木落し坂&諏訪大社下社秋宮
(木落し坂&木落し公園)

「木落し坂&諏訪大社下社秋宮」のページは、2部構成になっています。
本ページの下に、関連ページへのハイパーリンクがあります。

諏訪大社では七年に一度の寅と申の年に宝殿を新築し、社殿の四隅にあるモミの大木を
建て替える。この祭りが「式年造営御柱大祭」。通称「御柱祭」である。
諏訪大社は上社と下社に分かれ、上社本宮と上社前宮、下社春宮と下社秋宮の4社。
合計16本の柱を地区ごとに担当。長さ約17m、直径1m余り、重さ10トンを超える
巨木を山から切り出し、神社までの道中を人力のみで曳いて運び、各社殿の四隅に
建てて神木とする。このページでは、祭り最大の難所「木落し」の坂を紹介する。

この下にある「プルダウンメニュー」が表示されない場合は、ページ最下行にあるハイパーリンクをご利用下さい。





2010/6/6(14:26)
「木落し坂」。
「下社御柱祭」の「木落し」が行われる坂。
最大斜度35度。距離100m。
大倉山ジャンプ競技場の最大傾斜角度が、37度
というから、スキーのジャンプ台並である。
坂には「危険立入禁止」の看板が立っている。

2010/6/6(14:28)
「木落し坂」の上には、今にも滑り落ちるかの
ように「模擬御柱」が置かれている。

2010/6/6(14:29)
「砥川」の対岸には「観客席」がある。
「木落し」の時には、大観衆が河原を埋め尽くす
というから、「観客席」というより、後ろの人が
見えるように段差を設けているという方が正しい
のかも知れない。

2010/10/28(10:13)
「木落し坂」の上にある標識。
ここから2行の写真は、2010年10月に再訪時に
「木落し坂」の上で撮影したものである。
2010/10/28(10:13)
「模擬御柱」。
この「模擬御柱」は、2010年4月に設置されたという。
実際の「御柱祭」の時とは、設置場所、設置角度等が
異なるというが、雰囲気は十分に伝わる。
2010/10/28(10:14)
「賽銭箱」。
「模擬御柱」の前には「賽銭箱」が置かれ、
寄せられた浄財は、「木落し坂整備事業」等に
使用されるとある。
2010/10/28(10:15)
上から見る、諏訪大社下社の「木落し坂」。
2010/10/28(10:15)
「模擬御柱」近くにある石碑。
諏訪大社下社御柱街道「天下の木落し坂」と
ある。
2010/10/28(10:17)
木落し坂の下にある道路が、随分と下に見える。

2010/6/6(15:17)
「木落し公園」。
「木落し公園」にある「上社御柱祭」の「木落し」が行われる坂。
平均角度26度34分。水平距離32m。高低差16m。「木落し」が安全に行えるように、水平距離を伸ばし幅を広げているというが、
下社の御柱の伐採は、1年前に行われ、伐採が早い分、木は乾燥し、その重さは6~8トン。
これに対し、上社の御柱は、伐採が祭りの直前(1ヶ月前)であること。目処梃子(めどてこ:御柱の前後にV字型に付ける角のような柱)を付け、
これに氏子がしがみついたまま坂を落ちる等から、その重さは10トンを越える。
このため、「上社御柱祭」においても、過去に幾人もの死傷者を出している。また、下社と上社とでは趣が異なり、下社の木落しが、
「勇壮盛大」であるのに対して、上社の木落しは目処梃子がいかにV字のまま落ちるかという「美しさ」が重視されているとのこと。

2010/6/6(15:15)
「御柱追掛け綱固定柱」。
「御柱」を後ろへ曳っぱり速度を調節するのが
「追掛け綱」。御柱は、前に曳いて落とすのでは
なく、落とす瞬間まで後ろに曳っぱっていて、
写真の「固定柱」に固定した「追掛け綱」を
切って落とすという。
2010/6/6(15:19)
「木落し公園」の坂を横から撮る。
坂の横には階段があり、階段の途中には「休憩
所」も設けられている。
写真に写るのは「ソリ遊び」を行うときの注意書
きで、この斜面は「立入禁止」どころか、夏は、
斜面に張られた芝での「芝生遊び」。冬の「ソリ
遊び」等、地域住民の憩いの場、遊び場として
提供されている。
2010/6/6(15:21)
「木落し公園施設案内図」。
公園の現状。利用上の注意事項等が書かれて
いる。

なお、この後、2010年7月、この木落し公園にも
「模擬御柱」が設置され、本番同様に、長さ5m
ほどのV字形「目処梃子(めどてこ)」が付けら
れているという。

  旅の記録(長野県)に戻る    諏訪大社下社秋宮に進む

 旅の記録に戻る    Donichi’s HomePageに戻る