佐渡金山
(宗太夫坑コース)

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2016/9/27(13:27)
「宗太夫坑」コースに入る。
「宗太夫坑」コースは、江戸初期に手掘りされた
坑道内に「佐渡金山絵巻」に描かれた採掘作業の
様子が忠実に再現されており、チケット購入時に
付いてくる佐渡金山のパンフレットには、
所要時間、約30分とある。
写真をクリックすると「宗太夫坑」の
案内版(800x600)が表示されます。
2016/9/27(13:28)
石段を下りる。
2016/9/27(13:29)
「日本の主要金銀銅産地と輸送ルート」。
石段を下りたところには、数多くの説明パネルが
展示されている。
2016/9/27(13:29)
石段下に展示される「説明パネル」。
撮影した写真は、文字が不鮮明のため詳細を紹介できないが、
文字だけでなく、絵やグラフ等を多く使ったパネルになっている。
上の画像は、展示されているパネルの1部を撮影した写真から、
3枚のパネルを切抜き、1枚の画像にまとめています。
2016/9/27(13:33)
「水上輪」で坑内の水を排水する様子。
「水上輪」は、坑内排水(揚水)用手動ポンプで、
筒の中は螺旋になっており、上部の取っ手を廻すと、
水を、効率的に下から上に汲み上げることができ、
佐渡金山には、慶応2年(1653)に伝わったという。
写真で、あぐらをかいて座るのは、坑内現場監督の
「大工頭」。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2016/9/27(13:34)
「出入り改め」。
「出入り改め」は、坑道の出入口に設けられた検問所で、
鉱石や物資の不正持ち出しを防止したり、運搬人の
出入りを記帳して、賃金支払いの目安としていた。
この鉱石や物資の運搬は、「穿子(ほりこ)」と呼ばれる
坑内の雑役夫が行っていたとある。
2016/9/27(13:34)
「山留大工」。
「山留大工」は、奉行所直雇いの技術者で、
坑内に亀裂が生じたり、岩盤の軟弱なところに、
栗材や楢材などで補強したとある。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
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2016/9/27(13:35)
石段を上がる。
「宗太夫坑」コースは、「道遊抗」コースに比べると
短い距離での高低差があり、坑道の下部を見た後に
同じ坑道の上部を見たりする。
また、見学者が歩く坑道の左右に、当時の様子を
再現した別の坑道があるのだから、いくつもの坑道が
縦横に掘られていることが実感できる。
2016/9/27(13:36)
「掛樋(かけどい)」と風送り穿子(ほりこ)。
坑内に湧き出る水は、「桶(おけ)」で横持ちし、
斜面は「水上輪(すいしょうりん)」、垂直には
「釣瓶(つるべ)」を使い、平面では「樋(とい)」を
使って坑外に運び出した。
また、坑内の酸素欠乏を防ぐため、「穿子(ほりこ)」が
「唐箕(とうみ)」と呼ばれる送風機を操作して、
坑内に新鮮な空気を送ったとある。
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2016/9/27(13:37)
「休息所」。
採掘作業は4時間毎の交代制で、特に「金穿大工」は、
技術者として処遇されたため、食事や休憩の時間が
とれる他、「筵(むしろ)」の上で横になることも
できたとある。
右に座り、こちらを向くおじさんは、「早く外に出て
酒を飲みてぇ~。馴染みの女にも会いてぇなぁ~」と
つぶやく。
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2016/9/27(13:37)
「水替人足と無宿人」。
「水替人足」の労働は、隔日交替の一昼夜勤務と
きつく、賃金はよかったが、常に人員不足で、
安永7年(1778)から、江戸や大坂、長崎等から
無宿人を受け入れるようになったとある。
なお、手前の「金桶」にたまる「小銭」は、
心ない見学者が投げ入れたものと思ったのだが、
これは、毎年4月に行われる「無宿人の供養」に
寄進され、有難い「浄財」として使われるという。
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2016/9/27(13:39)
石段を上がる。
2016/9/27(13:40)
「探鉱坑道」。
「探鉱坑道」は、金鉱脈を探して水平や上下に掘り進む
もので、小規模なものは「切山」と呼び、高さも幅も
かろうじて人が出入りできる程度であったとある。
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2016/9/27(13:40)
「探掘作業」。
「金穿大工」は、「鑽(たがね)」を「上田箸(うえだばし)」
で挟み、「鎚(つち)」で打つ.。
「鑽」は、二日で一本消費するため、「上田箸」で
挟むことにより、短くなった「鑽」をつかめる上に、
手元の安全も守れるとある。
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2016/9/27(13:41)
「探掘作業」。
手掘り探掘作業の様子が再現されている。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
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2016/9/27(13:42)
「間切改め」。
「間切(けんぎり)」とは、長さ・幅・高さを決めて掘る
大規模な探鉱坑道のことで、「間切」が発注通りに
掘られているか、作業がどこまで進んでいるか等を
検査する「間切改め」の様子が再現されており、
紙のこよりを固くよって作った「てへん」という
「かぶり物」をしているのが役職を持つ者とある。
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2016/9/27(13:43)
「柄山の回収」。
鉱石が減少した江戸時代の中頃になると、
一旦捨てた柄山(鉱石を含まない捨石)も、
回収し、精錬していた。
この捨石や拾い石を専門に精錬する業者は、
「外吹買石(そとぶきかいいし)」と呼ばれていた
とある。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
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2016/9/27(13:44)
「探鉱坑道(ひ押坑道)」。
金銀鉱脈を追いながら、「鏨(たがね)」と「鎚(つち)」で
掘り進んだ「ひ押し堀り」の坑道とある。
2016/9/27(13:45)
「間歩開きの祝い」。
金銀を多量に含む「富鉱帯(背後壁面の縞模様)」が
発見され、前途を祝した「間歩(採炭坑)開き」の祝いが
再現されており、奥の棚の上で演じられるのは、
佐渡金山に伝わる祭礼「やわらぎ」とある。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2016/9/27(13:47)
「宗太夫坑」コースを出る。
写真は、振り返って撮影。
2016/9/27(13:47)
「展示資料館」に向かう。
2016/9/27(13:47,13:48)
「展示資料館」の中。
「展示資料館」には、2つの展示室があり、「第1展示室」では、「佐渡金山絵巻」に描かれた
佐渡金山の仕事の様子が、縮尺1/10の人形(500体)や模型で再現されている。
「第2展示室」では、各種大判・小判や時価約6,000万円の純金の延べ棒等が展示されている。
右の写真をクリックすると拡大写真(600x450)が表示されます。
2016/9/27(13:48,13:48)
「第1展示室」の展示物。
左の写真は、天保年間の「佐渡奉行所」を縮尺1/200で復元した模型。
右の写真は、寛政年間の資料より縮尺1/10で推定復元した「奉行船(大小早)」。
奉行は、このような船で佐渡に渡っていたとあり、帆には、大きな「葵の御紋」が描かれる。
右の写真をクリックすると拡大写真(600x450)が表示されます。
2016/9/27(13:59)
「展示資料館」を出る。
2016/9/27(13:59)
「石磨(いしうす)」。
上下2個からなり、鉱石を磨り潰す「臼(うす)」とある。
2016/9/27(14:00)
「展示資料館」を出たところは、日本庭園風に
なっており、ベンチで休憩もできる。
2016/9/27(14:02)
駐車場に戻る。
「道遊抗」コースと「宗太夫坑」コース、どちらが
良いかは、人により判断が異なるであろう。
本ページを参考にして頂ければ幸いである。
他にも、予約すれば、真っ暗闇の坑道をガイドと共に
歩く「山師ツアー」や産業遺構や佐渡奉行所等を
バスでガイドと巡る「世界遺産ツアー」がある。
また、平成29年(2017)春には、開削当時のまま
放置されていた坑道をヘルメットとライトを頼りに
ガイドの案内で歩く常設の「無名異坑(暗闇廃坑
探検)」コースも追加される予定であり、見どころと
選択技の多い「佐渡金山」である。

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