松島海岸(雄島)

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2010/9/24(13:28)
「渡月橋」を渡る。
「雄島」は、東西40m。南北200m程の島で
あり、この「渡月橋」で陸と結ばれている。

2010/9/24(13:29)
「渡月橋」を渡り、「雄島」に入ると、すぐ右に
「磨崖仏」がある。

2010/9/24(13:31)
「御島真珠稲荷大明神」。
左の写真に写る「鳥居」を抜けた先にある。
正しくは「新右衛門稲荷」で、江戸後期のころ、
江戸からの便船が暴風に巻き込まれ、乗り合わせ
ていた白キツネに救われたという話から、海難
防止の守り神として知られる。

2010/9/24(13:33)
「雄島」の南にある「頼賢の碑」の方向に歩く。
2010/9/24(13:34)
「座禅堂(把不住軒)」。
「雲居禅師」の隠棲所として建てられたものと
いう。
2010/9/24(13:37)
「頼賢の碑」がある「雄島」の南端が見えて
きた。
2010/9/24(13:37)
「頼賢の碑(国重要文化財)」は、この六角形の
鞘堂の中に収められている。
「頼賢の碑」は、板状の粘板岩に、碑文などが
刻まれているもので、妙覚庵主「頼賢」の徳行を
後世に伝えようと建てられたという。
2010/9/24(13:42)
「雄島」の東側を北方向に歩く。
2010/9/24(13:46)
「雄島」の北側にある、「おくのほそ道碑」。
寛政元年(1789)に建てられた。
2010/9/24(13:48,13:50)
「松吟庵」跡地の「岩窟」。
「松吟庵」は、「見仏堂(妙覚庵)」の跡に建てられたという。
島内には、このような岩窟が108あったといわれ、その跡が現在でも50程残る。
2010/9/24(13:51)
「妙覚庵敷」と書かれた標柱。
ここにあった「見仏堂(妙覚庵)」は、江戸期以降の
ものらしいが、詳細は不明。
2010/9/24(13:53)
「妙覚庵敷」と書かれた標柱の近くで見る「仙台湾」の景色。
写真中央の辺りが、「遊覧船のりば」。右の方に写るのが「福浦島」である。
注:写真は、横が1,672ピクセルあります。写真直下にあるスクロールバーをご利用ください。
2010/9/24(13:56)
「見仏上人」が法華経六万巻を読誦した「見仏堂(妙覚庵)」の跡地とされる場所に彫られた「岩窟」。
これらの「岩窟」は修行僧らが死者の浄土往生を祈念したもので、内部の壁面には卒塔婆や仏像、法名等が彫られている。
2010/9/24(13:57)
「見仏堂(妙覚庵)」の跡地横に掘られた
「トンネル」。
2010/9/24(13:59)
「渡月橋」近くの遊歩道横の窪みには、小さな
「石仏」が並んでいた。
2010/9/24(14:02)
再び「渡月橋」を渡り、「グリーン広場」方向に
歩く途中の「切通し」。

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