東日本大震災後の南三陸町
「歌津駅周辺」

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東日本大震災から7ヶ月後
2011/10/24(11:50)
「伊里前小学校」とJR気仙沼線「歌津駅」。
小学校の建物の左に駅のホームが写る。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2011/10/24(11:51)
「歌津大橋」。
写真から外れた左方向の「歌津大橋」は、
落橋、橋桁だけが残る。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
東日本大震災から3年2ヶ月後
下の写真は、7ヵ月後の写真と概ね同じ場所から同じ方向を撮影しています。
2014/5/25(10:58)
震災当時の「伊里前小学校」と建物の基礎部分等は
撤去され、この日は「福興市」の駐車場となっていた。
なお、JR「気仙沼線」は、3年以上を経過した
この日現在も、復旧には至らず。被災区間の線路敷を
利用したBRT(バス高速輸送システム)による
代行運転が行われている。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2014/5/25(11:00)
ほぼ鉄骨だけの状態であった建物は修復(建直し?)
され、「歌津大橋」は撤去されている。
写真から右に外れた「伊里前川」に架かる橋は、
欄干が壊れたままだが、橋としては利用されている
ようであった。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
東日本大震災から8年7ヶ月後
現地は、商業施設「南三陸ハマーレ歌津」に様変わりしていた。
2019/10/17(8:59)
「南三陸ハマーレ歌津」。
震災後、仮設の「伊里前福幸商店街」として営業し、
平成26年(2014)には、「福興市」が開催された
場所は、平成29年(2017)4月に恒久営業施設
「南三陸ハマーレ歌津」としてオープンした。
駐車場は広く、「ハマーレ歌津」限定のお土産を
扱う店もあるが、電気屋、衣料品、食料品、酒屋や
飲食店、カフェまでが軒を連ね、近隣の人達が集う
町(地域)の商店街である。
2019/10/17(8:59)
「南三陸ハマーレ歌津」から西の方向を撮る。
「伊里前川」に架かる橋は造り直されている。
土手もかさ上げ、コンクリート施工されている。
写真をクリックすると「伊里前川」に架かる
橋の周辺を切抜く画像(600x450)が表示されます。
2019/10/17(9:00)
「南三陸ハマーレ歌津」から「歌津駅」の
方向を撮る。
JR気仙沼線の柳津駅-気仙沼駅間については、
鉄道事業の再開を断念。
BRT(バス高速輸送システム)化に伴い、
敷かれていた線路は撤去。駅のホームは解体され、
この年(2019)6月には、それまで駅前広場に
設置されていたBRTのバス停は、線路を撤去した跡に
造られたBRT用の駅舎に移動している。
写真をクリックすると鉄道駅のホームがあった
周辺を切抜く画像(600x450)が表示されます。
2019/10/17(9:00)
歌津の「宝船」。
「宝船」には、「歌津」のキャラクターである
「ポストくん」と「うたちゃん」が乗る。
写真をクリックすると歌津の「宝船」の
説明(600x600)が表示されます。
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