の森の中に建つ。 |
2019/04/22(11:34) 「宇奈多理神社」の鳥居。 |
2019/04/22(11:35) 「宇奈多理神社」。 創建年代は不明だが、延喜式神名帳に記載される 「式内大社」として古い歴史を持つという。 この日、門は閉じられていた。 写真をクリックすると門の隙間から撮る 神社境内(600x450)が表示されます。 |
2019/04/22(11:40,11:42) 「東院庭園」。 「東院庭園(入園無料)」は、奈良時代の天皇や貴族が宴会などを行った建物や庭園が 復原されているのだが、この日は休園日で、入園門は閉ざされていた(右の写真)。 参考:「平城宮跡」にある各施設は一部を除き、月曜日が休館日となっている 左の写真は、庭園脇から撮影。小枝越しで、全体を見ることはできないが、 赤い建物の前には池が造られているのが分かる。 左の写真をクリックすると拡大写真(600x450)が表示されます。 右の写真をクリックすると門の内側を撮る写真(600x450)が表示されます。 |
|
2019/04/22(11:42) 「建部門(東院南門)」。 「建部門(たけべもん)」は、「平城宮」の 南東端に位置し、かつては皇太子の 宮殿などもあった「東院エリア」の正門で、 法隆寺の「東大門」をモデルに復原したという。 |
2019/04/22(11:45) 「東院庭園」の西側から見る「朱雀門」。 写真中央奥には、「朱雀門」が写る。 撮影場所は、ガイドマップに「小子部門(的門)」 とあり、「基壇」が復原されているのだが、 詳細は不明。 |
2019/04/22(11:50) 「近鉄奈良線」の踏切を渡る。 写真左に、部分復原された「南面大垣」。 右に、「近鉄奈良線」の線路。 |
2019/04/22(11:51) 「二条大路」。 「二条大路」は、「平城宮」の南辺を 東西に通る幅約35mの大路で、 奈良時代前期の正門「朱雀門」や 奈良時代後期の正門「壬生門」の前(外側)に 面していた。 写真をクリックすると「二条大路と壬生門」の 案内板が表示されます。 この画像は、1,200x800ピクセルあります。 案内板の文字を読みたいときには、表示された 画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。 |
2019/04/22(11:57) 「平城宮いざない館」。 「平城宮いざない館(入館無料)」では、 平城宮全体の復原模型(1/200)や 大型映像、体験メニュー等により、 奈良時代の「平城京」が体験でき、 出土品や資料等も展示する。 |
2019/04/22(11:58) 「二条大路」と「朱雀門」。 「朱雀門」の前には、「朱雀門ひろば」があり、 現代の観光客にも、「平城宮」の表玄関として、 観光案内所を始め、土産物品や食事処、 有料駐車場などの各種施設が集まる。 写真をクリックすると「朱雀門ひろば」の 案内板が表示されます。 この画像は、850x960ピクセルあります。 案内板の文字を読みたいときには、表示された 画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。 |
このページは、平城宮跡歴史公園(2/2)に続きます。 平城宮跡歴史公園(2/2)のページへ |