さきたま古墳公園
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2014/4/15(15:39)
「稲荷山古墳」の前方部から4.5倍ズームで撮る
「古代蓮の里」の展望タワー。
「古代蓮の里」は、「さきたま古墳公園」の東北東約2km
にあり、園内には約1,400年から3,000年前のものと
される「行田蓮(古代蓮)」をはじめ、42種類、約12万株
の「蓮」が植えられ、6月下旬から8月初旬にかけて
見頃を迎えるという。
2014/4/15(15:48)
「将軍山古墳(しょうぐんやまこふん)」へと向かう。
「将軍山古墳」は、全長90mの前方後円墳で、
6世紀後半頃に築かれたという。
墳丘の中は、有料の展示館になっており、
埋葬の様子などを見ることができる。
2014/4/15(15:52)
「将軍山古墳展示館」の入口付近。
古墳の墳頂部と中段の平坦な部分には、埴輪の
複製品が並べられ、当時の様子を再現している。
2014/4/15(15:47)
「円墳跡」から撮る「丸墓山古墳」と「稲荷山古墳」。
この写真は、「稲荷山古墳」を下り、「将軍山古墳」に向かう途中で撮影。
今では、広場となっている「円墳跡」では、昭和49年(1974)の調査により、7基の小型円墳跡が発見されたという。
写真左に「丸墓山古墳」。中央付近に「稲荷山古墳」。右端には「将軍山古墳」が写る。
2014/4/15(15:54,15:54)
「将軍山古墳展示館」の展示物。
「石室に使われた房州石(写真左)」と「将軍山古墳の埴輪(写真右)」。
2014/4/15(15:55)
「埋葬の様子」。
「将軍山古墳展示館」の中には、明治時代に発掘
された「横穴式石室」を復元。副葬品などを並べ、
石室内部の様子を再現している。
写真をクリックすると別の角度から撮る
「埋葬の様子」が表示(600x450)されます。
2014/4/15(15:59,16:00)
「将軍山古墳展示館」の展示物。
「古墳の断面(写真左)」と「古墳時代の馬の装い(写真右)」。
2014/4/15(16:03)
「将軍山古墳展示館」を出て「二子山古墳」へと向かう。
2014/4/15(16:05)
「二子山古墳」。
「二子山古墳」は、全長138mの前方後円墳で、6世紀初め頃に築かれたと推定され、
かつての「武蔵国」で、最大の古墳とある。
左の写真をクリックすると「二子山古墳」の案内板(900x600)が表示されます。
なお、案内板には「内堀は、今は水掘になっている」とあるが、墳丘外周の浸食作用により
崩落のおそれがあるため、内堀を埋め立てて「空堀」にしたという。
2014/4/15(16:16)
県道77号「行田蓮田線」を渡り、この後公園南側の
古墳群を巡る。
写真は、北側から見る「鉄砲山古墳」の後円部。
2014/4/15(16:23)
「浅間塚古墳」。
直径58m、高さ8.7mの円墳で、
墳頂には「前玉神社」の本殿・拝殿が建つ。
また、周囲が木立に囲まれるため、注意しないと
古墳に見えない。このためなのか、真偽は不明だが、
一般にいわれる「さきたま古墳群9基」の中には、
この「浅間塚古墳」が含まれていない。
写真をクリックすると「浅間塚古墳」の
案内板(800x600)が表示されます。
2014/4/15(16:25)
「石燈籠」。
石段の下に立つ2基一対の「石燈籠」は、江戸時代に
奉納され、「さきたま」にちなむ万葉和歌が刻まれる。
これは、万葉歌碑として全国的に見て非常に古いもの
だとある。
写真をクリックすると「石燈籠」の
案内板(800x600)が表示されます。
2014/4/15(16:26)
「前玉(さきたま)神社」。
平安時代に編纂された「延喜式」に名前の載る古社で、
埼玉県名の発祥となったともいわれる。
祭神は「前玉彦命」「前玉姫命」の二柱で、
人の身を守り、幸福をもたらす神様を祀り、
「幸魂(さいわいのみたま)神社」とも呼ばれる。
2014/4/15(16:28)
「前玉神社」の境内社。
写真中央に、商売繁盛の神様「恵比須様」。
右に、子育て・安産・産業の神様「浅間神社」。
2014/4/15(16:31)
「鉄砲山古墳」。
全長112mの前方後円墳で、6世紀後半に築かれた
とある。
写真をクリックすると「鉄砲山古墳」の
案内板(800x600)が表示されます。
2014/4/15(16:33)
「中の山古墳」。
全長79mの前方後円墳で、6世紀末から7世紀初めに
築かれたとある。
写真をクリックすると「中の山古墳」の
案内板(800x600)が表示されます。
2014/4/15(16:36)
「奥の山古墳」。
全長66mの前方後円墳で、6世紀中頃から後半に
かけて築かれたとある。
写真をクリックすると「奥の山古墳」の
案内板(900x600)が表示されます。
2014/4/15(16:47)
梅の並木を「移築民家」へと歩く。
2014/4/15(16:52)
南側から見る移築民家「旧山崎家」。
1.25倍ズームにて撮影。
明治時代初期に建てられた民家を行田市佐間から
移築したという。
2014/4/15(16:55)
「移築民家」入口。
この日は、「屋根瓦等が痛んでおり、落下の危険性あり、
しばらくの間立入を禁止する」との張り紙があり、中を
見学することはできなかった。
2014/4/15(16:56)
移築民家「旧遠藤家」。
移築民家入口から1.75倍ズームにて撮影。
江戸時代末期に建てられた民家を幸手市千塚から
移築したという。
2014/4/15(16:58)
「さきたま史跡の博物館」。
「さきたま史跡の博物館」では、「将軍山古墳」から
出土し、国宝に指定される「金錯銘鉄剣」をはじめ、
「さきたま古墳群」や、その周辺の遺跡から発掘された
出土品等が展示されている。
2014/4/15(17:02)
「埼玉県名発祥之碑」。
巨大古墳群があり、「前玉神社」の鎮座する「行田市
埼玉」の地は、埼玉群の中心地であったと考えられる
とある。
写真をクリックすると「埼玉県名の由来」が
表示(800x450)されます。
2014/4/15(17:03)
「レストハウス」。
29のテーブルとイスのセットが整備され、
自由に休憩することができる。
2014/4/15(17:05)
「瓦塚古墳」。
全長73mの前方後円墳で、6世紀前半から中頃に
かけて築かれたとある。
写真をクリックすると「瓦塚古墳」の
案内板(900x600)が表示されます。
2014/4/15(17:05)
「瓦塚古墳」前から見る「移築民家」。
写真左が、「旧山崎家」、右が、「旧遠藤家」。
2014/4/15(17:06)
「はにわの館」。
「はにわの館」では、初めての人でも約2時間くらいで
オリジナルの「はにわ」を作ることができるという。
写真をクリックすると入口前に並ぶ「はにわ」の
写真を編集した画像(600x450)が表示されます。
2014/4/15(17:11)
「愛宕山古墳」。
全長53m。さきたま古墳群の中で一番小さな
前方後円墳で、6世紀前半に築かれたとある。
場所は、駐車場のすぐ隣にあり、駐車場を出てから
2時間10分程で、古墳群を一通り一周したのだが、
今回、見なかった「さきたま史跡の博物館」の中に
入ったり、記念にと「はにわ」作り等も体験すれば、
一日十分に楽しむことのできる公園である。
写真をクリックすると「愛宕山古墳」の
案内板(900x600)が表示されます。

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