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2011/10/24(15:03) 「巨釜・半造」の案内図。 「巨釜・半造」は、「前田浜」を間に挟んだ 両側にあり、「前田浜」の右に位置するのが 「半造(はんぞう)」である。 案内図には「周辺は、あわび等の海産物の恵みで 繁昌したことから、この地が『繁昌』と呼ばれ、 その後『繁昌』がなまって『半造』となった。 また、釜の半分だけ完成したような形から 『半造』と呼ばれるようになったともいわれる」 とある。 写真をクリックすると、案内図の中の 「半造」部分が拡大表示(600x450)されます。
2011/10/24(14:30) 「柳田國男」文学碑。 「雪国の春」に収録された「豆手帖から」にある 「二十五箇年後」の一節で、明治29年(1896)の 三陸大津波で被災した、「唐桑浜の宿」という 部落の話が刻まれている。
2011/10/24(14:31) 岬の先端に向かい石段を下りていくと、下には 「園地広場」がある。
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