永平寺
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2015/10/27(12:36,12:38)
「町営第1駐車場」の出入口と「六地蔵」。
福井県吉田郡永平寺町にある「永平寺(えいへいじ)」は、横浜市鶴見区にある「總持寺」と並ぶ、
日本曹洞宗の中心寺院(大本山)であり、寛元2年(1244)、「道元禅師」により開祖。応安5年(1372)には、
「後円融天皇」から「曹洞宗第1道場」の勅額を贈られ、現在も750年前に「道元」によって定められた
厳しい作法に従って座禅修行が営まれている。
左の写真「町営第1駐車場」は、永平寺山門まで歩いて5分程の国道364号線沿いにある。
「永平寺」周辺には、3つの町営駐車場の他、民間の駐車場もあるが、町営も含め全てが有料駐車場である。
周辺の土産物屋では、土産物を購入すれば、無料で車を止めされてくれるようだが、これは未確認である。
右の写真の「六地蔵」は、「町営第1駐車場」から「永平寺」に向け歩くと、すぐ左側にある。
2015/10/27(12:40)
「志比線刻磨崖仏(しひせんこくまがいぶつ)」。
「永平寺バス停」近くの岩肌には、地蔵菩薩像7体、
聖観音菩薩像2体、計9体の磨崖仏が刻まれた
「志比線刻磨崖仏」がある。
約500年前の永正年間(1504~1520)の頃に、
同じ作者により彫られたといわれるが、作者は不明。
写真をクリックすると岩に刻まれる「磨崖仏」の
一部(2体)が表示(600x450)されます。
2015/10/27(12:43)
「半杓橋(はんしゃくばし)」。
「永平寺」は、写真を撮る背中の方向にある。
2015/10/27(12:44)
「門前通り」。
写真を奥に進んだ突き当たりに「永平寺」があり、
通りの左右には、土産物屋などが並ぶ。
2015/10/27(12:47)
永平寺の「寺号標」。
門前通りを進むと、道が右にカーブする正面に、
永平寺の「寺号標」が立ち、「寺号標」のすぐ右に
「正門参道」の入口がある。
2015/10/27(12:47)
「正門参道」入口。
入口の左右に立つ石柱には、「汲流千億人(左)」、
「杓底一残水(右)」と「道元禅師」の言葉が刻まれる。
2015/10/27(12:48)
「正門参道」。
参道左には、宝物館「瑠璃聖宝閣」があり、
右には「永平寺川」が流れる。
2015/10/27(12:49)
「偃月橋(えんげつきょう)」。
「偃月橋」は、「通用門」手前右側の「永平寺川」に
架かる橋で、川の対岸には、「稲荷堂」、「地蔵堂」、
「天照大神宮」、「金比羅堂」等が建つ。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/10/27(12:50)
「通用門」。
参拝者は、この門から境内に入る。
2015/10/27(12:50)
「放生池」。
「放生池」は、「通用門」外の東側にある。
池の中央で舟に乗るのは、海で時化(しけ)に遭った
「道元禅師」を救ったという「一葉観音」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/10/27(12:53)
「吉祥閣(きちじょうかく)」。
境内参拝の受付があり、檀信徒や参禅者、
一般参拝者が写経や座禅体験等を行うための
研修道場である。
2015/10/27(12:56)
「境内図」。
「吉祥閣」で受付を済ませると、畳敷きの広い部屋に
案内され、永平寺の概要と参拝中の注意事項等に
ついて説明を受ける。
説明では、決められた参拝順路から外れない等の
基本ルールを守れば、写真の撮影は自由だが、
「修行僧に直接カメラを向けることは御法度」という
ことであった。
説明を受けた後は、参拝順路に従っての自由行動と
なる。
写真は、この部屋にあった「境内図」。
写真をクリックすると「境内図」が拡大表示されます。
この「境内図」は、1,500x950ピクセルあります。
「境内図」の文字を読みたいときには、表示された
画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2015/10/27(13:08)
「傘松閣(さんしょうかく)」。
2階の156畳敷き大広間は、別名「絵天井の大広間」と
呼ばれ、昭和5年(1930)に建築された当時(現在の
建物は、平成6年(1994)に改築)の著名な画家144名
による230枚の花や鳥等の「色彩画」が修復され、
天井にはめ込まれている。
写真をクリックすると「天井絵」の一部を撮影した
写真(800x600)が表示されます。
2015/10/27(13:10)
「山門」に向け歩く。
2015/10/27(13:10)
奥に「山門」があるが、順路は途中で左に折れ、
「僧堂」へと向かう。
写真右には、永平寺「七堂伽藍」の一つで、心身共に
清浄となることを心がける道場である「東司(とうす:
お手洗い)」があり、不潔な便所を、聖なる炎の功徳
によって焼き尽くし、清浄な場所に変えるという
「烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)」が祀られている。
また、永平寺「七堂伽藍」の中でも、この「東司」に加え、
「僧堂」「浴室」の3つは、「三黙道場」と呼ばれ、
一切の私語は、禁止されている。
2015/10/27(13:11)
山門と中雀門の間の「内庭」。
2015/10/27(13:12)
廊下左に「僧堂(そうどう)」。
永平寺「七堂伽藍」の一つ「僧堂」は、修行の根本と
なる道場で、修行僧には「起きて半畳、寝て一畳」と
いわれるスペースが与えられ、この中で坐禅・食事・
就寝を行い、一日のほとんどを、この「僧堂」の中で
過ごす。
この「僧堂」も、「東司(お手洗い)」と同じく、
一切の私語が禁止される「三黙道場」の一つである。
2015/10/27(13:12)
「僧堂」前の廊下から見る「山門」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/10/27(13:13)
「僧堂」前の廊下から見る「仏殿(ぶつでん)」。
永平寺「七堂伽藍」の一つ「仏殿」は、「七堂伽藍」の
中央に位置し、永平寺の御本尊「釈迦牟尼仏(しゃか
むにぶつ)」を祀り、御本尊の右に「未来弥勒仏」、
左に「過去阿弥陀仏」の三世如来を祀る。
この日、建物は工事中であった。
2015/10/27(13:13)
中雀門と仏殿の間の「内庭」。
2015/10/27(13:14)
「法堂」への階段を登る。
2015/10/27(13:15)
参拝路の左に見る「承陽門」と「承陽殿」。
写真の石段は、参拝順路には入っていない。
2015/10/27(13:17)
「承陽殿(じょうようでん)」。
「承陽殿」は、「道元禅師」の「御真廟(ごしんびょう)」。
つまり、お墓(御霊屋)である。
次のページでは、「承陽殿」の中に入り、「法堂」から
伽藍の東側へと進みます。
このページは、永平寺(2/2)に続きます。
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