この下にある「プルダウンメニュー」が表示されない場合は、ページ最下行にあるハイパーリンクをご利用下さい。
2019/4/22(8:50,8:53) 駐車場入口の料金所と案内猫「笠やん」の石像。 鹿鷺山「笠置寺(かさぎでら)」は、奈良県との県境に近い、JR関西本線「笠置駅」から 南東の方向に約800mの相楽郡笠置町にある真言宗智山派の寺である。 鎌倉時代末期、元弘の乱の舞台となった「笠置山(標高:289m)」を境内とし、 花崗岩の巨岩に仏像を刻んだ磨崖仏「弥勒仏」を本尊とする。 山岳信仰、巨石信仰の霊地ともいわれる境内には、1周800mの修行場があり、 かかとの高い靴でなければ、スニーカー程度の履き物で、巨岩を巡る(40分程)ことができる。 また、東大寺の「お水取り」の起源は「笠置寺」といわれており、東大寺の開山で初代別当 「良弁」の弟子「実忠」が笠置山で修行中に、龍穴という洞窟で見た「兜率天(天界)」の行法を 人間界に伝えたのが東大寺の「お水取り」だという。 左の写真、この日、駐車場と修行場入口の料金所は無人で、近づくと料金箱に金を投入するよう 促す音声が流れていた。 右の写真、「笠やん終焉の地」とあり、「笠置寺」には、以前、境内の行者巡りを案内する、 「笠やん」という名の雄猫がおり、分かれ道では「にゃ~」と鳴いて拝観客に教えていたが、 平成6年(1994)、この世を去り、「笠置寺」の境内に埋葬されているとある。 左の写真をクリックすると境内図(山上MAP)が表示されます。 この画像は、1,200x1,300ピクセルあります。 境内図の文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。 右の写真をクリックすると案内猫「笠やん」の石像(600x450)が表示されます。 |
2019/4/22(8:54) 山門に向かう。 駐車場から山門までは、徒歩で5分程の 上り坂である。 |
|
【注】麓から「笠置寺」の駐車場までの約1.1kmは、舗装はされているが、そのほとんどが 普通車同士でも離合困難の狭い道である。 カーブや離合場所の側溝には「蓋」があるのだが、狭くて離合できないような場所でも、 直線部分には「蓋」がない。このため、対向車と出くわし、離合可能な場所までバックする時には、 脱輪に十分な注意が必要である。 |
||
2019/4/22(8:56) 坂を登ると、正面上に「松本亭」。 「松本亭」は、明治23年(1890)創業。 「自遊宿」と銘打つ、老舗料理旅館で、 「きじ料理」が名物だという。 「松本亭」の手前を、標識に従い石段を登る。 |
2019/4/22(8:58) 「山門」。 |
2019/4/22(8:59) 「笠置型燈籠」。 平安時代、「笠置寺」の参道に立てられていたと 伝わる「燈籠」だが、現存するものが1基もなく、 大正時代に発行された本から復元したとある。 写真をクリックすると「笠置型燈籠」を切抜く 画像(450x600)が表示されます。 |
2019/4/22(8:59) 左に「本坊」。 正面の鐘楼に吊される「解脱鐘」は、 東大寺の「重源和尚」から、笠置寺「解脱上人」に 寄進されたもので、国の重要文化財に指定される。 |
2019/4/22(8:59) 「本尊仏香爐」。 御本尊「弥勒大磨崖仏」の前に置かれていた 「香爐」で、江戸期に手水鉢に転用したとある。 写真をクリックすると「本尊仏香爐」を切抜く 画像(600x450)が表示されます。 |
2019/4/22(9:01) 「修行場」入口前の広場。 |
2019/4/22(9:02) 鎮守社「椿本護王宮」。 「椿本護王宮」の左には「春日明神社」が並ぶ。 右の小屋は、入山拝観料の料金所だが、 この日は無人。入山拝観料徴収の音声案内が 流れていた。 |
2019/4/22(9:02) 「修行場」入口。 この先が有料区間。料金箱に料金を納め 「修行場」に入る。 |
2019/4/22(9:03) 左に、「大師堂」。 「大師堂」は、修行場めぐりの出口になっており、 往きは、順路を示す矢印に従い直進する。 |
2019/4/22(9:05) 左上に、巨岩「笠置石」。 写真奥に、「正月堂」。 写真をクリックすると縦に撮る「笠置石」が 表示(450x600)されます。 |
2019/4/22(9:06) 「正月堂」前の広場。 写真左から、「石造十三重塔」、 「弥勒大磨崖仏」、「正月堂」。 国の重要文化財に指定されている 「石造十三重塔」は、鎌倉時代末から室町時代、 かつて立っていたという「木造十三重塔」の 跡地に、建立されたという。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2019/4/22(9:06) 笠置寺本堂「正月堂」。 本堂入口の立看板には、「東大寺大佛殿完成 祈願所 通称お水取り発祥の寺」とある。 「正月堂」は、「弥勒大磨崖仏」の礼堂として 建立され、天平勝宝4年(752)に行われた 第1回「観音悔過」の法要が、奈良東大寺の 「お水取り」の起源と伝えられ、東大寺に 「二月堂」があって、「正月堂」がないのは、 ここ「笠置寺」に「正月堂」があるからだという。 |
2019/4/22(9:08) 「本尊弥勒大磨崖仏」。 高さ15mの壁面に、「弥勒菩薩立像」が刻まれる。 現在は、光背を残すのみだが、これは「正月堂」が 過去に何度も焼失を繰り返し、その炎により、 「弥勒仏」のお姿が消えてしまったと伝わる。 写真をクリックすると近づいて撮る 「弥勒大磨崖仏」が表示(450x600)されます。 |
2019/4/22(9:09) 「正月堂」を背にして見る巨岩。 「正月堂」を背にすると、「弥勒大磨崖仏」が 右手に立つ。 その左、「石造十三重塔」の後ろに並ぶ巨岩は、 「薬師(左)」、「文殊(右)」と呼ばれている。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2019/4/22(9:10) 矢印に従い「修行場」を奥へと進む。 |
2019/4/22(9:10) 「正月堂」の脇を下りる。 崖際に立つ「正月堂」の下部は、 「懸造り(かけづくり)」となっている。 柱の下に立つ看板には、「ここからは行者道、 ハイヒールは×です」とある。 写真をクリックすると正月堂の「懸造り」が 表示(450x600)されます。 |
2019/4/22(9:12) 写真左に、「千手窟」。右に「伝虚空蔵磨崖仏」。 「千手窟」は、雨が降らず「東大寺」造営のための 資材が「木津川」の流れで運べなくなったとき、 東大寺の開山で初代別当「良弁」は、 この窟に籠り「千手の秘法」を行い雨を降らせたと 伝わる。 |
2019/4/22(9:13) 「伝虚空蔵磨崖仏」。 高さ12mの壁面に、9mの仏像が刻まれる。 寺伝では、「虚空蔵菩薩」と伝わるが、 刻まれる仏像の尊名には諸説あるという。 仏の像がくっきりと残り、一見新しそうに 見えるのだが、これは、周りに建造物がなく、 戦乱の炎から守られたためで、刻まれた年代は、 「弥勒大磨崖仏」と同時期の「奈良時代」か、 「平安時代」といわれている。 写真をクリックすると「伝虚空蔵磨崖仏」を 切抜く画像(450x600)が表示されます。 |
2019/4/22(9:13) 前方に「胎内くぐり」。 |
2019/4/22(9:14) 「胎内くぐり」。 身を清めるためにくぐり、狭く暗い回廊を抜けると 新しい自分に生まれ変われるという。 写真をクリックすると縦に撮る写真(450x600)が 表示されます。 |
2019/4/22(9:15) 修行場の奥へと進む。 |
2019/4/22(9:17) 「太鼓岩」。 叩くと不思議な音がするというのだが、詳細は不明。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2019/4/22(9:18) 石段や坂が続くが、周囲の雰囲気は良く、 個々の坂も長くは続かない。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2019/4/22(9:19) この先、右に視界が開ける。 |
このページは、笠置寺(修行場めぐり)2/2に続きます。 笠置寺(修行場めぐり)2/2のページへ |