巨釜半造 (半造)

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2011/10/24(15:03)
「巨釜・半造」の案内図。
「巨釜・半造」は、「前田浜」を間に挟んだ
両側にあり、「前田浜」の右に位置するのが
「半造(はんぞう)」である。
案内図には「周辺は、あわび等の海産物の恵みで
繁昌したことから、この地が『繁昌』と呼ばれ、
その後『繁昌』がなまって『半造』となった。
また、釜の半分だけ完成したような形から
『半造』と呼ばれるようになったともいわれる」
とある。
写真をクリックすると、案内図の中の
「半造」部分が拡大表示(600x450)されます。

2011/10/24(14:30)
「柳田國男」文学碑。
「雪国の春」に収録された「豆手帖から」にある
「二十五箇年後」の一節で、明治29年(1896)の
三陸大津波で被災した、「唐桑浜の宿」という
部落の話が刻まれている。

2011/10/24(14:31)
岬の先端に向かい石段を下りていくと、下には
「園地広場」がある。

2011/10/24(14:37)
「東風穴」の案内板から見る景色。
「東風のような心地よい風」を吹き出すという穴は、写真右の草地の辺りにあるようだ。
左の岩場は、「潮吹岩」。
2011/10/24(14:37)
「東風穴(こちあな)」。
「この辺りの地下には大小の空洞があり、
地表には空洞とつながっている小さな穴がある。
地下の空洞に波が打ち寄せると、地表の穴から
異様な唸りと共に潮風が吹き出す。夏は特に
『東風のような心地よい風』を吹き出すこと
から、この名が付けられた」とある。
2011/10/24(14:38)
「潮吹岩」。
浸食された洞穴に波が打ち寄せると水柱を吹上げ
るといわれるが、現在吹上げるのは「シケ」の時
だけで、その高さは5m程という。
2011/10/24(14:41)
「トド岩」。
「トド(アシカ科)が、太平洋北部の千島列島、
北海道北部等から潮流に乗って南下し、この岩で
身を休めることから『トド岩』と云われる」と
ある。
2011/10/24(14:44)
「トド岩」とその周辺の岩場。
案内図などを見ると、写真左の海に浮かぶ岩が「トド岩」のようだが、「トド」が身を休めるには岩が高すぎるのではないだろうか。
そのため、この岩場一帯を「トド岩」と呼ぶのではないか?という気がする。
2011/10/24(14:41)
中央の岩は、「トド」が身を休めるに、丁度良い
と思うのだが。
奥の小さな岩は、「アシカ」が海上に頭を出した
姿のように見える。
2011/10/24(14:52,14:53)
「トンネル岩」周辺の岩場。
「トド岩」から、岬の先端(半造)を一周する遊歩道を歩き、「トンネル岩」まで来る。
この遊歩道は、1週約2km、徒歩40分程で、「半造」の見どころを一周することができる。
右の写真をクリックすると拡大写真(450x600)が表示されます。
2011/10/24(14:54,14:54)
「トンネル岩」。
「大きな岩の根は、浸食されて洞窟をなしている。その間を激浪が流れるさまは、
あたかも滝のような観を呈している」とある。
右の写真が「トンネル岩」かどうか断定はできないのだが、根の部分は、
かなり浸食されているようだ。
右の写真を、クリックすると拡大写真(600x450)が表示されます。
2011/10/24(14:56)
「俎板岩(まないたいわ)」。
「上部の平らなところは10畳ほどあり、地元の
漁師がつり上げた魚を、その場で料理したこと
から、この名がある」とある。
2011/10/24(14:56)
「俎板岩」。
2011/10/24(14:58)
「半造」から2.4倍ズームで撮る「巨釜」。
中央に「折石」。その右に「八幡岩」が写る。
2011/10/24(15:03)
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