うだつの上がる町並み
(岐阜県美濃市)

「うだつの上がる町並み」は、2部構成になっています。
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2015/10/25(16:42,16:45)
「観光ふれあい広場(駐車場)」と町並みの東側。
「うだつ」で知られる町並みは、徳島県美馬市にもあるが、本ページで紹介するのは、
岐阜県美濃市の「うだつの上がる町並み」である。
「うだつ(卯建・宇建)」とは、隣家との境界に取り付けられた防火壁のことで、建物に「うだつ」を設けることで、
建築費用が高くなるため、裕福な家にしか付けることができなかった。
このことから、「うだつ」を付けた家に住めない人のことを「うだつの上がらない人」と呼ぶようになったという。
「うだつの上がる町並み(岐阜県美濃市)」は、江戸時代の領主「金森長近」によって築かれ、
「目」の字の形をした、通称「目の字通り」と呼ばれる町並みに、「美濃和紙」を中心とした商業が栄えたことから、
「うだつ」の付いた家々が軒を連ね、平成11年(1999)、国の伝統的建造物群保存地区に指定されている。
左の写真、観光ふれあい広場の駐車場は、約200台分の収容スペースがあり、
安い協力金で利用することができる。
左の写真をクリックすると、町並み周辺の地図(800x600)が表示されます。
この地図には、町並みを取り囲む道に、東西南北の方角を記述しており、
本ページでは、歩く道の名前を、例えば「東の道」というように、この地図に書かれた方角で呼ぶ。
右の写真は、「東の道」を北に向いて撮影したもので、「うだつの上がる町並み」は、写真左の方向にある。
2015/10/25(16:46)
ギャラリー茶房「ひなぎく」。
「東の道」にあり、ギャラリーには、古布着物や
生活骨董等が並ぶ。
2015/10/25(16:48)
「東の道」から「北の道」に入り西の方向を撮影。
写真右手前に「宝勝院」がある。
2015/10/25(16:49)
「大石家住宅」。
明治5年に建てられた「卯建造り」で、
この家が建てられた後、10年程で「卯建造り」の家は
建てられなくなったとある。
写真をクリックすると「大石家住宅」の
案内板(800x550)が表示されます。
2015/10/25(16:50)
「美濃・紙の芸術村工房」。
国内外の芸術家が、美濃市内の各家庭に約3ヶ月間
滞在し、美濃和紙を使った創作活動を通して、
国際交流を推進する「美濃・紙の芸術村」事業の
創作工房だが、作品展なども開催される。
2015/10/25(16:51,16:52)
「今井家住宅」。
最も古い形の「うだつ軒飾り」が上がり、美濃市の文化財に指定されている。
建物は、史料館として公開(有料)され、「蔵」や「明かり取り窓」等も素晴らしく、
中庭の「水琴窟(すいきんくつ)」は、日本の音風景百選に認定されている。
建物前には、「美濃和紙アート展」の選考作品などが並べられていた。
左の写真をクリックすると、「美濃和紙アート展」の選考作品などが展示された
あかりの町並み~美濃~」のページが表示されます。
2015/10/25(16:51)
茶房「とみや」。
写真には、周囲の家も含め4つの「うだつ」が上がる。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/10/25(16:53)
我流酒房「胡麻や」。
「目」の字に4本ある横線の東から2本目の路地の
角に建つ。
2015/10/25(16:53)
東から2本目の路地を北側から南を向いて撮影。
写真左角の建物が、我流酒房「胡麻や」。
2015/10/25(16:54)
「北の道」を西に歩く。
左に見える縦看板は、「十六銀行」。
2015/10/25(16:56)
「紙ナプキン(左)」と「和紙の靴下(右)」の店。
「和紙の靴下(右)」の店内には、ウエディングドレスが
見えているが、これも和紙で作られているのであろう。
2015/10/25(16:57)
「松久永助紙店事務所」。
案内板には、「四部形式の古い卯建」とあるが、軒下の
「屋根神様」に目が止まり写真に収めた。
この「屋根神様」は、愛知県や岐阜県で多く見かける
もので、神様を身近に信仰したいということから、
軒下に祀ったという。
写真をクリックすると、軒下の「屋根神様」が
表示(600x450)されます。
2015/10/25(17:00)
「番屋前ポケットパーク」。
「目」の字に4本ある横線の東から3本目の路地の
角にある。
公園の中には、「あかりアート展」の作品が並び、
写真奥には、美濃市のマスコット「うだつくん」が立つ。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/10/25(17:00)
「番屋」。
「番屋前ポケットパーク」の斜め向かいにあり、
「美濃市観光協会」の入るビルで、観光案内所の他、
美濃和紙や地元特産品等を販売するコーナーもある。
2015/10/25(17:01)
「番屋」前から、西の方向を見る。
2015/10/25(17:01)
「ポケットパーク」の角を曲がり、東から3本目の路地を
南の方向に歩く。
2015/10/25(17:01)
「馬つなぎ石」。
「ポケットパーク」の西側にある。
馬車の馬を繋ぐための石で、道の傍らに沢山置いて
あったとある。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2015/10/25(17:02)
東から3本目の路地を南の方向に歩く。
左右の建物には「うだつ」が上がり、写真右奥には、
「岡専旅館」の看板が見えている。
2015/10/25(17:03)
「時代軒菓舗」。
案内板を見ると、この路地の名前は「魚屋町通り」で、
幅は狭いが、これが本来の町幅とある。
写真をクリックすると「時代軒」の案内板(800x550)が
表示されます。
2015/10/25(17:05)
「南の道」に出る。
写真は、東の方向を撮影。右の建物は「今廣酒販店」。
その奥に「大垣共立銀行」。
2015/10/25(17:06)
「丸栄食料品店」。
看板に書かれている電話番号は、なんと3桁の数字。
店の古さ(歴史)を感じさせる。
2015/10/25(17:08)
「小坂家住宅」。
安永(1772~1780)初期に建てられた造り酒屋で、
屋根全体が上に反らせた「起り(むくり)形状」に
なっているのが特徴で、国の重要文化財に
指定されている。
写真をクリックすると「小坂家住宅」の
案内板(800x550)が表示されます。
2015/10/25(17:09)
「小坂家住宅」東側の「うだつ」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/10/25(17:09)
「小坂家住宅」中央の「うだつ」。
中央の「うだつ」は明治時代に北側が撤去され、
南側だけが残る。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/10/25(17:12)
「古川家住宅」。
隣家の「うだつ」と並んで立つ。
明治の新しい自由の気風にのって建てられたもので、
江戸時代には、このように隣接して「うだつ」を建てる
例はなかったとある。
写真をクリックすると「古川家住宅」の
案内板(800x550)が表示されます。
2015/10/25(17:12)
並び立つ「うだつ」。
「古川家(右)」の「うだつ」は、「平田家(左)」よりも、
遅れて建てられたもので、より立派に見えるように、
わずかながら高く造られている。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/10/25(17:15)
和紙の店「紙遊」。
紙の倉庫を改装した店で、美濃和紙をはじめ、
和紙雑貨等を各種取り揃えるという。
カフェスペースとギャラリースペースも併設する。
2015/10/25(17:17)
「正一位 秋葉神社」。
「東の道」にある。
次のページでは、「うだつの上がる町並み」の中心から、
北に700m程離れた「長良川」にある、「美濃橋」と
「上有知湊」などを紹介します。
このページは、「うだつの上がる町並み(美濃橋&上有知湊)」に続きます。
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