遠山郷
(龍淵寺編)

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2012/4/13(15:54)
「龍淵寺櫻門」。
正門ではないが、この日は「櫻門」の階段を
登る。
写真右上に写る、「和田城」は、郷土資料館に
なっており、遠山氏ゆかりの品や、霜月祭りの
面レプリカ等が展示されている。
なお、本ページの写真には、翌朝再び訪れ撮影
した写真が含まれています。

2012/4/13(15:55)
「観音座像」。
「櫻門」の階段を登ると、すぐ左側にある。
なお、龍渕寺(りゅうえんじ)は、戦国時代から
江戸時代初期にかけて、この地を支配していた
「遠山氏一族」の墓をまつる菩提寺であり、
写経の寺としても知られる。

2012/4/13(15:58)
「お掃除小僧さん」。
「禅門」では、1掃除、2坐禅、3勤行といい、
掃除を第一の重要課題とし、「掃除」とは、
ゴミを清掃することではなく、「自分の心の垢を
取り除くことである」とある。

2012/4/13(15:59)
龍淵寺の「アオバズク」。
龍淵寺の「アオバズク」は、青葉の頃に南アジア
方面から「龍淵寺」の森に渡ってきて、大杉の
洞で営巣。
9月には親子で、南アジアに旅立つという。
2012/4/13(15:59)
龍淵寺「正門」から見る本堂。
2012/4/13(15:59)
龍淵寺「正門」。
2012/4/13(16:00)
「六地蔵」。
2012/4/13(16:00)
「かんのん讃歌」。
「相田みつを」の詩が、
「アノネ かんのんさまが みていてくれるよ
なにもかも みんな承知でね かんのんさまが
みていてくれるよ いいわけや べんかいなんか
しなくてもね かんのんさまが ちゃんと
みていてくれるよ みつを」と刻まれている。
2012/4/13(16:00)
「鐘楼」。
2012/4/13(16:01)
「聖観音菩薩」。
2012/4/13(16:02)
居並ぶ「観音菩薩」。
「手水舎」の後ろ、「観音大杉」手前の階段両脇
にも「観音菩薩」が並んでいる。
数を数えていないため定かでないが、この12体
は「三十三観音」の一部であろう。
2012/4/13(16:02)
「史跡 和田城址」の案内板。
案内板には、主に「遠山氏一族」のことについて
書かれている。
写真をクリックすると拡大写真(800x600)が
表示されます。
2012/4/13(16:03)
「水子地蔵」。
2012/4/13(16:03)
「手水舎」。
2012/4/13(16:04)
正面から見る「観音大杉」。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2012/4/14(6:48)
「観音大杉」の説明。
大杉には、各々名前が付けられ、左から
「光ちゃん」、「愛ちゃん」、「空ちゃん」、
「夫婦杉」とある。
写真をクリックすると「観音大杉」の説明が
表示(600x280)されます。
2012/4/13(16:06)
横から見る「観音大杉」。
近くによると、樹齢500年、幹周り20mと
いわれる「夫婦杉」の迫力に圧倒される。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2012/4/13(16:07)
六地蔵と「観音大杉」。
「観音大杉」の前に「遠山氏一族」の墓が並ぶ。
写真をクリックすると「遠山氏一族」の墓が
表示(600x450)されます。
2012/4/13(16:10)
龍淵寺「本堂」。
2012/4/14(6:51)
ピンコロかえる「ナーム君」。
本堂前にある。
名前「ナーム」の語源は、「南無」。
観音さまの真言を3回お唱え下さい。
「オンアロリキャソワカ」合掌、とある。
2012/4/13(16:12)
龍淵寺「光堂」。
屋根の下には、「ウサギ」と「竜」の彫刻が
飾られ、毎年干支の彫刻を追加し、「光堂」を
ぐるりと一回りするように12個の彫刻を揃える
予定だという。
2012/4/13(16:14)
「光堂」から「正門」下に続く階段。
2012/4/13(16:16)
階段の下から見上げる「正門」。
2012/4/14(6:55)
「観音霊水」。
国内屈指の硬度を誇り、平成の名水百選に
選ばれている。

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