「さきたま古墳公園」のページは、2ページ構成になっています。
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2014/4/15(17:15,15:05) 「さきたま古墳公園」の駐車場と案内板。 「さきたま古墳公園」は、秩父鉄道「行田市駅」から南東に約2.6kmの県名発祥の地とされる「埼玉」の地にあり、 日本最大の円墳といわれる「丸墓山古墳」を含め、前方後円墳8基と円墳2基(浅間塚古墳を含む)を有する、 全国有数の大型古墳群の中に博物館や展示館等が整備された公園である。 写真の第一駐車場には、167台が収容できる。西側の第二駐車場と合わせると、大型車33台、普通車303台が 収容できる。また、広い園内には遊歩道が整備され、「さきたま史跡の博物館」前の案内板には、歩行距離3.5km、 所要時間約1時間30分のフルコースと距離2kmで、約45分のハーフコースが紹介されている。 右の写真は、散策の直前に撮影。左は、散策を終り駐車場を後にする直前に撮影。写真を撮りながらの散策で あったが、この間の所要時間は、2時間10分であった。 左の写真をクリックすると「さきたま古墳公園」の案内図が表示されます。 この案内図は、900x900ピクセルあります。 案内図の文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。 右の写真をクリックすると「さきたま史跡の博物館」前の案内板に書かれていた「散策コース例」が 表示(500x600)されます。 |
2014/4/15(15:07) 「天祥寺」。 「天祥寺」は、忍藩主「松平家」の菩提寺であった という。 この日は、先ず、駐車場と「天祥寺」の間の道を北に 「丸墓山古墳」へと向かい、古墳群を概ね右回りに 一周して、再び駐車場に戻る。 |
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2014/4/15(15:08) 「濱梨花枝」の歌碑。 「蓮池」の南側にあり、「東方より 光は射すと 玉の柩 現れて輝る 一ふりの剣」と刻まれる。 |
2014/4/15(15:09) 「蓮池」。 |
2014/4/15(15:10) 「石田堤」。 「豊臣秀吉」による関東平定の一環として、「忍城」を 水攻めにしようと、現在の行田市から鴻巣市内に渡り、 総延長28kmに渡って築かれた「石田堤」の名残である。 |
2014/4/15(15:11) 「石田堤」で見る「丸墓山古墳」。 写真左、「石田堤」の奥に写るのが、日本最大の円墳といわれる「丸墓山古墳」。 中央右奥には「稲荷山古墳」、右端は「円墳跡」である。 |
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2014/4/15(15:12) 「丸墓山古墳(まるはかやまこふん)」。 直径105m、高さ約19mの円墳で、6世紀前半頃に 築かれたとある。 写真をクリックすると「丸墓山古墳」の 案内板(800x600)が表示されます。 |
2014/4/15(15:16,15:15) 「丸墓山古墳」の墳頂から西北西方向に見る景色と「忍城(おしじょう)」。 「忍城」は、「丸墓山古墳」から西北西に約2.45km。左の写真は、5.75倍ズームにて撮影。中央右に「忍城」が あるのだが、「城」とは判別できない。肉眼でも、案内板で方向を確認して、ようやく「城」と判別できる距離であった。 この「忍城」は、利根川と荒川水系の水を流し込んでの水攻めでも落城せず、「豊臣秀吉」が唯一落とせなかった 「城」といわれている。 左の写真をクリックすると36倍ズームで撮る「忍城」が表示(600x450)されます。 右の写真をクリックすると「丸墓山古墳と忍城」の案内板(800x400)が表示されます。 |
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2014/4/15(15:19) 「丸墓山古墳」の墳頂。 「忍城」攻略の命を受けた「石田三成」は、この墳頂に陣を張ったという。 |
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2014/4/15(15:21) 「丸墓山古墳」の墳頂から見る北西方向の景色。 この景色の中に「忍城」がある。 |
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2014/4/15(15:22) 「丸墓山古墳」の墳頂から見る東方向の景色。 写真ほぼ中央に「稲荷山古墳」。その右の広場が「円墳跡」。広場の奥には「将軍山古墳」が写る。 |
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2014/4/15(15:22) 「丸墓山古墳」北側の階段を下りる。 |
2014/4/15(15:24) 北側の階段を下りた所で振り返る「丸墓山古墳」。 |
2014/4/15(15:27) 「稲荷山古墳」に向かう。 途中には、「トイレ」と「休憩所」が建つ。 |
2014/4/15(15:30) 「稲荷山古墳(いなりやまこふん)」。 「稲荷山古墳」は、全長120mの前方後円墳で、 5世紀後半頃に築かれたとある。 写真をクリックすると「稲荷山古墳」の 案内板(900x600)が表示されます。 |
2014/4/15(15:33) 「稲荷山古墳」の「埋葬施設」。 「稲荷山古墳」の後円部では、昭和43年(1968)の発掘調査により「礫槨(左の写真)」と「粘土槨(右の写真)」の 2つの「埋葬施設」が発見され、「礫槨」からは、後に国宝に指定される、全長73.5cm、115文字の銘文が 刻まれた「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」等、多くの副葬品が出土している。 左の写真をクリックすると「稲荷山古墳の埋葬施設」の案内板(800x600)が表示されます。 |
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2014/4/15(15:33) 「稲荷山古墳」後円部から見る「丸墓山古墳」。 |
2014/4/15(15:36) 「稲荷山古墳」の後円部から前方部を見る。 |
2014/4/15(15:37) 「稲荷山古墳」前方部から見る「将軍山古墳」。 写真をクリックすると2.25倍ズームで撮る 「将軍山古墳」が表示(600x450)されます。 |
2014/4/15(15:38) 「稲荷山古墳」前方部から見る南東方向の景色。 写真左に「稲荷山古墳」の後円部。右に「将軍山古墳」が写る。 |
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2014/4/15(15:40) 「稲荷山古墳」前方部から見る南西方向の景色。 左に「将軍山古墳」。中央に「円墳跡」。右には「丸墓山古墳」が写る。 |
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2014/4/15(15:39) 「稲荷山古墳」前方部から見る北西方向の景色。 左に「丸墓山古墳」。右に「稲荷山古墳」の後円部が写る。 |
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