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2010/7/4(11:25) 「日本三景」の碑。 「中央広場」の中、「五大堂」入口の近くにある。 |
2010/7/4(11:27) 「透かし橋」。 「五大堂」は、「中央広場」から少し離れた 島の上にあり、「透かし橋」は、「五大堂」に 渡る橋である。 下の海が見える透かしの構造は、「五大堂」への 参詣の際、身も心も乱れのないように脚元をよく 見て、気を引き締めるための配慮といわれる。 |
2010/7/4(11:28) 「透かし橋」を渡ったところにある「祠」。 |
2010/7/4(11:30) 「五大堂」。 「五大堂」は、「瑞巌寺」に所属する仏堂で、 現在の建物は、1604年伊達政宗公が桃山様式 の粋を尽くして再建。「瑞巌寺」に先だって 建立され、桃山建築としては、東北地方最古の 建物という。 |
2010/7/4(11:30) 「五大堂縁起」。 平安時代の初期(807年)に、坂上田村麻呂 が、毘沙門堂を建立。後の828年、慈覚大師 が、瑞巌寺の前身「松島寺」を建て、「大聖不動 明王」を中央に、「東方降三世」、「西方大威 徳」、「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」の 五大明王像を安置したことから、「五大堂」と 呼ばれるようになったという。 |
2010/7/4(11:31) 「五大堂」から見る「松島湾」。 |
2010/7/4(11:32) 「五大堂」の扉は通常閉じられており、33年に 一度公開される。 近年では、平成18年8月に、ご開帳が行われ、 記念品の色紙には「すみずみまで、心配りをする」 という意味で「端虚」と書かれていたそうである。 次回のご開帳は、西暦2039年になる。 |
2010/7/4(11:42) 「福浦島」への入口。 「福浦島」に渡る朱色の「福浦橋」は有料で、 この建物内で通行料を払う。 |
2010/7/4(11:44) 「福浦橋」。 昭和42年(1967)完成。 幅2.6m。全長252m。 別名「出会い橋」とも呼ばれる。 |
2010/7/4(11:40) 「五大堂」から「福浦島」に向かう途中で見る「松島湾」。 左に見える橋が「福浦橋」。橋を渡った先が「福浦島」。 |
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2010/7/4(11:49) 「福浦島」に渡ったところにある「案内板」。 「福浦島」の面積は、約6ヘクタール。 島内には、数多くの樹木や草花が自生し、 県立自然植物公園となっている。 案内板に濃い緑色で書かれている部分が、 「多目的広場」。右上の海に突き出た部分に 「見晴台」があり、左に2ヶ所突き出た部分の 上が「天神崎」。下が「かやの崎」である。 |
2010/7/4(11:50) 島内には、歩きやすい遊歩道が整備されている。 |
2010/7/4(11:57) 「弁天堂」。 「弁天堂」は、遊歩道を「見晴台」方向に、 200~300m歩いた左側にある。 |
2010/7/4(11:57) 「弁天堂」前から見る「松島湾」。 「弁天堂」の前は広くなっており、 近くには「トイレ」「展望図」もある。 |
2010/7/4(12:01) 「見晴台」への分岐。 |
2010/7/4(12:07) 「見晴台」。 |
2010/7/4(12:05) 「見晴台」から見る景色。 左の大きな島が「焼島」。「福浦島」と同じくらいの大きさである。 その右の小さな島が「徳浦島」。その右に2つの島に見えるが、一つの島で「引通島」。 |
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2010/7/4(12:11) 「見晴台」への分岐に戻り、「天神崎」に向かう 途中の遊歩道。 |
2010/7/4(12:15) 「天神崎」から見る「福浦橋」。 左から飛び出しているのが「かやの崎」。 |
2010/7/4(12:18) 「天神崎」から「多目的広場」に向かう途中の 遊歩道。 |
2010/7/4(12:20) 「多目的広場」。 樹木に囲まれた芝生の広場は、お弁当を広げる のにぴったりの場所である。 |
2010/7/4(12:22) 「多目的広場」は、海岸が隣接し砂浜もある。 |
2010/7/4(12:29) 「福浦橋」に戻る。 |
2010/7/4(12:31) 「福浦橋」の上から見る「かやの崎」。 |
2010/7/4(13:59,14:03) 「瑞巌寺」を回り「グリーン広場」に戻る。 「グリーン広場」の木々は、よく手入れがされ、気持ちの良い広場である。 |