北海道開拓の村
(2/2)

「北海道開拓の村」のページは、2部構成になっています。
本ページの下に、関連ページへのハイパーリンクがあります。

この下にある「プルダウンメニュー」が表示されない場合は、ページ最下行にあるハイパーリンクをご利用下さい。





2013/6/17(15:07)
「旧田村家北誠館蚕種製造所」。
建築年代:明治38年、旧所在地:樺戸群羅臼町。
「北誠館蚕種製造所」は、絹の原料となる蚕の卵(蚕種)
をとる建物で、当時模範とされた「東京蚕業試験場」の
蚕室を参考に建築され、蚕種の製造販売を行うとともに、
多くの養蚕技術者を養成したという。
写真をクリックすると「旧田村家北誠館蚕種製造所」の
ページが表示されます。
このページは、北海道開拓の村(1/2)からの続きです。
直接このページに入られた方は、北海道開拓の村
(1/2)のページを先にご覧ください。
    北海道開拓の村(1/2)のページへ
2013/6/17(15:16)
「旧岩間家農家住宅」。
建築年代:明治15年、旧所在地:伊達市弄月町。
「岩間家」は、旧仙台藩亘理領の士族移民団の
一員として入植した畑作農家で、この建物は、
構造、間取り共に仙台地方の特徴を受けついでいる。
また、旧領主も時折立寄る程の、由緒ある家柄で
あったという。
写真をクリックすると「旧岩間家農家住宅」のページが
表示されます。
2013/6/17(15:17)
「旧納内屯田兵屋」。
建築年代:明治28年、旧所在地:深川市納内町。
明治8年(1875)に始まった北海道の屯田兵は、
家族と共に兵村で暮らし、北辺の警備と農業開拓に
従事したという。
写真をクリックすると「旧納内屯田兵屋」のページが
表示されます。
2013/6/17(15:20)
「旧河西家米倉」。
建築年代:明治30年頃、旧所在地:札幌市厚別区。
厚別地区での米作は、明治16年(1883)長野県からの
移住者により始められ、明治20年代になり本格的に
耕作されるようになったという。
2013/6/17(15:22,15:23)
「旧信濃神社」。
建築年代:明治30年、旧所在地:札幌市厚別区。
旧所在地には、長野県諏訪地方の出身者が多く、郷里の「諏訪大明神」の御分霊をいただき、
「諏訪神社」と命名したという。
2013/6/17(15:27)
「旧ソーケシュオマンベツ駅逓所」。
建築年代:明治40年頃、旧所在地:虻田郡喜茂別町。
北海道開拓時代は、交通機関までの距離が遠く、
1日ではたどり着けない辺地で、その中間に設けた
交通補助機関が「駅逓」であり、荷物の搬送や人馬継立、
郵便、宿泊等の業務を行ったという。
この、「旧ソーケシュオマンベツ駅逓所」は、喜茂別村と
徳舜瞥村の中間地点にあった「官設駅逓所」で、
明治42年(1909)から昭和9年(1934)まで、
営業していたという。
2013/6/17(15:28)
「旧ソーケシュオマンベツ駅逓所 厩舎」。
建築年代:大正4年、旧所在地:虻田郡喜茂別町。
駅逓では、人や荷物の運搬、農作業等に馬が
使われたため、付属する建物として厩舎(馬小屋)が
設けられ、この駅逓では8頭の官馬を持っていたという。
写真をクリックすると「旧ソーケシュオマンベツ駅逓所 
厩舎」のページが表示されます。
2013/6/17(15:30)
「旧若狭家たたみ倉」。
建築年代:江戸時代末期、旧所在地:檜山群上ノ国町。
「たたみ倉」は、近在の漁家や農家が、家具調度、漁具、
農具等を収納するために建てられ、道南の「上ノ国町」
周辺で多く見られるという。
2013/6/17(15:31)
「旧山本消防組番屋」。
建築年代:大正末期、旧所在地:札幌市厚別区。
水田農村であった山本地区で、昭和45年(1970)まで
使われた建物で、このような火の見櫓を持つ番屋は、
道内農漁村の小規模な消防組織に多く見られたという。
写真をクリックすると建物内の様子が
表示(396x297)されます。
2013/6/17(15:34)
「旧札幌拓殖倉庫」。
建築年代:明治40年、旧所在地:札幌市北区。
札幌駅の北側に隣接し建てられていた6棟の倉庫の内、
一番西側にあったこの建物は、「五十嵐倉庫合名会社」
により建てられたが、後に「札幌拓殖倉庫株式会社」に
引き継がれ、開拓期の農産物の集散に大きな役割を
果たしたという。
写真をクリックすると「旧札幌拓殖倉庫」のページが
表示されます。
2013/6/17(15:39)
「旧本庄鉄工場」。
建築年代:明治30年頃、旧所在地:石狩市親船。
昭和50年代まで、石狩川河口にひらけた旧市街地に
あって、漁具や漁船の付属品、農具等を作っていた
という。
写真をクリックすると「旧本庄鉄工場」のページが
表示されます。
2013/6/17(15:43)
「旧藤原車橇製作所」。
建築年代:明治36年、旧所在地:雨龍群妹背牛町。
兵庫県出身の宮大工「藤原信吉」は、明治31年(1898)
深川に入植。
明治36年(1903)妹背牛に「車橇製造」を開業。
以後、3代に渡り営業を続けたという。
写真をクリックすると「旧藤原車橇製作所」のページが
表示されます。
2013/6/17(15:45)
「旧大石三省堂支店」。
建築年代:明治40年頃、旧所在地:帯広市。
札幌の菓子職人「大石泰三」が、大正14年(1925)に
この建物に移り、菓子の製造販売を始め、親子二代に
渡り、昭和30年(1955)まで営業を続けたという。
2013/6/17(15:46)
「旧渡辺商店」。
建築年代:大正前期、旧所在地:枝幸群中頓別町。
明治30年代に「砂金堀り」で賑わい、大正5年の
鉄道開通後は、交通の要所として発達した中頓別
市街に建てられた雑貨店で、漆喰仕上げの土蔵造りは、
北海道では建築例が少ないという。
写真をクリックすると「旧渡辺商店」のページが
表示されます。
2013/6/17(15:48)
「旧山本理髪店」。
建築年代:大正末期、旧所在地:札幌市中央区。
傾斜の急な切妻屋根、玄関の雨除けアーチ等、
大正期の洋風建築の特徴を残す建物とある。
写真をクリックすると建物内の様子が
表示(396x297)されます。
2013/6/17(15:49)
「旧島歌郵便局」。
建築年代:明治35年、旧所在地:瀬棚郡瀬棚町。
北海道では、明治5年(1872)に近代郵便の取り扱いが
始まり、島歌には、明治19年(1886)に郵便局が
設置される。
後の明治26年(1893)に「畑野清治」が2代目局長として
就任。以後「畑野家」により郵便局は引き継がれたが、
この建物は業務用で、住居は別棟にあったという。
2013/6/17(15:50)
「旧札幌警察署南一条巡査派出所」。
建築年代:明治44年、旧所在地:札幌市中央区。
昭和47年(1972)の冬季オリンピック開催に伴う道路の
拡張工事に伴い移転するまでの間、「赤レンガ交番」と
呼ばれ、市民に親しまれたという。
写真をクリックすると建物内の様子が
表示(396x297)されます。
2013/6/17(15:52)
「旧武岡商店」。
建築年代:明治31年、旧所在地:静内郡静内町。
武岡家は、旧徳島藩の家老「稲田邦植」に従い、
明治4年(1871)に淡路島から静内郡に移住。
明治15年(1882)から、米穀、雑貨、荒物等を扱う
商家であったという。
写真をクリックすると「旧武岡商店」のページが
表示されます。
2013/6/17(15:56)
「旧近藤医院」。
建築年代:大正8年、旧所在地:古平群古平町。
明治33年(1900)に函館病院から古平病院長として
招かれた「近藤清吉」が建てた病院で、
明治35年(1902)年に開業。
この建物は、昭和33年(1958)まで使われたという。
写真をクリックすると「旧近藤医院」のページが
表示されます。
2013/6/17(15:58)
「旧開拓使工業局庁舎」。
建築年代:明治10年、旧所在地:札幌市中央区。
明治6年(1873)に設置された「開拓使工業局」は、
道路、橋梁、官庁学校等の建設の他、家財、機械
農具、車両等の製造事業を行ったという。
2013/6/17(15:59)
「旧武井商店酒造部」。
建築年代:明治19年頃、旧所在地:古宇群泊村。
建物は、明治19年(1886)頃に、石炭荷役、回船業を
営んでいた「武井家」が建てるが、酒造業は、
明治28年(1895)頃から始め、戦時下の統制で
酒造中止命令が出される昭和19年(1944)まで、
清酒「松の露」や「玉の川」の製造が続けられたという。
写真をクリックすると「旧武井商店酒造部」のページが
表示されます。
2013/6/17(16:02)
「旧三升河本そば屋」。
建築年代:明治42年頃、旧所在地:小樽市住吉町。
小樽市街の中でも、最も栄えた地域にあったという、
この建物は、明治18年(1885)頃、石川県から小樽に
移住した「河本徳松(当時18歳)」が、修行を積み、
のれんを継いで新築したという。
2013/6/17(16:03)
「旧小樽新聞社」。
建築年代:明治42年、旧所在地:小樽市堺町。
明治27年(1894)創刊の「小樽新聞」は、道内の代表的
新聞であった。
この建物は、木造の骨組みに「札幌軟石(溶結凝灰岩)」
を外壁に積み上げた構造で、明治期石造建築の特徴を
示しているという。
2013/6/17(16:05)
「旧来正旅館」。
建築年代:大正8年、旧所在地:旭川市永山。
屯田兵として入植した「来正策馬」が、明治31年(1898)
開通直後の宗谷本線「永山駅」前に待合所を開業。
この建物は、大正7年(1918)の大水の被害により、
翌年、旅館兼待合所として新築。旅人の宿泊や汽車の
待合等に利用されたという。
2013/6/17(16:06)
「馬車鉄道 客車」。
「馬車鉄道」は、「旧浦河支庁庁舎」から「旧ソーケシュ
オマベツ駅逓所」の間(約517m)を、札幌馬車鉄道で
使われていたものを見本に製造された客車を北海道産
在来馬の「道産子」が曳く。
「馬車鉄道」の運行は、雪のない夏季(4月中旬から
11月)のみで、冬期(12月中旬から3月)の土日・祝日
は、「馬そり」が運行される。
いずれも、入村料とは別に乗車料が必要。
2013/6/17(16:08)
「旧近藤染舗」。
建築年代:大正2年、旧所在地:旭川市。
「近藤染舗」は、明治31年(1898)創業の旭川で最も
古い染物店であるが、この建物は店の繁盛に伴い、
大正2年(1913)、地元の建築業者により新築された
という。
写真をクリックすると「旧近藤染舗」のページが
表示されます。

 北海道開拓の村(1/2)に戻る      札幌周辺に戻る

 旅の記録(北海道)に戻る    旅の記録に戻る     Donichi’s HomePageに戻る