姫路城
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2013/4/15(9:58)
8F見学スペースから見る「西の丸櫓群」。
8F見学スペースは、海抜約100mの高さにある。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
なお、このページは、姫路城(1/2)からの続きです。
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2013/4/15(9:59)
8F見学スペースから見る「男山」。
写真ほぼ中央に、お椀を伏せたような形の山が「男山」。
「男山」の中腹には、「赤松貞範」が姫路城を築く際に、
城の鎮守社として建立。歴代の城主が信仰した
戦の神々を祀る「男山八幡宮」と、「千姫」が建立。
6枚の羽子板を奉納し、長局の廊下から遥拝したという
「千姫天満宮」が祀られる。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
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2013/4/15(10:00)
8F見学スペースから見る「三の丸」。
「三の丸」の奥に延びる道路の先に「姫路駅」がある。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
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2013/4/15(10:02)
「8F見学フロアー」。
2013/4/15(10:03)
階段を「7F見学スペース」に降りる。
2013/4/15(10:04)
「7F見学スペース」。
「7F見学スペース」では、最上層の漆喰壁を間近に
見ることができるのだが、この日は工事用の足場や
シートで隠れた部分が多く、綺麗な状態での漆喰壁を
見ることはできなかった。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2013/4/15(10:05)
7F見学スペースから見る「工事用足場」等。
壁の漆喰は、見た目の美しさだけでなく、防火や防水の
実用性も兼ね備え、この大天守では約30~40㎝の
土壁の両面に、厚さ約3cmづつの漆喰が塗られている
という。
今回の修理では、土壁まで取り除き、下地から修理する
という。
2013/4/15(10:10)
エレベーターの窓から見る「石垣」。
エレベーターには、窓が設けられており、エレベーターの
中からも修復作業の様子等を見ることができる。
2013/4/15(10:15)
大天守前広場「備前丸」から見上げる大天守。
大天守を覆う「素屋根」の大きさは、幅が約47mの
正方形で、高さは53mになるという。
2013/4/15(10:16)
「備前丸」。
大天守の前の広場である。
2013/4/15(10:19)
「乾小天守(左)」と「西小天守(右)」。
「乾小天守」の東側に「東小天守」。
「西小天守」の東側に「大天守」がある。
2013/4/15(10:20)
「水の二門」。
潜り戸付両開き扉の棟門。
2013/4/15(10:23)
「イの渡櫓」。
「北腰曲輪」の櫓群の中で、一番西側に建つ。
2013/4/15(10:23)
「油壁」。
姫路城で見る白壁は、「白漆喰」だが、この「油壁」は
「池田輝政」以前の古い築造といわれ、山土に豆砂利を
混ぜ、もち米のとぎ汁やお粥などで練り合わせた土を
仮枠の中で叩き固めたといわれ、コンクリートのように
固く、400年以上の年月を堪えてきたという。
「油壁」の奥は、潜り戸付片開扉の棟門「水の一門」。
右下に写るのは、堀中門で片開扉の埋門「ほの門」。
2013/4/15(10:24)
「石臼(姥が石)」。
「乾小天守」の北面には、「石臼」が転用されている。
「羽柴秀吉」が姫路城を築くための石集めに苦労している
と聞き、城下で餅を焼いて売っていた貧しいお婆さんが、
使っていた「石臼」を寄付したという。
「石臼(姥が石)」の部分は網で囲まれている。
写真をクリックすると「石臼(姥が石)」の部分が
拡大表示(600x450)されます。
2013/4/15(10:26)
「にの門」。
鉄板張りの潜り戸付櫓門と二重の隅櫓及び
この2棟を結ぶ続櫓を組み合わせた変形櫓とある。
櫓の下を潜り抜けた左に、「にの門東方上土塀」。
2013/4/15(10:27)
「にの門東方下土塀」。
写真右の石垣は、「羽柴秀吉」築城時の石垣と
考えられているという。
2013/4/15(10:28)
「十字紋の鬼瓦」。
「にの門櫓」の唐破風屋根に乗っている「鬼瓦」には、
キリシタンの名残りとか魔除けといわれる「十字紋」の
紋瓦が使われている。
写真をクリックすると「十字紋の鬼瓦」が
拡大表示(600x450)されます。
2013/4/15(10:30)
「石灯籠の台石」。
「はの門」には、「石灯籠の台石」が使われている。
2013/4/15(10:33)
「化粧櫓」下から見る「大天守」。
姫路城を撮るシャッターポイントなのだが、「素屋根」で、
覆われた姿は、真に残念である。
2013/4/15(10:36)
「西の丸長局(百間廊下)」入口。
「西の丸長局(百間廊下)」入口は、「ワの櫓」にある。
中は、土足厳禁であり、履き物は用意された
ビニール袋に入れて手に持つ。
2013/4/15(10:38)
「レの渡櫓」。
「ワの櫓」の階段を上ったところ。
ここから出口がある「化粧櫓」までの距離は、約121間
(約240m)である。
2013/4/15(10:39)
「石落し(武者落し)」。
「百間廊下」の城外側13ヶ所に設けられている。
2013/4/15(10:39)
「雨水抜き」。
城外側の窓にあり、外には雨水を抜くための
細い鉛管が出ている。
写真をクリックすると「雨水抜き」の穴の部分が
拡大表示(600x450)されます。
2013/4/15(10:41)
「階段」。
2013/4/15(10:41)
「仮設廊下」。
「レの渡櫓」と「ヲの櫓」の間を繋ぐ。
何故「仮設」かは分からぬが、元からある廊下ではなく、
新たに造られたようではあるが、「西の丸櫓群と長局」の
パンフレットにも「仮設廊下」と記載されており、一時的な
建造物でもないようである。
2013/4/15(10:42)
西の丸長局(百間廊下)から見る「大天守」。
2013/4/15(10:44,10:46)
「内部屋」。
「百間廊下」の城内側には、広さの異なる部屋が数多く並び、その内いくつかの部屋では、
「官兵衛と二十四騎の黒田武士特別展」が開催され、黒田二十四騎の兜(複製)等が展示されていた。
2013/4/15(10:50)
「化粧櫓」の中。
写真奥では、「千姫」と「勝姫」が百人一首で遊ぶ。
写真をクリックすると「化粧櫓」の説明が
表示(800x450)されます。
2013/4/15(10:51)
百人一首を楽しむ「千姫」と「勝姫」。
「千姫」は、お姫様、「勝姫」は、小姫様と呼ばれ、
「千姫」には、23人の局や待女と16人の下女が付き、
「勝姫」には、3人の侍女が付いていたという。
写真をクリックすると「千姫」の説明が表示(600x450)
されます。
2013/4/15(10:55)
出口から見る「西の丸長局(百間廊下)」。
2013/4/15(10:56)
「化粧櫓」。
「西の丸長局(百間廊下)」を出て振返る。

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