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このページは、東京下町散歩(スカイツリー-浅草寺)1/2からの続きです。 直接このページに入られた方は、東京下町散歩(スカイツリー-浅草寺)1/2のページを先にご覧ください。 東京下町散歩(スカイツリー-浅草寺)1/2のページへ |
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2016/4/15(12:44) 「伝法院通り」。 「仲見世」の通りを「宝蔵門」の手前で左に折れ、 「伝法院通り」を歩く。 |
2016/4/15(12:46) 「伝法院(浅草寺本坊通用門)」。 「伝法院」は、「浅草寺」の本坊であり、客殿や大小の 書院、浅草寺貫首大僧正のお居間等がある。 寛永年間(1624~1644)に作庭されたという、 約1万㎡の「廻遊式庭園」は、国の名称に指定され、 建造物6棟が、国の重要文化財に指定されるが、 現在は、共に非公開となっている。 この日は、「伝法院庭園特別拝観と大絵馬寺宝展」が 開催されており、過去を調べてみると、毎年3月~5月の 頃に特別拝観が行われているようなので、 興味のある方は調べてみて下さい。 |
2016/4/15(12:46) 「オレンジ通り」。 写真の建物は、「浅草公会堂」。 |
2016/4/15(12:48) 「浅草六区通り」。 浅草六区通りは、長さ僅か100m程の商店街である。 昭和初期には、この短い通りに映画館や劇場が並び、 芸能の殿堂として多くの芸能人を生み出した 「浅草六区」であったが、近年では新宿や渋谷、 六本木等に人は流れる。 現在では、飲食店や小劇場、きものレンタル店等々、 多種の店が並ぶ中、通りの両側に立つ街頭には、 往時の浅草を代表する芸能人の写真とプロフィールが 飾られている。 写真をクリックすると「浅草六区通り」の 説明(600x450)が表示されます。 |
2016/4/15(12:50) 「浅草演芸ホール」。 昼の部は、11時40分に始まっている。 この日の興行は、「鬼〆改め”台所おさん”真打昇進 襲名披露興行」であった。 「台所おさん」は、平成14年(2002)年、五代目「小さん」 の弟子であった「柳家花緑」に入門。真打ち昇進を 契機に、二つ目時代の「台所鬼〆」を改名。 名前の由来は、台所で働く女性が「おさんどん」だから とか、師匠が「小さん」の弟子だから、そのまた弟子は、 「おさん」だとか?。 昼の部が終わる、16時30分までを、この中で過ごした。 |
2016/4/15(16:43) 「奥山(新奥山)」。 「浅草演芸ホール」を出て、「浅草寺」の大屋根に 向かって歩くと、左側にあった。 江戸時代は、大道芸人や見世物小屋で賑わった 場所で、「浅草六区」の前身であったとある。 現在は、祈念碑などが建立されている。 写真をクリックすると「奥山(新奥山)」の 説明(600x450)が表示されます。 |
2016/4/15(16:43) 「奥山(新奥山)」から見る「五重塔」。 |
2016/4/15(16:45) 「浅草寺本堂」。 東京都内最古の寺「浅草寺」は、「観音菩薩」を本尊と することから、この本堂は「観音堂」とも呼ばれる。 現在の「本堂」は、昭和33年(1958)に完成。 間口34.5m、奥行き32.7m、棟高29.4m、 建坪は414.8坪という。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2016/4/15(16:45) 「旧石灯籠」。 平成16年(2004)まで、本堂前に安置されていた 高さ約5mの石灯籠の一部とある。 写真をクリックすると「旧石灯籠(部分)」の 説明(450x600)が表示されます。 |
2016/4/15(16:46) 「宝蔵門」と「スカイツリー」。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2016/4/15(16:47) 宝蔵門の「大わらじ」。 この「大わらじ」は、「宝蔵門」に安置される 「仁王像(吽形)」の彫刻師「村岡久作」の出身地、 山形県村山市の有志により、概ね10年に一度 奉納されているもので、その大きさは、高さ4.5m、 幅2.5m、重さは500kgという。 写真をクリックすると「大わらじ」の写真(450x600)が 表示されます。 |
2016/4/15(16:47) 「五重塔」。 現在の塔は、昭和48年(1973)に再建されたもので、 地上からの高さ、53.32m。 塔の最上層(第5層)には、昭和41年(1966)に、 スリランカ国のイスルムニア王立寺院より、 正式請来された「仏舎利(お釈迦様のご遺骨)」が、 奉安されている。 |
2016/4/15(16:48) 宝蔵門の「大提灯」。 雷門の「大提灯」よりは小さいが、高さ3.75m、 直径2.7m、重さは、450kg。 「雷門」と同じく、提灯の底には、「龍」の彫刻が 施されている。 写真をクリックすると「宝蔵門」に下がる「提灯の底」の 写真(600x600)が表示されます。 この写真は、「龍の顔」が分かりやすくなるように 画像を回転させているため、四隅が欠けています。 |
2016/4/15(16:48) 宝蔵門の「仁王像」。 左、「錦戸新観」作の阿形像。 右、「村岡久作」作の吽形像。 各々、総高5.45mで、重さ約1,000kgという。 「宝蔵門」は、「仁王像」を安置することから、 当初「仁王門」と呼ばれていたが、昭和39年(1964)、 現在の門に再建された際、浅草寺の宝物収蔵庫として、 近代的防災設備を備えたことなどから、「宝蔵門」と 呼ばれるようになったという。 写真をクリックすると拡大画像(600x450)が 表示されます。 |
2016/4/15(16:50) 宝蔵門から「仲見世」の方向を撮る。 |
2016/4/15(16:50) 「宝蔵門」と「五重塔」。 「雷門」から「仲見世」を「本堂」に向け歩くと、 「仲見世」を抜けたところで見る景色である。 「宝蔵門」を潜ると、先に「本堂」がある。 写真をクリックすると「宝蔵門」の説明(800x600)が 表示されます。 |
2016/4/15(16:51) 「仲見世」の裏通り。 「仲見世」のすぐ東側の通りである。 写真右の建物は、「仲見世」に並ぶ商店の裏側。 裏通りに入ると、観光客の数は極端に少なくなるが、 写真左側にも、商店が並ぶ。 |
2016/4/15(16:53) 「伝法院通り東商店街」。 「仲見世」と十字に交わる「伝法院通り」だが、 「仲見世」の東側を「伝法院通り東商店街」と呼び、 五人の大盗賊が用心棒となり、この通りを守っている。 |
2016/4/15(16:54) 用心棒として通りを守る「白波五人男」。 写真は、「日本駄衛門(にっぽんだえもん)」。 「盗みはすれど非道はせず」、人には情けの 「賊徒の首領」である。 写真をクリックすると「青砥稿花紅彩画(通称:白波 五人男)」の説明(800x600)が表示されます。 |
2016/4/15(16:53) 「弁天小僧 菊之助(べんてんこぞう きくのすけ)」。 女装して、「浜松屋」にゆすりをかけるが、 正体を見破られ「知らざあ言って聞かせやしょう」と 切る「啖呵(たんか)」が有名。 |
2016/4/15(16:53) 「赤星十三郎(あかぼしじゅうざぶろう)」。 元は、武家の中小姓。 五人の中では、最年少で美少年の盗賊である。 後2人。探せば「南郷力丸(なんごうりきまる)」と 「忠信利平(ただのぶりへい)」も見つけることは、 できたはずである。 |
2016/4/15(16:54) 「伝法院通り東商店街」の有料駐車場。 他では、見かけない「案内板」と思い、写真に収めた。 写真をクリックすると「駐車場」の案内板部分を 切り抜く画像(600x450)が表示されます。 |
2016/4/15(16:55) 仲見世通りを「雷門」に向かう。 |
2016/4/15(17:00) 「雷門」に戻る。 |