山中城跡
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2016/3/30(8:43,8:46)
「山中城址案内図」と国道北側の広場(小駐車場)。
「山中城」は、戦国時代末期に築かれた城で、三島市山中新田にある。
この城は、小田原に本城をおいた「北条氏」が、「豊臣秀吉」の小田原攻めに備え、
堀や「岱崎出丸」等の整備、増築を行ったのだが、未完成のまま、6万とも7万ともいわれる
豊臣軍の総攻撃を受け、わずか半日で落城したと伝えられる。
この時、北条軍の兵力は、わずか4千程であったという。
また、「豊臣秀吉」が築いた「大阪城」では、発掘調査により「障子堀」が出土しているが、
これは「山中城」を真似たといわれている。
「山中城跡」は、国道1号線(旧道)を境に、「障子堀」や「畝堀」を探訪する北側と、
「岱崎出丸」や「すりばち曲輪」がある南側に別れている。
この日は、先に「障子堀」や「畝堀」を探訪しようと、国道北側にある「広場(小駐車場)」から、
「三ノ丸堀」沿いの散策コースに入る。
左の写真をクリックすると「山中城跡」の説明(800x600)が表示されます。
右の写真をクリックすると「山中城跡散策マップ」が表示されます。
この散策マップは、1,200x650ピクセルあります。
散策マップの文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2016/3/30(8:48)
「障子堀・畝堀探訪コース」の入口付近。
入口付近は緩い登坂となっており、
散策路の左には、「三ノ丸堀」がある。
2016/3/30(8:50)
坂の上から見る「三ノ丸堀」。
「三ノ丸掘」は、自然の谷の中央に縦の「畝」を
設け、二重の堀とし、その長さは約180m、
最大幅約30m、深さ約8mとある。
写真をクリックすると「三ノ丸堀」の
説明(800x600)が表示されます。
2016/3/30(8:54)
「田尻の池」。
季節には、美しい「すいれん」の花が咲くという。
写真奥(東側)には、盛土(土塁)で区切られた
もう一つの池(箱井戸)があるのだが、
この日、「箱井戸」の周囲は工事中で、
立入禁止となっていた。
写真をクリックすると「田尻の池」の
説明(800x600)が表示されます。
2016/3/30(8:55)
「西ノ丸」へと向かう。
2016/3/30(8:56)
「元西櫓下の堀」。
「山中城」の堀では、石垣が用いられていないのが
大きな特色で、400年前はローム層が露出し、
現在よりも、急斜面であったとある。
写真をクリックすると「元西櫓下の掘」の
説明(800x600)が表示されます。
2016/3/30(8:59)
「土橋」。
写真では、普通の坂道にしか見えないが、
中央に写る道の右下は、「元西櫓下の堀」、
左下には「西ノ丸畝堀」があり、「西ノ丸」に
入るための一本の橋のような存在となっている。
写真をクリックすると「土橋」の説明(800x600)が
表示されます。
2016/3/30(8:59)
「西ノ丸畝堀(うねぼり)」。
写真は、「土橋」から撮影。
堀は、5本の「畝」により区画され、
「畝」の高さは、約2m。
写真右上にある「西ノ丸」の曲輪までは、9mの
高さをよじ登らなければならなかったとある。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2016/3/30(9:00)
「西ノ丸」。
「西ノ丸」は、3,400㎡の広大な
面積を持つ。
写真をクリックすると「西ノ丸」の
説明(800x600)が表示されます。
2016/3/30(9:03)
西ノ丸の「土塁」。
「西ノ丸」は、3方が「土塁」で囲まれている。
写真をクリックすると「土塁」の
説明(800x600)が表示されます。
2016/3/30(9:06)
「西ノ丸」の物見台から見る「障子堀」。
「山中城跡」では、「天守閣」を含め、
建物の跡は何も残らないが、「後北条氏」の
城の特徴である「障子堀(しょうじぼり)」を
見ることができる。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2016/3/30(9:05)
「西ノ丸」の物見台から見る西側の景色。
写真中央下に「障子堀」。左奥には「西櫓」が写る。
2016/3/30(9:06)
「西ノ丸」の物見台から見る東側の景色。
下に拡がる広大な敷地が「西ノ丸」。
2016/3/30(9:09)
「土橋」付近から見る「元西櫓下の堀」。
木々は、よく手入れがされており、「山中城跡」は、
「ツツジ」の名所としても知られる。
写真をクリックすると2年後の5月再訪時に
撮影した写真(600x450)が表示されます。
なお、2年後の再訪は、「ツツジ」の咲く時期を
狙ったのだが、一部が咲くだけで、全体に
咲き誇る「ツツジ」の花を見ることはできなかった。
2016/3/30(9:09)
「西櫓」に向かう。
写真右下に、「西ノ丸畝堀」」がある。
2016/3/30(9:10)
「西ノ丸畝堀」。
この写真では、「西ノ丸畝堀」の奥に
「土橋」がある。
写真をクリックすると「西ノ丸畝堀」の
説明(800x600)が表示されます。
2016/3/30(9:11)
「西ノ丸」と「西櫓」の間に築かれた「障子堀」。
写真右上に「西ノ丸」。左上に「西櫓」がある。
写真をクリックすると「障子堀」の
説明(800x600)が表示されます。
2016/3/30(9:13)
「掘立柱建物跡(西櫓)」。
この「掘立柱建物跡」は、「西櫓」にある。
写真をクリックすると「掘立柱建物跡」の
説明(600x450)が表示されます。
2016/3/30(9:14)
「西櫓」の櫓台から見る「障子堀」。
「西ノ丸」から「障子堀」を隔て、堀と土塁で
囲まれた「西櫓」は、攻める機能と守る機能を
兼ね備え、戦略上重要な「馬出」と呼ばれる
場所であった。
写真をクリックすると「後北条氏の角馬出」の
説明(800x600)が表示されます。
2016/3/30(9:16)
「西櫓堀」。
「西櫓」の西側に築かれた堀である。
なお、写真では、雲との区別が付かないが、
「西櫓堀」の奥には「富士山」が写る。
写真をクリックすると「西櫓掘」の
説明(800x600)が表示されます。
2016/3/30(9:19)
「西木戸」。
「西木戸」は、国道1号線(旧道)の北側にある
施設の中で、最も西側に位置し、
散策路は、ここで大きくUターン。
「西ノ丸」の北側を進む。
2016/3/30(9:20)
「三島市眺望地点」。
「富士山」も姿を見せている。
2016/3/30(9:21)
「休憩所」手前。
この辺りに、「西櫓」に渡る橋が架けられていた
ことが推定されるとある。
写真をクリックすると「西櫓の架橋」の
説明(800x600)が表示されます。
2016/3/30(9:23)
「休憩所」付近から見る「西ノ丸堀(障子堀)」。
写真左上の高台が、「西ノ丸」の物見台。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2016/3/30(9:24)
「休憩所」。
写真をクリックすると「西ノ丸掘」の
説明(800x600)が表示されます。
2016/3/30(9:26)
散策路は、「西ノ丸」を北側から東側へと
巻くように、「溜池」へと向かう。
2016/3/30(9:28)
「溜池跡」。
「本丸」や「北ノ丸」等の堀水を集めた
「溜池」で、深さ4m以上発掘したが、
池底には達しなかったとある。
写真をクリックすると「溜池」の
説明(800x600)が表示されます。
2016/3/30(9:28)
「元西櫓跡」への標識。
「元西櫓跡」は、「本丸」からの帰路寄ることとし、
「北ノ丸」に向かう。
2016/3/30(9:33)
写真奥に、「二ノ丸橋」。
「二ノ丸橋」は、「二ノ丸」と「元西櫓」の間に
架かる橋で、「本丸」からの帰路は、
「二ノ丸橋」を渡る。
2016/3/30(9:33)
標高の高い位置にある「本丸」に向け
坂がきつくなるが、距離は短い。
2016/3/30(9:34)
傾斜が緩くなると、木の根の多いところを通過。
2016/3/30(9:35)
「本丸堀」。
写真左側の傾斜を上がったところに
「本丸」がある。
写真をクリックすると「本丸堀」の
説明(800x600)が表示されます。
2016/3/30(9:36)
「北ノ丸」。
「北ノ丸」は、「本丸」のすぐ北側に位置し、
1,920㎡の広さを持つ。
2016/3/30(9:37)
「北ノ丸堀」。
400年の歳月は、堀底を2m以上埋めているので、
築城時は、更に深く険しい堀であったとある。
写真をクリックすると「北の丸堀」の
説明(800x600)が表示されます。
2016/3/30(9:38)
東側から見る「北ノ丸」。
写真をクリックすると「北ノ丸跡」の
説明(800x600)が表示されます。
2016/3/30(9:39)
「本丸北橋」。
「本丸」と「北ノ丸」を結ぶ橋で、
「山中城」では、土橋が多く構築されているが、
敵に攻められたとき、木製の橋は、
簡単に破壊し、敵兵が堀を渡れなくすることが
できるとある。
写真をクリックすると「架橋」の説明(800x600)が
表示されます。
2016/3/30(9:41)
「矢立の杉」。
「天守櫓」入口に立ち、樹高31.5m、
目通り4.37m。
樹齢は、500年前後とある。
写真をクリックすると「矢立の杉」の
説明(600x450)が表示されます。
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