北海道開拓の村
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2013/6/17(13:56,14:01)
「旧札幌停車場(左)」と「旧開拓使札幌本庁舎(右)」。
「北海道開拓の村」は、札幌駅から東南東に直線で約13.5kmの札幌市厚別区にあり、54.2haの広い敷地に、
明治から昭和初期に建築された北海道各地の建造物を移築復元・再現した野外博物館である。
村内には、各所にボランティアガイドがおり、各施設についての解説を行ってくれる。
明治41年(1908)に建てられ、昭和27年(1952)まで使用されていた「旧札幌停車場」は、「北海道開拓の村」の
管理棟であり、村への出入口となっている。
明治6年(1873)年に建てられ、明治12年に火災で焼失したという「旧開拓使札幌本庁舎」は、
「北海道開拓の村」の入口に一番近い位置にあり、ビジターセンターとして、中に総合案内所がある他、
講堂、研修室などがあり、企画展なども開催されている。
左の写真をクリックすると「北海道開拓の村」の地図が表示されます。
この地図は、1000x1000ピクセルあります。表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2013/6/17(14:03)
「馬車鉄道」の線路。
村内では、夏季に「馬車鉄道」、冬期には「馬そり」が
運行されている(乗車には、別途料金が必要)。
はじめに。
・「北海道開拓の村」の入村料は、道内各所にある有料で見学できる「鰊御殿」等と比較すれば金額的には多少高めなのだが、
広い敷地内にある総計52件の北海道遺産を考えれば格安であり、愛知県犬山市の博物館「明治村」と比べても、概ね半額であった。
それに、中学生以下、65歳以上、身障者は無料である。
・広大な村内(54.2ha:東京ドーム約11個分)には、2~3時間と3~4時間の2種類の「モデル見学順路コース」が用意されている。
本ページで紹介するのは、概ね2~3時間の「モデル見学順路コース」に沿って歩き、実際に要した時間は、2時間強であった。
しかし、全てを見たわけではない。一部を除けばボランティアガイドの話も聞かず、建物の中も入口から覘いたという程度である。
従って、村内をゆっくり見学するのであれば、最低でも半日。できれば、開村と同時に入村。昼食をまたいで、午後も見学する覚悟で、
訪れることをお勧めする。
2013/6/17(14:04)
「旧浦河支庁庁舎」。
建築年代:大正8年、旧所在地:浦河群浦河町。
明治30年(1897)、北海道庁が群区役所制度を廃止し、
支庁制度を設けた結果、浦河支庁が置かれたという。
建物が、浦河町に払い下げされた、昭和31年(1956)
以降は、堺町会館や博物館に利用されていたとある。
2013/6/17(14:05)
「旧手宮駅長官舎」。
建築年代:明治17年、旧所在地:小樽市手宮町。
明治13年(1880)、幌内鉄道が敷設された時に、
職員官舎として建てられたという。
写真をクリックすると建物内の様子が
表示(396x297)されます。
2013/6/17(14:06)
「旧開拓使爾志通洋造家(白官舎)」。
建築年代:明治11年、旧所在地:札幌市中央区。
開拓使の官舎として建てられ、アメリカ中西部の
建築様式を模範とし、外観は洋風だが、内部は
畳敷きなどの和洋折衷になっている。
写真をクリックすると建物内の様子が
表示(396x297)されます。
2013/6/17(14:08)
「旧福士家住宅」。
建築年代:明治時代、旧所在地:札幌市中央区。
幕末から明治期にかけて、造船、通訳、気象観測、
測量等の広い分野で活躍した「福士成豊」が、
明治半ばから大正11年(1922)まで居住したという。
写真をクリックすると「旧福士家住宅」のページが
表示されます。
2013/6/17(14:10)
「旧松橋家住宅」。
建築年代:明治30年頃、旧所在地:札幌市中央区。
明治初期に秋田県から札幌に移住し、農業および
土地会社経営に従事した「松橋家」が、大正7年(1918)
から居住したという。
2013/6/17(14:11)
「旧有島家住宅」。
建築年代:明治37年、旧所在地:札幌市白石区。
日本近代文学史上の代表的作家「有島武郎」が、
明治43年(1910)5月から翌年7月まで住んだという。
2013/6/17(14:12)
「旧北海中学校」。
建築年代:明治42年、旧所在地:札幌市豊平区。
前身は、明治18年(1885)設立の「私立北海英語学校」。
外観の意匠は、明治半ばから大正期の官庁や学校の
木造建築によく見られる様式だという。
2013/6/17(14:13)
「旧龍雲寺」。
建築年代:明治26年頃、旧所在地:札幌市北区。
村民の努力により創建された浄土宗の寺の本堂で、
開拓期の農村の寺院建築の様式をよくあらわして
いるが、正面入り口の向背部分は、大正年間に
増設されたという。
2013/6/17(14:15)
「旧土谷家はねだし」。
建築年代:明治20年頃、旧所在地:爾志群熊石町。
「はねだし」は、鰊漁家の付属施設として建てられた
倉で、建物の下に船を着け、床の開口部を通して
直接荷物の出し入れができる。
写真をクリックすると「旧土谷家はねだし」のページが
表示されます。
2013/6/17(14:17)
「旧青山家漁家住宅 母屋」。
建築年代:大正8年、旧所在地:小樽市祝津町。
「青山家」は、安政6年(1859)に山形県から渡道。
小樽沿岸を中心に鰊建網などを経営したという。
鰊漁場の建物が、集約的に保存されており、
貴重な遺構の一つとある。
写真をクリックすると「旧青山家漁家住宅」の
ページが表示されます。
2013/6/17(14:24)
「海を模した池」。
右の建物は、「旧土谷家はねだし」。
2013/6/17(14:25)
「旧秋山家漁家住宅」。
建築年代:大正9年、旧所在地:苫前群羽幌町(焼尻島)。
秋田県男鹿半島から明治末期に移住した
「秋山嘉七」が、鰊漁で繁栄していた時期に建造。
三代に渡り、昭和53年(1978)まで住んでいたという。
写真をクリックすると「旧秋山家漁家住宅」のページが
表示されます。
2013/6/17(14:29)
「海と池の間に架かる橋」。
2013/6/17(14:30)
「池のほとりの藤棚」。
2013/6/17(14:31)
「子供の広場」。
2013/6/17(14:33)
「体験学習棟」。
毎日/月替わりの内容で、伝統遊具づくり等の
講習会を開催するという。
2013/6/17(14:35)
「つり橋」。
2013/6/17(14:36)
「休憩所」。
2013/6/17(14:39)
「旧平造材部飯場」。
建築年代:大正後期、旧所在地:上川郡下川町。
「造材飯場」は、伐木・造材に携わった「山子」や
集・運材作業に従事した「藪出し」、「馬追い」等が、
山中で寝泊まりするために建てられ、請負い事業が
完了するまでの、1年から数年の間使用されるだけで
あったという。
写真をクリックすると「旧平造材部飯場」のページが
表示されます。
2013/6/17(14:42)
「炭焼小屋」。
建築年代:大正末期。
北海道は、国内有数の木炭生産地であり、
主に「黒炭」が生産されていた。
この「炭窯」は、大正末期の副業製炭業者の「角窯」を
再現しており、専業の炭焼きでは、この窯よりも大型で
あったという。
2013/6/17(14:46)
「牧草地」。
奥の建物は「旧小川家酪農畜舎」。
2013/6/17(14:48)
「旧小川家酪農畜舎」。
建築年代:大正末期、旧所在地:札幌市清田区。
札幌農学校出身の「小川三策」が、アメリカから
取り寄せた設計図を参考に建築したという、
バルーンフレーム構造の建物の上部は、
2013年3月の大雪により、損壊している。
2013/6/17(14:51)
牧草地から「開拓小屋」に続く道と畑。
2013/6/17(14:52)
「開拓小屋」。
建築年代:明治期。
「開墾小屋」とも称し、丸太を埋め立てて柱とし、桁・梁・
垂木をわたし、笹・茅等で屋根や壁を葺いたという。
写真をクリックすると建物内の様子が
表示(396x297)されます。
2013/6/17(14:54)
「旧菊田家農家住宅」。
建築年代:明治26年頃、旧所在地:江別市西野幌。
野幌原野の開拓を計画した「北越植民社」の一員で、
新潟県魚沼群の出身者が建築したが、後に南蒲原郡
出身の「菊田常吉」が買い受けて、移築したという。
写真をクリックすると「旧菊田家農家住宅」のページが
表示されます。
2013/6/17(14:59)
「旧農商務省滝川種羊場機械庫」。
建築年代:大正10年、旧所在地:滝川市東滝川。
この建物は、農商務省の技師が北欧の建築様式を
取り入れて設計した「農業機械庫」で、建物の正面と
左右には、下屋が設けられている。
写真をクリックすると「旧農商務省滝川種羊場機械庫」の
ページが表示されます。
2013/6/17(15:06)
「旧田村家北誠館蚕種製造所」。
建築年代:明治38年、旧所在地:樺戸群羅臼町。
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