松川浦(鵜の尾岬)

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2010/9/23(15:07)
「大洲公園」から見る「松川浦」。
「鵜の尾岬」に向け、「大洲松川浦ライン」の松並木を北方向に走ると、左に「大洲公園入口」の看板を見かけ寄ってみる。
地図には「大洲生活環境保全林(大洲公園)」とあり、自然の松林を保存・整備している公園である。

2010/9/23(15:20)
「鵜の尾岬」の駐車場にある「案内地図」。
2010/9/23(15:21)
「ふるさと相馬」の歌碑。
「相馬詩彦」の詩に感動した作曲家「大野弘」が、
全国初の同歌詞二曲(フォーク調・演歌調)
作曲したとある。
2010/9/23(15:28)
ここから「鵜の尾岬遊歩道」を歩いてみる。
2010/9/23(15:28)
歩き始めると、すぐ「百体地蔵尊」があり、
この道は「百体地蔵参道」とも呼ばれる。
2010/9/23(15:31)
「奥の院観音堂」。
相馬21代藩主昌胤公によって宇多郷三十三観音
の第一番札所として正徳3年(1713)に夕顔観世音
堂が建立され観世音が祀られたのが始まりと
いわれる。
2010/9/23(15:38)
「鵜の尾埼灯台」。
昭和28年(1953)設置・点灯。
灯台としては、比較的少ない四角形のコンクリート
構造である。
2010/9/23(15:39)
「鵜の尾埼灯台」から見る「鵜の尾岬」の断崖。
見える断崖の上に「へりおす慰霊碑」がある。
2010/9/23(15:40)
「鵜の尾埼灯台」の入口。
2010/9/23(15:44)
「へりおす慰霊碑」。
昭和61年(1986)当時最新型の海洋調査船「へり
おす」が処女航海中に鵜ノ尾埼沖合いで沈没した
「潜水艇支援調査船へりおす遭難事件」。
乗員9人全員の死者を出す大惨事となった。
2010/9/23(15:44)
慰霊碑には「慰霊 海洋調査船 へりおす乗員之碑」
と書かれている。
2010/9/23(16:01)
「鵜の尾岬トンネル」の北側で見る
「松川浦大橋」。
平成7年(1995)3月完成。全長520mの斜張橋
で、夜間は幻想的なライトアップが施される。
主塔の高さは58m。
2010/9/23(16:05)
「鵜の尾岬トンネル」の北側で見る
「鵜の尾埼灯台」。
2010/9/23(15:53)
「鵜の尾岬」から見る南側の景色。
中央に真っ直ぐのびる「大洲松川浦ライン」の左側が、「太平洋(大洲海岸)」。右側が「松川浦(押切岬)」。
注:写真は、横が1,344ピクセルあります。写真直下にあるスクロールバーをご利用ください。

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