鵜ノ尾岬散策

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2019/10/16(7:16,7:17)
「鵜ノ尾岬遊歩道」の入口と「松川浦」。
「鵜の尾岬」は、JR常磐線「相馬駅」から東北東約6km。左右を「松川浦」と「大洲海岸」に
囲まれた砂洲の上を走る市道「大洲松川線(通称:大洲松川浦ライン)」の北側に位置し、
「鵜ノ尾埼灯台」や「ヘリオス慰霊塔」。そして、「カゲスカ海岸」を望む展望デッキなど、
岬を一周する「鵜ノ尾岬遊歩道」が整備されている。
左の写真、遊歩道の入口は、「鵜ノ尾岬トンネル」南側の駐車場内にあり、
入口には「津波避難場所(鵜ノ尾埼灯台)」を示す看板が立ち、石段を上がったところには、
52体のお地蔵様を祀る「鵜ノ尾崎地蔵尊」がある。
左の写真をクリックすると「鵜ノ尾崎地蔵尊の由来」が表示(960x650)されます。
右の写真「松川浦」は、南北約5 km、東西約3 kmの「潟湖(かたこ)」で、湾口に発達した砂州により
太平洋と切り離されてできた浅い湖(lagoon)である。太平洋とは、北側にある幅約80mの
水路部分で繋がり、水路の上には、全長520mのPC斜張橋「松川浦大橋」が架かる。
東日本大震災前は、「小松島」などとも呼ばれ、風光明媚な景色は、日本百景の一つに数えられたが、
湖に向かって延びる「岬」状の陸地や島にあった「松林」は、震災の津波で根こそぎ流されたようである。
駐車場と「松川浦」の間には、夕陽の撮影スポット「夕陽の広場」があり、
広場から先には、「松川浦」の湖上散歩が楽しめる「鵜ノ尾岬桟橋」が延びる。
右の写真をクリックすると拡大写真(600x450)が表示されます。
なお、写真枚数は少ないですが、東日本大震災の前年(2010)に撮影した写真を
「松川浦(鵜の尾岬)」のページで紹介しています。興味のある方は、ご覧下さい。
     松川浦(鵜の尾岬)」のページへ
2019/10/16(7:18)
「鵜ノ尾崎地蔵尊」。
100体を越えた石地蔵は、東日本大震災の
津波で流されたが、懸命の捜索と引上げにより、
52体のお地蔵様が復元されている。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2019/10/16(7:19)
「奥の院夕顔観音」の鳥居。
「鵜ノ尾崎地蔵尊」の先で、道は左右に分かれ、
右に進むと「へりおす慰霊碑」だが、
左に「奥の院夕顔観音」へと進む。
写真の鳥居は、大震災の後、平成28年(2016)に
建立されている。
2019/10/16(7:20)
「奥の院夕顔観音堂」手前の石段から見る景色。
奥に延びる道路が、砂洲の上を走る市道
「大洲松川線(通称:大洲松川浦ライン」。
東日本大震災では、津波で砂洲(堤防)の
一部が流され、約7年の間、通行止めとなった。
市道の左(東)側が、「大洲海岸(太平洋)」。
右(西)側が、「松川浦」。
市道から右に「松川浦」に延びる「岬」状の
陸地にあった「松林」は、津波に流され、
すっかり無くなっている。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2019/10/16(7:20)
「奥の院夕顔観音堂」。
正徳3年(1713)、相馬21代藩主「昌胤公」により、
「宇多郷三十三観音」の第一番札所として
「夕顔観世音堂」が建立され、観世音が祀られた
のが始まりといわれ、以来、松川地域の鎮守として
広く信仰されている。
2019/10/16(7:21)
「奥の院夕顔観音堂」脇の石段上に十字路。
十字路を直進すると「鵜ノ尾埼灯台」。
右に進むと「旧スベリ台」から「へりおす慰霊碑」。
十字路を左に「展望デッキ」へと進む。
2019/10/16(7:22)
「展望デッキ」へと歩く。
遊歩道は、少し荒れた雰囲気だが、
手入れはされている。
2019/10/16(7:23)
奥に「展望デッキ」。
2019/10/16(7:23)
「展望デッキ」。
2019/10/16(7:25)
「展望デッキ」からの景色。
「展望デッキ」からは、西北西の方向が開け、
眼下に、サーファーに人気の「カゲスカ海岸」。
その先には、「松川浦新漁港」や「相馬港」、
火力発電所の煙突が見えている。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2019/10/16(7:25)
「展望デッキ」を右に「鵜ノ尾埼灯台」に向かう。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2019/10/16(7:27)
「展望デッキ」から「鵜ノ尾埼灯台」への遊歩道。
2019/10/16(7:29)
「鵜ノ尾埼灯台」。
昭和28年(1953)に設置・点灯され、
23万カンデラの光は、17.5海里(約32km)
先まで届く。
灯台としては、珍しい四角形のコンクリート
構造である。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
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2019/10/16(7:30)
「展望デッキ」とは、反対の方向(南)に降りる。
2019/10/16(7:32)
7時21分に通過した「奥の院夕顔観音堂」上の
十字路に出る。
2019/10/16(7:33)
「へりおす慰霊碑」に向かう。
2019/10/16(7:34)
「旧スベリ台跡地」。
昭和31年(1986)に設置されたコンクリート製の
「滑り台」が残る。
写真をクリックすると「旧スベリ台のお知らせ」が
表示(600x450)されます。
2019/10/16(7:35)
「旧スベリ台」。
長さ100m。当時は、訪れた観光客に
人気の場所になっていたという。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
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2019/10/16(7:35)
「へりおす慰霊碑」の広場。
2019/10/16(7:36)
「へりおす慰霊碑」の広場から見る
「鵜ノ尾埼灯台」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
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2019/10/16(7:37)
「へりおす慰霊碑」。
昭和61年(1986)、当時最新型の海洋調査船
「へりおす」が処女航海中に鵜ノ尾埼沖合いで
沈没した「潜水艇支援調査船へりおす遭難事件」。
9人の乗員が皆28~38歳という、若者全員が
犠牲となった大惨事の慰霊碑である。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
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2019/10/16(7:38,7:41)
「へりおす慰霊碑」の広場に立つ木。
9年前の写真では、「へりおす慰霊碑」は、こんもりした森の中にあった。
左の写真、木の葉が全て落ちているのは、大震災の津波による砕波が、
この高さまで到達したのか。この年(2019)襲った台風によるものであろう。
両写真共、クリックすると拡大写真(450x600)が表示されます。
2019/10/16(7:42)
木々の合間に、「大洲松川浦ライン」。
「大洲松川浦ライン」の左に、「大洲海岸」。
右には、「松川浦」に浮かぶ「機械島」や
浦内最大の島「中州」も見えている。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
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2019/10/16(7:43)
下に、「奥の院夕顔観音」の鳥居。
鳥居の左奥には、「鵜ノ尾岬桟橋」も見えている。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
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2019/10/16(7:44)
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