大谷資料館
(1/2)

この下にある「プルダウンメニュー」が表示されない場合は、ページ最下行にあるハイパーリンクをご利用下さい。





2017/1/11(13:10,13:13)
「大谷資料館第二駐車場」と当時石材の輸送に使われたトラック。
「大谷石の里」は、JR宇都宮駅から西に約7kmのところに位置し、柔らかく加工しやすいことから、
古くから石倉や外壁などの建材として多く使われ、最近では耐火性、蓄熱性の高さからパンや
ピザ等の石窯にも使われている「大谷石」の産地である。
古代ローマ遺跡を彷彿させる「大谷石地下採掘場跡」は、昭和54年(1979)、「大谷資料館」として
一般に公開されると共に、コンサートや映画の撮影等各種のイベントにも使用されている。
また、周辺には奇岩が点在する等、「大谷石の里」は、宇都宮の人気観光スポットとなっている。
本ページでは、戦争中には、地下の秘密倉庫や軍需工場としても使われ、戦闘機をも作ったという、
地下30mの巨大空間「大谷石地下採掘場跡(大谷資料館)」を紹介する。
左の写真、第二駐車場は、少し離れた場所にあるのだが、資料館に近い第一駐車場は、
団体バスと身障者・高齢者の専用となっている。
右の写真、石材の輸送は、1930年代に、それまで使われていた鉄道から自動車に変わったという。
右の写真をクリックすると「トラック」を切抜く画像(600x450)が表示されます。
2017/1/11(13:14)
「ふれあい広場」。
「地下坑内入口」の手前にあり、採掘跡の
洞窟には、テーブルや自販機が並べられ、
無料の休憩所となっている。
2017/1/11(13:15)
「大谷資料館(地下坑内入口)」。
2017/1/11(13:17)
「資料展示室」。
2017/1/11(13:18)
「大谷石」で作られた「七輪」や「麦打機」。
2017/1/11(13:18,13:18)
「石材組合」に関する品と「石風呂」。
「大谷石」は、海底火山の爆発により噴出した軽石などの火砕岩が固まって累積したものが、
海水により緑色に変色した「緑色凝灰岩」で、約2,500~1,100万年前に日本列島が
形成された時に、「大谷」の地に隆起。その分布は、東西約8km、南北約37km。
地下200~300mの深さまであるといわれ、その埋蔵量は10億㌧と推定されている。
2017/1/11(13:19)
大谷石PR用の「石造建築模型」。
大谷石建築の傑作といわれる「旧帝国ホテル」は、
なんと、竣工式の当日に「関東大震災」が発生した。
しかし、ホテルの建物に被害はほとんどなかった
ことから、一躍注目を浴び、以降「大谷石」の需要が
飛躍的に増えたいう。
2017/1/11(13:20)
「坑内入口」。
後述する「地下案内図」で、①と記述する場所である。
扉には、坑内での注意事項や禁止事項が書かれ、
「三脚、自撮り棒の使用や階段、踊場などの
狭い通路では、立ち止まっての撮影は禁止」とある。
2017/1/11(13:21)
地下30mの「採掘場跡」へと石段を下りる。
「採掘場」は、採掘当時、一般の人の目に触れる
ことはなく、「未知なる空間」と呼ばれたという。
2017/1/11(13:22)
「採掘場跡」が見えてきた。
「地下採掘場跡」の広さは、2万㎡。
その大きさは、140mx150mで、野球場が一つ
入ってしまうという。
写真をクリックすると「地下案内図」が表示されます。
この案内図は、960x720ピクセルあります。
案内図の文字を読みたいときには、表示された
画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
なお、この地図には①~⑤の数字を加筆。
本ページでは、場所を特定するときに、
この「地下案内図」に加筆した数字を使います。
また、立入禁止の場所も多く、見学順路が矢印で、
書かれていますので、これも参考にして下さい。
2017/1/11(13:23)
「採掘場跡」に下りたところで撮影。
ここから「地下案内図」の数字⑤までの間は、
ほぼ直線で、緩い下り坂が続く。
この巨大な地下空間は、大正8年(1919)から
昭和61年(1986)までの約70年をかけて、
「大谷石」を掘り出してできた空間である。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2017/1/11(13:24)
「地下案内図」の数字②と③の間で
右方向を撮影。
写真に写る通路は、立入禁止。
2017/1/11(13:25)
「地下案内図」の数字③の手前で左方向を撮影。
壁の案内版には、「地下軍事工場。陸軍の
地下倉庫や戦闘機の機体工場として利用された。
また、奥に見える大きな岩の前で、B’zの
松本孝弘がギターを演奏した」とある。
2017/1/11(13:26)
「地下案内図」の数字③で右方向を撮影。
写真に写る石段は、帰路歩きます。
2017/1/11(13:27)
「地下案内図」の数字③から④の方向を撮影。
2017/1/11(13:27)
「地下案内図」の数字④から⑤の方向を撮影。
右に写る石段は、石を掘りながら作った階段で、
あまり深くないところの昇り降りに使用したとある。
④で左に曲がり、ここから⑤までの間は、
「地下案内図」に「地下約25m」と書かれた
周りで撮影した写真である。
2017/1/11(13:28)
奥に「ヨガのオブジェ」が見える。
なお、「ヨガのオブジェ」は、本ページでの説明上
付けた仮称の名前である。
2017/1/11(13:29)
「ヨガのオブジェ」の左にある石段。
この石段は、立入禁止の場所にある。
2017/1/11(13:30)
「ヨガのオブジェ」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2017/1/11(13:32)
「光のオブジェ」。
「光のオブジェ」は、本ページでの説明上付けた
仮称の名前である。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2017/1/11(13:33)
「教会ゾーン」。
「教会ゾーン」は、天井の一部(写真右上)から
天然光が差し込む幻想的な場所で、結婚式が
ある時にだけ、この場所に教会を作る。
通常は非公開なのだが、この時は、1月末までの間
ライトアップされ、特別公開されていた。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2017/1/11(13:34)
「假屋崎花アート」。
華道家「假屋崎省吾」とある。
「地下案内図」に「地下約25m」と書かれている
場所の周りは、アート作品が多く展示されている
場所であった。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2017/1/11(13:35)
「十字架ゾーン」。
「十字架ゾーン」も、本ページでの説明上付けた
仮称の名前である。
なお、「大谷資料館」のHPでは、「十字架が置いて
あるところを教会ゾーンと勘違いされている方が
多い」とあり、この場所は「教会ゾーン」と呼ばれる
場所ではないようである。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2017/1/11(13:37)
「地下案内図」の数字⑤から②の方向を撮影。
この先は、写真左の方向に、「地下案内図」に
「舞台」と書かれる場所へと歩く。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2017/1/11(13:40)
「地下案内図」に「舞台」と書かれる辺りで撮影。
照明の色は、定期的に変わる。
写真をクリックすると照明の色が変わったときの
写真(600x450)が表示されます。
このページは、大谷資料館(2/2)に続きます。
大谷資料館(2/2)のページへ

  大谷石の里に戻る     旅の記録(栃木県)に戻る   大谷資料館(2/2)に進む 

  旅の記録に戻る      Donichi’s HomePageに戻る