「上田城跡公園&上田市内」のページは、2部構成になっています。
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2010/6/6(8:14) 「真田神社」。 真田・仙石・松平の歴代上田藩主を祀る。 「上田城」は、明治7年全国の城の民間払い下げ を受けた「丸山平八郎氏」が公園として整備。 その後、明治12年と26年の2度に分け神社に 寄附。その後、「上田城跡公園」は、大正14年 までの間、「真田神社」が管理していたとの こと。(現在は、上田市が管理) |
2010/6/6(8:15&8:25) 「酒樽茶室」。 「真田神社」の境内にある。左が「亀庵」、右が「百余亭」。 使い勝手の程は分からぬが、なんとも粋な「茶室」である。 |
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2010/6/6(8:17) 「酒樽茶室」の内部。 下は、「畳」か「ゴザ」のようである。 正面の棚には、なぜか「徳利」と「枡」が乗って いる。 |
2010/6/6(8:20) 「真田井戸」。 中には「抜け穴」があり、城北の「太郎山麓」の 「砦」や、「藩主居館跡」にも通じていたといわ れる。 |
2010/6/6(8:21) 近くで見る「上田城西櫓」。 建物の外壁は煤と柿渋で防水した板が使われて いるとのこと。 |
2010/6/6(8:28) 「真田石」。 案内板の左に見える大きな石が「真田石」。 城内一の大石(高さ約2.5m、幅約3m)で、 真田幸村の兄「真田信之公」の松代移封のとき、 この石を家宝にと、持ち去ろうとしたが、 「びくり」ともしなかったという。 |
2010/6/6(8:30) 「東虎口櫓門」。 「虎口」とは、城の通路の出口のこと。 左にあるのが、「上田城南櫓」。 |
2010/6/6(8:36) 「上田城櫓」の中に入ってみた。有料だが小銭で 入れる上に、共通券になっていて、「市立博物 館」と「山本鼎記念館」にも入ることができる。 写真は、「上田城南櫓」の「矢狭間(敵の来襲に 矢で防戦するための小窓)」。 |
2010/6/6(8:41) 「歴代上田城主」の説明板。 |
2010/6/6(8:42) 「石おとし場」。 |
2010/6/6(8:44) 「上田城金箔鯱瓦」。 上田城の築城当時の「金箔鯱瓦」を復元した もの。 |
2010/6/6(8:46) 「上田城北櫓」。 「東虎口櫓門」を挟み、「上田城南櫓」の反対側 にあり、この中にも入ることができる。 |
2010/6/6(8:48) 「上田城隅櫓の懸魚と鰭」。 「西櫓」の西側破風についていた飾りで、安政 6年(1859)の製作。昭和57年、「西櫓」修理の 際に、新しいものと取りかえられたとある。 |
2010/6/6(8:53) 右に「真田信繁(幸村)」。「幸村」は俗称で、 本名は「信繁」。 中央に「信繁」の父「真田昌幸」。この「昌幸」 が、「上田城」を築城。青年時代は「武田信玄」 に仕えたという。 左は「信繁」の長男「真田幸昌(大助)」。 父「信繁」と共に、大阪冬の陣、夏の陣と参戦 するが、この戦いにおいて父子共に戦死。 |
2010/6/6(9:15) 「北虎口」の石垣。 |
2010/6/6(9:19) 「招魂社」。 戊辰戦争や日清・日露戦争、太平洋戦争で 亡くなった方々の魂を祀る。 |
2010/6/6(9:43) 「本丸跡」と「お堀」の間にある「散策路」。 「上田城跡公園」は、観光客のみならず、市民の 憩いの場として親しまれているようであった。 |