みやぎの明治村
「旧登米高等尋常小学校」

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2014/5/25(9:06,9:07,9:08)
「旧登米高等尋常小学校(教育資料館)」と、校門を入ったところにある「日時計」と「自覺力行之人像」。
「旧登米高等尋常小学校(教育資料館)」は、「みやぎの明治村」と呼ばれる、「登米市登米町(とめしとよままち)」に5つある
歴史資料館の一つであり、明治21年(1888)に建てられ、「コの字型」の中央に「バルコニー」を設けた2階建ての木造校舎は、
国の重要文化財に指定されている。
また、校舎内は、当時の学校を再現した教室や教育に関する資料等を展示する「教育資料館」として、一般に公開されている。
2014/5/25(9:10)
正面から見る「旧登米高等尋常小学校」。
校舎の左右両端に設けられた六角形の昇降口(生徒が利用する出入口)は、その形から通称「六方」と呼ばれ、
正面左(西)側の「六方」が見学者用の出入口となっている。
この写真は、パノラマ撮影した写真から、建物部分を切り抜いています。
2014/5/25(9:08)
正面から見る「旧登米高等尋常小学校」。
標準レンズでは、建物の左右が収まらない。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2014/5/25(9:11)
西側「六方」を入った所。
右に写る廊下を上がり、一番手前の部屋「事務室」で
観覧券を購入する。
写真をクリックすると「六方の天井」の
写真(600x450)が表示されます。
2014/5/25(9:13)
「西側廊下」から見る中庭。
2014/5/25(9:13)
「西側廊下」。
廊下一番手前の部屋が「事務室」で、その奥が
「とよま町の案内室」になっている。
2014/5/25(9:14)
「とよま町の案内室」。
当時、「登米町」で使用されていた機械類や
町を代表する建物の模型などが展示され、
部屋の正面には「登米」の歴史と現状を紹介する
パネルが置かれている。
2014/5/25(9:17)
「敷居水抜き穴」。
建物外部の敷居には風雨によって流入した雨水が
溝に溜まるのを防ぐための、水抜き穴が作られている。
2014/5/25(9:19)
「ゆがんだガラス」。
明治21年(1888)の建設当時に輸入されたガラスは、
ゆがんだ上に気泡や線が入る。
また、平成23年(2011)の東日本大震災では、多くの
ガラスが壊れたため、ドイツから「ゆがんだガラス」を
再度輸入し、はめ込んだとある。
写真をクリックすると近づいて撮る「ゆがんだガラス」が
表示(600x450)されます。
2014/5/25(9:20)
「傘立て」。
明治16年宮城県令学校建築心得により、廊下側腰板に
折りたたみ式傘立てが設置されたとある。
2014/5/25(9:21)
「再現教室」。
明治16年の「宮城県令学校建築心得」では、「教場は
長方形を良とする、巾三間、長さ四間中に三十人まで」
とあり、これは俗にいう二十坪の教室であり、当時は
照明設備がないため窓や壁の色などで明るさを出す
ようにと指導されたとある。
2014/5/25(9:21)
教壇から見る「再現教室」。
教室の後ろには「達磨ストーブ」が置かれている。
2014/5/25(9:22)
後ろから見る「再現教室」。
2014/5/25(9:24)
「勉強机」。
机の天板は蓋になっており、中には勉強道具が
仕舞えるようになっている。
2014/5/25(9:25)
「教壇机」。
2014/5/25(9:29,9:29)
「裁縫室兼講堂」。
広い部屋を2つに分けており、左の写真が東側の「講堂」。右が西側にある「裁縫室」。
右の写真、一番手前の机には「伊達家で育った方々が代々使用した勉強机で、
中には東大へ一発合格した方もいる」とある。
2014/5/25(9:35)
「バルコニー」。
廊下を挟んだ向かい側には「校長室」があり、
校長は「バルコニー」に立ち、中庭に並ぶ生徒達に
訓辞等を述べたという。
2014/5/25(9:36)
「校長室」。
平成2年(1990)、皇太子殿下行啓のおりには、
この校長室で、御歓談なされたという。
2014/5/25(9:38)
バルコニーから見る「中庭」。
2014/5/25(9:39)
「天皇皇后両陛下、皇太子殿下ご来町の記録」。
天皇皇后両陛下は、平成13年(2001)に開催された
「みやぎ国体」のおりに来町。
また、皇太子殿下は、平成2年(1990)年の全国高等学校
総合体育大会のおりに来町されたという。
2014/5/25(9:40,9:41)
「旧登米小学校建築の歴史資料室」。
「旧登米高等尋常小学校」建築当時の「瓦」や、建物保存修理の記録写真等が展示されている。
右の写真をクリックすると「保存修理工事」の説明(800x600)が表示されます。
2014/5/25(9:42,9:42)
「学校の沿革史展示室」。
当時書かれた貴重な記録(業務日誌)や、校名が記された歴代の看板等が展示されている。
2014/5/25(9:45)
校舎東側2階から見るバルコニー。
下に写るのは「井戸」の屋根で、この「井戸」は、
子供たちの雑巾がけや、足洗い場として使用された
とある。
2014/5/25(9:46)
「半鐘」。
東側校舎1階にあり、大正5年から昭和14年までの間、
授業の始・終業の合図に使われ、その後は消防署の
火の見櫓の半鐘として使われたとある。
2014/5/25(9:47,9:47)
「秋まつり展示室」。
「登米」の秋まつりは、300年を越える伝統の祭りで、宵祭では燃えさかる焚火に照らされる中で
「薪能(たきぎのう)」が奉納され、本祭では11台の豪華な山車が町中を練り歩くという。
注:「薪能」は、伝統芸能伝承館「森舞台」で行われ、観覧にはチケット(有料)が必要。
2014/5/25(9:48)
建物の基礎部分(左)と「校門」の一部(右)。
東側「六方」の中に展示されている。
2014/5/25(9:49,9:49)
「あ~なつかしの30年代」。
昭和30年代の雑誌やレコードジャケット等が展示されている。
2014/5/25(9:51)
昭和45年度から使用された「校長室」。
「旧登米高等尋常小学校(教育資料館)」には、
2つの校長室があり、昭和45年度から使用された
「校長室」は、1階中央にある。
2014/5/25(9:51,9:52)
「教科書図書室(昭和時代)」。
昭和の時代に使用された教科書や地図などが展示されている。
2014/5/25(9:52,9:53)
「明治・大正の教育資料室」
明治・大正時代に使われた教育資料(世界動物獣類図や世界人種相貌全覧等)が展示されている。
2014/5/25(9:57)
「校門」。
県の重要文化財に指定されていた落成当時の校門は、
昭和53年(1978)の宮城県沖地震により倒壊。
現在の門は、翌53年(1979)に再建されたという。
なお、明治21年(1888)に建設された、当時の校門の
一部が、東側「六方」の中に展示されている。

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