この下にある「プルダウンメニュー」が表示されない場合は、ページ最下行にあるハイパーリンクをご利用下さい。
このページは、羽黒山(参道杉並木)1/2からの続きです。 直接このページに入られた方は、羽黒山(参道杉並木)1/2のページを先にご覧ください。 羽黒山(参道杉並木)1/2のページへ |
||
2014/5/30(8:13) 「三の坂」。 傾斜が急になってきた。 石段の上には「八幡神社」が見えている。 |
2014/5/30(8:15,8:15) 「八幡神社(左)」と「尾崎神社(右)」。 2つの神社は、参道を跨いで向かい合っている。 |
|
2014/5/30(8:15) 「三の坂」最後の急傾斜。 「八幡神社」の前にて撮影。 写真をクリックすると拡大写真(450x600)が表示されます。 |
2014/5/30(8:18) 「講堂(旧圓珠院跡)」。 |
2014/5/30(8:19) 「三の坂」。 傾斜は緩くなり「三の坂」は登り切ったようである。 「斎館」は、すぐ先の左側に建つ。 |
2014/5/30(8:20) 「斎館(元華蔵院)」。 山内に残る唯一の「院坊」であり、予約すれば、 精進料理を頂くことができ、宿泊も可能である。 写真をクリックすると門から見る「斎館(元華蔵院)」が 表示(600x450)されます。 |
2014/5/30(8:22) 「山頂鳥居」。 山頂入口に立つ、この「赤い鳥居」は、庄内の生徒や 学童の寄付によって建立されたという。 |
2014/5/30(8:24) 「手水舎」。 この水は「月山」の4合目、6合目から引いてきた 清水とある。 |
2014/5/30(8:25) 「厳島神社」。 向拝には、見事な彫刻が刻まれる。 写真をクリックすると近づいて撮る向拝の 写真(600x450)が表示されます。 |
2014/5/30(8:27) 「蜂子社」。 元の「開山堂」で、「出羽三山神社」の開祖である 第32代崇峻天皇の御子「蜂子皇子」を祀る。 この年は、12年に1度という「羽黒山」の御縁年に あたり、明治以降公開されたことのない「蜂子皇子」の 御尊像が、一般に公開されていた。 写真をクリックすると「蜂子社」の案内板(800x600)が 表示されます。 |
2014/5/30(8:28) 「三神合祭殿」。 文政元年(1818)に完成の現在の社殿は、高さ28m、 桁行24.2m、梁間17mで主に杉材を使用。 屋根は、厚さ2.1mの萱葺きで、萱葺の木造建築 としては、日本で最大の大きさを誇るという。 この日は、屋根の修理が行われていた。 |
2014/5/30(8:29) 「三神合祭殿」正面の三神社号額。 内陣には、正面中央に月山神社の祭神「月読命」、 右に出羽神社の祭神「伊氐波神(稲倉魂命)」、 左に湯殿山神社の祭神「大山祇命」「大己貴命」 「少彦名命」が祀られている。 写真をクリックすると「三神合祭殿」の内部(600x450)が 表示されます。 |
2014/5/30(8:33) 「鏡池」。 本殿の「御手洗池」だが、平安から鎌倉時代にかけて 人々から奉納された「銅鏡」が多く埋納されることから 「鏡池」と呼ばれている。 |
2014/5/30(8:34) 「参集殿」。 従来の直務所に参拝者の受入施設、神職養成所、 さらには儀式殿を附設した多目的施設である。 |
2014/5/30(8:35) 「鐘楼堂」。 萱葺きの鐘楼は「最上家信」の寄進で元和4年(1615)に 再建。鐘は建治元年(1275)の銘があり、「東大寺」、 「金剛峰寺」に次いで古く、かつ大きい古鐘だという。 |
2014/5/30(8:36) 写真奥左に「三神合祭殿」、右に「参集殿.」、 右手前は「平和塔」で、「参集殿」と「平和塔」の間に 「鐘楼堂」が建つ。 |
2014/5/30(8:37) 「霊祭殿(旧佛立堂・地蔵堂)」。 「羽黒山」では、「三神合祭殿」にお参りした後に 「霊祭殿」で先祖や所縁の供養をする習わしがある とある。 また、社殿は、昭和58年(1983)に再建され、外拝殿の 天井には、「横山大観」の弟子「熊澤観明画伯」の 鎮魂絵「天女と神龍」が奉納されている。 |
2014/5/30(8:39) 「東照宮」。 |
2014/5/30(8:39) 「神輿舎」と末社。 一番左が「神輿舎」で、その右に7つの末社が並ぶ。 |
2014/5/30(8:41) 「天宥社」。 羽黒山50世執行別当「天宥法印」を祀る。 「天宥法印」は、今日の「羽黒山」繁栄の基を築き、 「羽黒山」中興の祖と仰がれる人物で、このページで 紹介している杉並木や2446段の石段を築いたのも 「天宥法印」である。 |
2014/5/30(8:42) 駐車場側の「鳥居」。 鳥居の前には「蜂子神社特別参拝順路案内図」が立つ。 特別参拝の期間は過ぎたが、案内図は「境内図」として 参考にして頂ければと思う。 写真をクリックすると「蜂子神社特別参拝順路案内図」が 表示(800x600)されます。 |
2014/5/30(8:45) 手前に「鏡池」、奥に「三神合祭殿」。 |
2014/5/30(8:47) 「護摩壇」。 「蜂子神社」の前にあり、8月31日の「蜂子神社祭 (八朔祭)」の夜には、秋の峰入りの行を行っている 山伏達の手によって、 「柴燈護摩(さいとうごま)」の 儀式が執り行われるという。 また、「特別参拝順路案内図」には、「待機場所」と 書かれており、近くには「蜂子神社御開扉」の 案内板が立っていた。 写真をクリックすると「蜂子神社御開扉」の 案内板(450x600)が表示されます。 |
2014/5/30(8:50) 「能除太子御坐石」。 「参道杉並木」を登り切った所にある鳥居の脇にあり、 文字通り、「能除太子」が坐禅をしたという石なのだが、 「蜂子皇子」は、多くの人々の苦悩を取り除いた事から、 「能除大師」とも呼ばれるようになったという。 写真をクリックすると「能除太子御坐石」の 写真(600x450)が表示されます。 |
2014/5/30(8:56) 「参道杉並木」を下る。 写真には、左に「八幡神社」、右に「尾崎神社」が写る。 |
2014/5/30(9:07) 「三の坂」を下り切る。 写真は、直進方向が「三の坂」の石段。 右の方向に進むと「南谷」。 写真をクリックすると「南谷への分岐」近くで見る 杉の「枯木」と「木肌」が表示(600x400)されます。 |
2014/5/30(9:07) 「三の坂」を下り切ったところで見る杉並木。 写真をクリックすると拡大写真(450x600)が 表示されます。 |
2014/5/30(9:12) 「旧御本坊跡」で参道を南にそれ、「伊弉諾稲荷神社」 に向かう。 途中、一部に急な坂もあり、多少長く感じたが、 距離は、150m程である。 |
2014/5/30(9:15) 「伊弉諾稲荷神社」。 |
2014/5/30(9:17) 「伊弉諾稲荷神社」から参道に向け歩く。 この後、9時19分参道に戻り「二の坂茶屋」に向かう。 |
2014/5/30(9:22) 「二の坂茶屋」。 往きには閉まっていた店も、この時間は開いている。 写真をクリックすると営業中の「二の坂茶屋」が 表示(600x450)されます。 |
2014/5/30(9:24) 「二の坂」の急坂を下る。 |
2014/5/30(9:27) 「二の坂」。 この後、9時29分「二の坂」を下り終える。 |
2014/5/30(9:34) 「一の坂」の急坂を下る。 下から人が上ってくるのが見えている。 (拡大写真には、人の姿が小さく写ります) 写真をクリックすると拡大写真(450x600)が 表示されます。 |
2014/5/30(9:38) 前方左に「大直日神社」が見えている。 「大直日神社」は、「一の坂」を下り切った所にある。 なお、写真では判別できないが、「大直日神社」の 奥に「子守神社」、右方には「保食神社、天満神社」が ある。 |
2014/5/30(9:41) 「護摩堂跡」。 帰りは、「五重塔」の敷地内には入らずに、参道を 直進した所にあった。 「羽黒山五重塔」は、この写真を撮る背中の方向にある。 |
2014/5/30(9:44) 「祓川神橋」と「下居社」。 |
2014/5/30(9:45) 「継子坂」の下。 往きに、何かの撮影が行われていた場所であるが、 撮影は終わり、何事もなかった様に片づけられている。 |
2014/5/30(9:50) 「随神門」。 |
2014/5/30(9:51) 「天地金神社」。 「随神門」の手前を右に入った所にあり、応永4年(1397) に創建され、当時は「元三大師像」を本尊とし、名前も 「大師堂」であったが、昭和39年(1994)に「須佐之男命」 をお祀りし、名前も「天地金神社」になったという。 |
2014/5/30(10:07) バス停「桜小路」付近で見る「宿坊街」。 左右に宿坊の看板が並ぶ。 |