天竜峡(1/2)

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2015/10/25(9:42,9:43)
「天竜峡中央駐車場」と「前澤一球句碑」。
「天竜峡(てんりゅうきょう)」は、長野県飯田市にある「天竜川」の峡谷で、
昭和9年(1934)、国の名勝に指定されている。
峡谷を船で下りながら見る大岸壁や奇岩の風光明媚な景色で知られ、「天竜峡十勝」と呼ばれる
10の奇岩には、命名した書道家「日下部鳴鶴」自筆の銘が彫られている。
新緑や紅葉のシーズンは勿論のこと、白い雪と黒い岩陰の濃淡が織りなす冬ならではの造形美を
「こたつ舟」から見ることもできる。
なお、本ページで紹介するコースは、天龍峡温泉観光協会のHPに掲載される「名勝天龍峡お散歩マップ」を
参考に、右回りで歩いた記録である。
このマップには、「1週約2キロ、ゆっくり歩いて1時間くらい」とある。また、「天竜峡」と「天龍峡」の両方の文字が
使われているが、本ページでは、基本的に「天竜峡」の文字を使用する。
2015/10/25(9:44)
「天竜峡田尻稲荷神社」の鳥居。
鳥居を潜り、「第1公園」の中を「姑射橋」に向かう。
2015/10/25(9:45)
「天竜峡田尻稲荷神社」。
由来には、古来より「白狐」を稲荷の神の使いとして
崇めており、大正5年に、里人の浄財を得て、
「田尻稲荷神社」を創建したとある。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/10/25(9:47)
「第1公園」の中の遊歩道。
「第1公園」は、「天龍川」の右岸にあり、「姑射橋」は、
上流の方向にある。
この先、「姑射橋」の手前右側に「帰鷹崖」の案内板が
立つが、崖上に位置するため「帰鷹崖」の岩壁などを
見ることはできない。「帰鷹崖」の姿は、「姑射橋」から
見ることができる。
写真をクリックすると「帰鷹崖」の案内板(600x450)が
表示されます。
2015/10/25(9:51)
坂を下り「姑射橋」へと向かう。
2015/10/25(9:51)
「天竜峡」の標識。
2015/10/25(9:52)
「姑射橋(こやきょう)」。
「姑射橋」は、JR飯田線「天竜峡駅」のすぐ東側にあり、
橋のすぐ上流に「天竜ライン下り」の乗船場がある。
2015/10/25(9:53)
「姑射橋」から見る「天竜川」下流方向の景色。
写真をクリックすると縦に撮る写真(450x600)が
表示されます。
2015/10/25(9:54)
「帰鷹崖(きようがい)」。
「姑射橋」下流側右岸の岩である。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2015/10/25(9:58)
「姑射橋」から見る「天竜川」上流方向の景色。
「天竜川」の左岸(写真右)に「天竜ライン下り」の乗場。
右岸(写真左)、JR飯田線の線路脇の道には、
「天龍川氾濫最高水位之碑」が立つ。
この最高水位は、昭和36(1961)年に伊那地方を
襲った豪雨(三六水害)の際に記録されたという。
写真をクリックすると3.5倍ズームで撮る「天竜ライン
下り乗船場」が表示(600x450)されます。
2015/10/25(9:56)
「姑射橋」を渡り、「天竜川」左岸を下流方向に歩き、
「つつじ橋」に向かう。
「姑射橋」の左岸側の石畳には、「龍」が刻まれる。
写真をクリックすると石畳に刻まれる「龍」が
表示(450x600)されます。
2015/10/25(10:00)
「天龍川」左岸の遊歩道。
2015/10/25(10:02,10:03)
「浴鶴巌(よくかくがん)」。
左の写真は、「浴鶴巌」の案内板の近くにて撮影。
右の写真は、下流方向に少し歩き、振り返って撮影。この写真には「浴鶴巌」の文字が写るが、
「鳴鶴」の筆により「浴鶴巌」の3文字が刻まれた岩は、昭和23年(1948)に崩落している。
左の写真をクリックすると「浴鶴巌」の案内板(600x450)が表示されます。
右の写真をクリックすると「浴鶴巌」と刻まれる部分が拡大表示(600x450)されます。
2015/10/25(10:04)
「つつじ橋(下流)」に向け歩く。
2015/10/25(10:05)
展望台「龍峡園」。
この日、「天竜川」の姿は木の葉に隠れ、
ほとんど見ることができなかった。
2015/10/25(10:05)
「道祖神」。
この「道祖神」は、展望台「龍峡園」と遊歩道を挟んだ
向い側にある。
左に2つ並んで座るのは、「蛙」であろう。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/10/25(10:07)
坂を下り、車道へと出る。
2015/10/25(10:09)
車道を離れる。
標識には「天竜峡遊歩道 この階段を上がって下さい」
とある。また、「つつじ橋 10分」とあるのだが、
この日、「つつじ橋」に着いたのは、10時35分。
これは、美しい景色に見蕩れたり、団体客に紛れ込み、
思うように歩けなかったこと等もあるが、この先の、
きつい坂や美しい景色を考慮すると、15~20分
程度は、見ておいた方が良いのではと思われる。
2015/10/25(10:10)
階段を上がると「天竜峡公園」。
奥の建物は「トイレ」。
2015/10/25(10:11)
公園の先に立つ「生物供養碑」。
写真は、振り返って撮影。
写真をクリックすると「生物供養碑」の部分を
切り抜いた画像(600x450)が表示されます。
2015/10/25(10:11)
坂がきつくなる。
2015/10/25(10:13)
「澤柳爺頌徳碑」。
私財を投じ、初代の「太田橋(後の姑射橋)」を架けた、
「澤柳善十郎翁」の碑。
写真をクリックすると「澤柳爺頌徳碑」が
拡大表示(450x600)されます。
2015/10/25(10:15)
傾斜は緩くなってきた。
2015/10/25(10:16)
再び車道に出る。
2015/10/25(10:19)
「中原謹司先生之碑」。
下伊那郡竜江村(現飯田市)出身で、大日本帝国の
政治家「中原謹司」の事だと思うのだが未確認。
写真をクリックすると「中原謹司先生之碑」が
拡大表示(450x600)されます。
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